第7話 認識

 地図にない村―――オレたちはこれを“神隠し村”と仮称し、その周辺の探索を進めた。


 人の気配はない。

 家屋の腐れ具合から察するに、ここで暮らしていくのは至難の業だ。住人など存在してはいないだろう、というのが浦島の出した結論だった。


 しかし、確かにその痕跡はあった。

 誰もいない村ではあるものの、過去に人が住んでいた面影は残っていたのだ。


 ここが“神域”であるという物的証拠は見当たらなかったけれど、確かに地図上に乗っていなくてもおかしくはないほどの規模感。

 村というよりは集落の跡地。住人の人数も、恐らく数十人程度のものだったと予想される。


 夢見どころか、村人の気配すらない空虚な世界。

 ここが本当に神隠しの先にある、この世ならざる神域とやらなのか―――オレたちの疑念は強まる一方であった。


「やっぱり何も変わらない。ボクが調べ回った時と同じ……。神隠し村、なんて……ホントはないのかな……」


「センパイ、疲れたなら少し休憩しようか。村の中はあらかた調べ終わったし、一区切りには丁度いい」


「あっ、いえ、ボクは大丈夫です。ですが……そうですね、ずっと歩き回りっぱなしですし。ちょっと腰を下ろしましょうか」


 村の端、小屋のような場所の近くでオレたちは座り込む。

 浦島を気遣うような素振りを見せたものの、実際に疲れているのは自分自身だった。


「……ふう。あー、脚がパンパンだよ。こんな山奥まで来ることなんて滅多にねーからなあ」


「ふふっ、そうですね。ボクも同じです。どちらかと言えばインドア派ですから」


「ふーん。そういやオカ研って何する部活なんだ? なんか聞いた話だと、いつも部屋で本ばっかり読んでたらしいじゃねーか」


 それも夢見から得た情報だ。

 今にして思えば、オレはオカルト研究部なんてモノの存在すら知らなかったし、アイツから話されなければこの人のことだって知らないままだった。


 なんとも奇妙な縁だな、と思う。

 夢見がいなければオレたちはこうして肩を並べて座り込むなんてことはしなかった。その夢見自身が今となっては行方不明だというのだからたまらない。


「まあ、そうですね。オカルト研究部、なんてのはお飾りの名前です。実際、活動らしい活動は何ひとつとしてやってきませんでした。ただ単にそういうジャンルが好きなボクの、唯一ひとりきりで静かに過ごせる場所……その程度の部活動でしたから」


「オカルトの研究、なんて曖昧な活動だもんなあ。そりゃひとりじゃ本読むくらいしかできねーか」


「ですので、今回の件……この神隠しこそ、オカルト研究部始まって以来、初のまともな部活動と言えるかもですね」


 くすくす、と、やけに上品に笑う浦島。

 普段は少年然とした雰囲気を全身から放っているというのに、時折こうやって女性らしさを出してくるのはズルいと思う。


「初の部活動で張り切ってるとこ悪いけど、オレはまだこれがオカルト現象だなんて認めちゃいねーからな?」


「ええ、もちろんボクもです。摩訶不思議な出来事が起きているのは事実ですが、それは単にボクたち人間の視点で認識するのが難しいだけの事象かもしれませんしね」


「……、それをオカルトと言うのでは?」


 人間が認識できないもの。

 そんなもの、つまるところ非現実的な事象だと言ってしまって差し支えはないのではないか。


「んー、そうですねえ。ユウリ君は“音”を目で見ることができます?」


「は? いや、できねーけど」


「そうでしょうね。では“音”というものはこの世に存在していないと言えますか?」


「いや、存在してるだろ。だって聴こえるんだし」


 急に意味不明な謎掛けをされた。

 何がなんだかよく解らないまま、オレは浦島の言葉を聞く。


「ボクたち人間は“音”に関して目には見えなくても耳で捉えられるから存在を認識できている。“匂い”だって見えないし聴こえないけれど鼻で感じ取れる。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。人間には“五感”があり、それらを駆使することで、一方では感じ取れないものをもう一方によって感じ取れるようにカバーしているのです。ただ、逆に言えばということです。さて、仮にそんなものがあったとして、ユウリ君はそれすらも存在していないものであると断言することができますか?」


「いや、それは……わからない、かな」


「そう、わからないのです。とある科学者は言いました。“音”とはあくまで人間の聴覚、そこから脳内で認識しているものに過ぎない。観測者―――それを認識できる人間という存在がいて、初めてそれはこの世に存在している事象だと確定するのだ、とね」


