第156話 カップルと世間話
クライス地方の統治を始めて暫くの時が流れた。
変装して気配を消して街を歩く俺の耳にもマルドの街中からは人々の噂話が入ってくる。人が集まる広場のそばを通ると住民達の世間話が聞こえてきた。
「ザイード家からガウディ家に代わって不安もあったが今のところ問題ないね」
「むしろ、前よりもいい感じなんじゃないか?」
「街の住民達に手当金をくれたしな」
「新しい仕事を大量に用意してくれるっていうのもありがたい」
「今までは隣のゴドール地方の発展が羨ましかったもんな」
「統治者がガウディ家に代わって期待しかないよ」
うん、概ね俺達に向けられる言葉は好意的のようだ。もし俺が嫌われていたら、ちょっと心が傷ついていたかもしれないが今のところは大丈夫そうだな。
『主様の悪口が聞こえてきたら懲らしめてやりますね』
『エリオ様を悪く言う者がいたら私がただではおきませんわ』
『おまえら、そこまではやらなくていいから』
従魔も気配を消せば住民達に気づかれる心配はほぼないのだが、今回は万が一を考えて俺とは離れた場所にいる。
まあ、ゴドールやエルンでは従魔を引き連れて普通に街中を歩いていても、住民達が気を利かせて気づかないフリをしていてくれたが、このクライス地方は前統治者のザイード家を滅ぼして取って代わった形なので現在の街の住民達の本音を聞きたいのだよ。
と、言いつつも俺の護衛は絶対に必要だとルネが頑として譲らないので、二匹の従魔は俺から離れたところにルネと一緒にいる。俺と従魔との念話は相当な距離が離れていても通じるのでこれくらいの距離なら全然問題ない。しかも、念話が通じるようになってからはお互いの位置が大体把握出来るという謎仕様だ。地味というか…本来の俺の格好に変装していても護身用の短剣を装備しているので安心だ。そして美人のルネの方に住民達の注目が集まった方が俺が目立たなくていい。
そういえばこの街の庶民が暮らすエリアは特徴的な建物が多い。庶民の暮らすエリアは道に面している一軒一軒の家の間口はとても狭く、その代わりに家の奥行きが非常に長いのだ。つまり構造的に縦長の家が多いという訳だな。
何でもこの街では大昔に非常事態が起きて臨時に徴税する時は家の間口の広さで臨時の徴税額が決められていたそうだ。だから徴税額を減らす工夫として、間口は狭くても家の面積を増やす為に奥行きがあって縦長の家が多く建てられたらしい。今ではそんな徴税の仕方はなくなったようだが、昔の名残の影響で間口の幅に対して奥行きがある家が今でも主流なんだそうだ。
「本当に独特だよな」
思わず独り言が出てくるくらいだ。今まで色々な場所を巡ってきた俺だが、各地方や街にはそれぞれ独自の文化や特色があって本当に面白い。街の成り立ちや建物の作りの違い、そしてそこに住む人達の暮らしぶりなどはどれをとっても何かしら違っていて同じではないもんな。
そんな事を考えながら歩いていたら、街のカフェのオープンテラスに座って寛いでいるこの街の住民らしい姿の男女のカップルの姿が俺の目に入った。何とも微笑ましい光景だ。
本来なら近くにいかない方がよいのだろうが、丁度喉が乾いて飲み物が飲みたくなったので俺もあのカフェで少し休んでいこう。それに俺はあの男女のカップルが誰なのかを知っているしな。
気配遮断を少し解きながら俺がカフェに近づいていくと、何気ない風を装って目線をこちらに向けて近づいてくる俺を確認した男女のカップルは、ほんの一瞬だけ目を見張る素振りを見せたがすぐに元の談笑スタイルに戻った。
俺は彼らのすぐそばの席に腰を下ろしてカフェの店員を呼び飲み物を注文した。出てきた店員は若い女の子で髪を後ろで結っていてなかなか可愛らしい顔立ちだ。そんな感想を心に浮かべていると、遠くから射るような視線を感じたのでそちらを見てみると、従魔を引き連れて遠くのベンチに座っているルネが鋭い視線を店員の女の子に向けていた。ちょっと怖いんですけど。
「いらっしゃいませ。ご注文は何にします?」
「コーヒーを一杯頼むよ」
「畏まりました。お客様のご注文はコーヒーですね。暫くお待ち下さい」
ルネの鋭い視線を感じながら注文を終えた俺は、たまたまこのカフェに居合わせた男女のカップルに向けて世間話でもするかのように話しかけた。
「この街で最近変わった旅人を見かけたかい?」
俺の問いに男の方が答えてくれた。
「そうですね。変わった旅人らしき人達なら何組か見かけましたよ。その人達はこの街の裏通りを専門に巡っているみたいですね。その人達が泊まっている宿なら知っていますよ」
「ありがとう、参考になったよ」
他愛もない話の内容だが、実はこの男女のカップルはラモンさん直属の情報部の部員達だ。こうやって街中に部員達が散らばって色々な分野の情報収集や対処をしている。住民達の動向や意識調査など。その他にも外の地域からこの街に入り込んでくる調査員や工作員の捕捉や監視、時には処理や始末などもそれに含まれる。
ザイード家がゴドール地方を侵略しようとして俺達と戦闘になり、返り討ちにあって逆にクライス地方に攻め込まれて滅んだというのはクライス地方の周辺地域の人達にも勿論その情報が入ってくる。
当然ながら更に詳しい情報を得る為に、周辺地域からはクライス地方に情報収集の為の調査員や、混乱に乗じて何らかの工作を試みようとする工作員が入り込んでくるのは当たり前に想定される事だ。
さっきの話を分かりやすく言い換えると「この街に調査員や工作員らしき連中が入り込んでるかい?」という俺の問いに対して「何組か入り込んでるのを確認しています。彼らの行き先や行動なら情報部で把握してますよ」という返答だった訳だ。
「おまちどうさま。ご注文頂いたコーヒーをお持ちしました」
おっ、頼んだコーヒーが来たようだ。とても良い香りが俺の鼻孔をくすぐる。俺は運ばれてきたコーヒーを香りを楽しみながらゆっくり飲み干すと席を立ってカフェを後にした。さて、今日の街の視察はここらで切り上げて公館に引き上げるとするか。
待たせているルネと従魔のいる方向を見ると、ルネが二匹の従魔相手にわしゃわしゃと綺麗な毛並みを撫でながら全力でモフ分補給をしている姿が目に入った。従魔達も気持ちよさそうに撫でられている。
ああ、羨ましい。俺も後でやろうっと。
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