第3話 人の形を気にする僕は、歪な皿に綺麗な花を盛り付けた

 トラルは自身の住むアパートを出ると自身が通う学校へ向かう。その足取りは重く鈍る。靴に鉛でも仕込まれているかのような一歩は、トラルを疲弊させると、口からは息切れにも生き辛さを呼吸として吐き出すのだった。


 はぁ、はぁ――――


 自分の呼吸音が気持ち悪い。

 人が生きる為に必要な呼吸ですら、他人から変に思われているんじゃないかと頭が拒絶し続ける。


 トラルは尖った顔のまま整備された海中に備え付けられた道路を歩く。人とすれ違いながらも、身をかわす様に暫く歩いた後、5番と書かれたプレートが付いた自動で動く床の前で歩みを止めた。


 ここからはオートスロープ。

 自動で動く床は、歩く労力を使わなくても、景色を眺めていれば学校の近くに運んでくれる。

 各箇所に備え付けられた自動床は、本当に便利で皆が重宝している。

 僕もその恩恵にあやかっているが、皆とは少しだけ違う事がある。

 前提に分岐する合流地点で人に会わなければと言う文言が追加される。


 トラルは少しだけ怯えるように前足を出すと、自動で動く床、オートスロープに足を乗せる。前に自動で動き出した床に少しだけバランスを崩す様に体を揺らした後、手すりに掴まると顔を下に向けるのだった。


 オートスロープの合流地点が何度かある。

 僕の場合は五つ。

 合流地点では、必然的に学校の生徒と顔を合わせる事になる。

 合流地点に近づくたびに、僕の鼓動は早くなる。

 

 一つ目―

 二つ目――

 三つ目―――


 トラルは合流地点を通り過ぎる度に息を呑みこむと、誰とも会わなかった事に安堵の表情を浮かべる。同じことを繰り返すように頭を上下させては、息を大きく吐き、呼吸を詰まらせるのだった。


 いつまでも他人を気にし過ぎる自分に嫌気はさす。

 ―――でも、

 自分の事を思い返すと、今動いているのが奇跡にしか思えないんだ。


 考える度に余計な重しが増える。

 頭は下がる。

 頭の中はゴチャゴチャと五月蠅く、絡まった思考は絡みついた糸のように自身を縛る。

 俯く癖が治らない……

 

 トラルは苦しそうに顔を歪めると、下を向いた視線を固定する。下を向いても動く床は人がいる限り動き続けると、定期的になる機械の駆動音を鳴らしながら、最後の合流地点へとトラルを運ぶのだった。

 

 最終セクション。

 分岐していた道が一番合流する箇所。

 必然的に人は多くなる。


 トラルは緊張感からか生唾を呑むようにして喉を鳴らす。見たくないと言わんばかりに一度瞼を閉じるが、無理やり開いた瞳には3人で楽しそうに話す女子の顔が見えてしまうのだった。


 呼吸が――

 胸が――

 苦しい。

 僕の視界に映る3人。

 全員が僕のクラスメイトだ…


 トラルは顔を顰めると視線を反らす。だが、合流地点で一人の女子がトラルに気づくと、顔を向けて手を振ってくるのだった。

 

「トラル君。おはようーー」


 声を掛けてきたクラスメートの元気な声に、トラルは平然を装うように首を振り前髪を横に払うと、挨拶をしてきた女子に力なく手を挙げるのだった。


「おっ、おはよう…」


 トラルは自分に挨拶をして来た女子とは対照的に、オドオドしたこもるような声で挨拶を返す。少しだけ引き攣ったような顔を見せたトラルだったが、クラスメイトの女子は笑顔でトラルに近付いてくるのだった。


「イックと一緒じゃないんだ? めずらしっ」


 尋ねる様に聞いて来たクラスメイトに、トラルは愛想笑いを返す。


「…ま、まあ。イクイアスと、いつも一緒にいる訳じゃないから…」


 トラルの返答にクラスメイトは何度か軽く首を上下させ頷く。


「まっ、当たり前か。イックは地上部に住んでるし、そだよね」


「う、うん。それより、君らこそ、いつも3人でいるよね?」


 トラルの問いかけにクラスメイトの女子は大きく頷き笑顔を返すと、勢い良く後ろを振り返る。


「まあ、私達は昔からの付き合いだしねー。――ねー?」

「ふふっ。だね」

 

 顔を合わせたクラスメイトの女子達はお互いに笑い合うと、会話を始める。

 

「イクイアス君、今日は委員会?」

「あー、そかも。イック、頭良いから基本何でもやらされるからね」

「でも凄いよね! 最初から最後まで学年トップの成績。しかも、イケメン!」


 顔を合わせた女子グループの楽し気なトークは続く。途中途中でイクイアスと言う人物の名前が上がり、皆がその人物を誉め合う。会話の邪魔にならないように視線を外していたトラルだったが、聞こえてくる声に多少苦笑いするのだった。


 …あいつ、外面はいいからな。 


 トラルは顔を顰めるが、対照的に彼女達から聞こえてくる声は明るい。

 笑い合い、跳ねる様に体を揺らし、開放的な声を発し続ける。


 そのまま、3人で話してくれてたら良いんだけど…


 トラルは彼女たちの会話をなるべく聞かないように視線を反らし続ける。疲れたように、前髪を掻き揚げ息を吐いたトラルだが、不意に先程話していた女子がトラルを振り返るのだった。


「ねえねえ、トラル君。イックって本当に彼女いないのー?」


 彼女の質問にトラルは少しだけ間を挟むように口を噤む。


 本人に聞いてくれと言いたいけど…

 僕には、そんな事言えるわけも無く…

 それに少しだけ、少しだけだけど彼女の気持ちも分かる。


 僕の唯一の友人イクイアス。

 奴は彼女が同じように尋ねたとしても、学校用に取り作った顔で適当にあしらうはずだから…

 最後には屈託のない笑顔で、嫌味なく押し返されてしまうだろう。

 

 トラルは考える様に彼女から視線を反らした後、再び顔を合わせた。


「あー…うん。僕が知る限りだけどいない。と思う…」


 当たり障りもなく、嘘もついていない。

 これなら彼女の機嫌も損なわないだろう。

 我ながら無難な回答だと思う。

 だけど―――

 こんな簡単な会話を捻りだすだけなのに、僕の頭の中では選択肢は膨大に浮かんでいた。数十に及ぶ分岐を繰り返し、回答から導かれるシナリオを探し、自身が、彼女が、一番良いと思われる回答を恐る恐る答えている。


 これが真実。

 一つの会話に恐ろしい程、神経をすり減らし、人間が生み出したコミュニケーションの一つに毎回殺されそうになる。

 

 嫌われたくない。

 迷惑かけたくない。

 そして――

 壊したくない。


 一つの選択肢で他人にどう思われるのか考えるのが恐く、自身の選択が他人の顔色になってしまう。多数に浮かぶ自身の想いはゴミ箱に捨てると、欠落したことで導き出される他動的な答えが口からボロっとこぼれる。

 常に周りに気疲れする日常に嫌気が差してくる。


 トラルは少しだけ俯くが、返答を聞いた彼女は笑顔を返してくるのだった。


「そっかそっか、いないかー。…でもさでもさ、なんでイック彼女作らないんだろう?」


 トラルは質問してきた彼女に向けて、手を横に振る。


「そ、それはっ。…僕にもわからないよ」


「トラルくんとデキてるからとかっ?!」

「―――それはない!」

「ふふっ。ウソウソ」


 ……疲れる。

 確かに側から見れば、僕とイクイアスはいつも一緒にいる。

 仲睦まじくも見えるだろう。

 だけど、実際あいつは―――

 僕が気を利かせて距離を置こうが、離れようが、僕に対してだけは強引に内面を曝け出し近づいて来る。

 学校の人気者。次代の天才。そう呼ばれるあいつだが、僕から言わせれば人の気持ちは全く分からないと言っていい。


 トラルはガックシと首を落とすのだった。


「はは、イック振られたね。――でもさでもさ、あいつトラル君のことほんっと好きだよねー。秘かに狙われてんじゃない?」


 悪だくみするようなクラスメイトの笑みに、トラルは真顔で手を横に振る。


「なっ、ないない。多分だけど僕が他の人と積極的に喋らないから気を遣ってる…。じゃーないのかな?」


「まあ、イック優しいしねー。―――でもさートラル君ってコミュ症じゃないんじゃん! 私とも普通に喋るし、他の人ともじゃん。もっと話しかけなよ」


 クラスメイトの女子は笑顔でトラルの腕を叩く。急に叩かれた事で体を少しだけ後退りさせたトラルは再び苦笑いを浮かべた。


 妙な所でグサッと突き刺される言葉のカウンター。

 本当は僕も普通に会話はしたいんだ。

 ―――だけど、

 凡人の僕には分不相応の異常な読み取り機能のせいで、会話に恐ろしく疲弊してしまう。融通の効かない僕の目と脳は、酷く自身の心を摩耗させる。


 トラルは少しだけ返答に困るように間を作る。答えが出ないと言わんばかりに捻った首を元に戻すと、ゆっくりと口を開く。


「…趣味とか無いから。かなー? 喋りかけるネタがなくて…」


「嘘じゃん! トラル君、漫画とかいっつも読んでんじゃん! ゲームも好きそうじだし!」


 偏見だよ…

 確かにいっつも項垂れて、スマホで小説とかは見てるけど…


 少しだけ上目使いで顔を寄せてくるクラスメイトに、トラルは言葉を詰まらせると愛想笑いを返す。


「す、好きだけどさー。しゅ、趣味とまでは言えなくない。…かなー?」


 愛想笑いで首をゆっくり傾けたトラルに、クラスメイトは詰め寄る。


「えーー。じゃあさ、じゃあさ! イック連れて今度遊びに行こうよ? 色んな事して遊べば趣味も見つかるよ?」


 イクイアスと2人で行ってくれ…

 彼女の打算的な感情も見えるし…

 そんな事は言えないけど…


「あ、あいつに了解取れたらね」


「うんうん。それで良い。それでいこ」


 クラスメイトの女子はトラルをビシッと指差すと、屈託のない笑顔を見せる。


「約束だよ! 約束」


「う、うん」


 クラスメイトの女子はトラルに微笑みながら腕を振った後、再び3人グループに戻り会話し始める。


「トラル君と、何話してたの?」

「今度ね。イックと一緒に遊びに行こって約束してきた」

「トラル君。なんて言ってた?」

「イックに聞いてみるって」

「やるじゃん」

「でもさでもさー、私ずっと思ってるんだけど、トラル君ってイックに隠れてるけど、顔立ちめちゃくちゃ綺麗なんだよねー」

「あーわかる。前髪長くて顔隠してるけど、すっごい中性的で綺麗な顔してるもんね。もったいないよねー」

「「「ねー」」」


 トラルは疲れたように前髪を掻き揚げると、大きく息を吐いた。


 …疲れる。

 …既に疲れてしまった。

 オートスロープの終着点はもうじきだが、僕の精神力も残念ながら、もうじきだ…


 トラルは疲弊したようなしかめっ面を披露すると、荷物のように自動でオートスロープの終着点まで運ばれるのだった。


 オートスロープの終着点につくと校舎が見える。

 トラルは項垂れる頭をそっと上げるが、校門前に出来た人だかりの中心に居る人物と視線が交差すると再び顔を歪める。トラルは顔を歪めるが、トラルと視線を合わせた人物は掛けていた眼鏡を人差し指で弾くようにして位置を調整すると大喜びで腕を振ってくる。トラルはその行動に額に手を添え、呆れたように項垂れるが、自動床は無情にも校舎前までトラルを運ぶのだった。


「おはよう!! トラル!」


「…おはよう。…イクイアス」


 勢い良く腕を上げ、挨拶してきた金髪眼鏡のイケメンに力なく挨拶を返す。


 トラルの力なく絞り出した声とは対照的に、元気いっぱいの声を響かせたイクイアスは少年のような瞳を輝かせトラルを見つめる。

 

「トラル。頼みがある!!」


 イクイアスはトラルに歯を見せて微笑む。


 い、いつもの大音量で押し切ろうとしているが、こいつの浮かべている笑みに多少の邪悪さを感じる…、経験上こういう時は、良い事は無い。

 ―――絶対に悪巧みしている。絶対に…


 トラルは後退りするように身をよじるが、イクイアスはお構いなしに距離を詰める。


「学校を休んで俺に付き合え!」

「はぁ???」


 トラルは困惑したように口を開き声を漏らすが、イクイアスは尚も強引にトラルに詰め寄ると肩を組んだ。


「ちょっとでいいから付き合ってくれ。お前でないとダメだし、俺一人では正直きついんだ」


 肩を組んだイクイアスは多少小さくした声でトラルに話しかける。


「つっ、付き合うって! な、何にだよ?!」


 トラルは多少大きくなった声で返答するが、イクイアスはバツの悪そうな顔で視線を反らすとトラルの背中を前に押すのだった。


「それは向かいながら話す」


「何っで、そうなるんだよっ?!」


「いいから、来い。…どうせ、お前暇だろ」


 いつもの事だけど強引に進めだしたぞ…、こいつ…。


 トラルは瞼を少しだけ降ろすと、呆れたような顔でイクイアスを見つめる。


「…暇って失礼だろ」


「ははっ。気にするな。俺も暇だ! ははは――」


 …無理だな、これは


 イクイアスはトラルの表情など見ていないと言わんばかりに笑い声を響かせると、トラルを押す様にして校舎とは反対方向へ歩き出す。


「ほらっ、行くぞ」


「あーーー、もう!! お前はっ」


 結局、いつもの事で。僕は強引に押し切られた。

 用件も聞いていない。

 こいつが何を急かすのかは、僕にはまだ分からない…

 だけど、一つだけ分かった事もある。

 

 ―――こいつ、重大な事を隠してる。


 トラルは真剣な瞳でイクイアスを一度見ると、確信めいたように頷くのだった。

 



 


 


 

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