「なんだそれ。じゃあ人間が“音”を認識できない生き物だったなら、この世に“音”自体が存在しないってことじゃねーか」


「そうです。理解が早いですね、ユウリ君。それと同じ理屈がすべてに当てはまります。今こうして見ている景色そのものも、人間が視覚によって観測しているからこそ存在しているものである。ボクたちが“色”を認識できない生き物だったなら、世界はすべて白黒なのだ……とまあ、そんな感じの理論です」


 なるほど、浦島はこう言いたいワケだ。

 神隠しだのなんだのといった超常現象、オカルトのすべては人間が認識できない、五感以外の感覚がなければ知覚できず、その存在に気付けない―――そういった類のトンデモ理論の先にあるものだ、と。


「なんて、今のはただの例え話ですけどね。流石のボクも鵜呑みにはしていませんし、いくらなんでもその理論はおこがましいにも程がある。人間がいなくたって、観測者がいなくたって、この世界は成り立っている。“音”も“色”もあるに決まってます。だから仮に、人間に認識できないものが存在しているとしても、ボクはその存在そのものを否定する気にはなれない……これはそういうお話です。遠回しになりましたが、だからこそボクはオカルトが好きなんですよ」


「あー、まあ言いたいことは解る。オレはオカルトなんて信じちゃいねーけど、だからといって自分の理解できないもの、認識できないものに対して頭ごなしに否定するつもりもない。わからないことはわかるようにする。認められないことはそのままにしない。それぐらいの気概はあるつもりだぜ、オレも」


「ふふっ、なるほど。ユウリ君は案外、探偵気質なのかもしれませんね」


 何故か嬉しそうに笑う浦島。

 方向性は違うけれど、オレたちはどこか似た者同士なのかもしれない、と思った。


「なんつーか。夢見が消えたり、それを忘れたヤツがいたり、時間がすっ飛んだり、おかしな村を見つけたり。ここまで奇妙な体験ばっかりで感覚が麻痺してきちまってるかもしれねーけど、敢えて言わないようにしてきたことがあるんだよな」


「……それは、いったい?」


 ずっと頑なに否定してきたこと。

 それだけはあってはならないと、オカルトなんかよりもよほど受け入れがたいものだと、オレがここまで口にしなかったこと。


「夢見は帰っただけで、あの人は忘れたフリをしていただけ。あの地下通路もホントはかなりの時間歩いていただけ。この村は神域でもなんでもない、ただの廃村。おかしいのは世界じゃない、オレたちの方なんじゃないかって」


「……ええ、そうですね。ボクも同じことは考えました。だからこそ捜していた。諦めるワケにはいかなかった。これがオカルトなのかどうか、それを確かめなければならない……そうすべきと感じたのは、どこまで行っても自分のためだったのですから」


「これがオカルトじゃなく、ちゃんとしたトリックや理論で説明のつく事象であって欲しいという気持ちもある。だからこうして疲れ果てるまで歩き回ったってのになあ」


 結果は惨敗。

 なにひとつとして解明には至らず、事態が解決したワケでもない。


 正直、お手上げだ。

 ここにまともな人がいたなら『とりあえず、いっかい精神病院で診察を受けた方がいいのでは?』なんて嘲笑混じりに口出しされるに違いない。


「これが超常現象だと信じれば辻褄の合うことばかりですからね。無理もありません。けど―――」


 隣に座り込んでいた浦島は、唐突に背伸びをしながら立ち上がって、


「―――諦めるつもりはない、でしょう?」


 不敵な笑みで、澄んだ瞳でまっすぐにこちらを見据えて、そんなことを言ったのだ。


「ああ、当たり前だ。さっさと夢見を捜し出して、こんな場所からはおさらばしてやるさ」


「ですね。……と言っても、調べられそうな場所は一通り調べ終わりましたし。これからどうすればいいのやら」


「んー。なんか、神隠しとか伝承について、他にヒントになりそうな情報とかねーの?」


「ヒントと言われても。ボクが知っているのは伝承のうたくらいのものです」


「……なにそれ、初耳なんだけど?」


 伝承というものがどのような形で残っていたのか、それすらオレは知らなかった。

 夢見なら詳しく知っていたのかもしれないが、オレはただアイツの話を雑に聞き流していただけ。


 オカルトの知識なんて必要ない、そう突き放すような段階はとうに過ぎている。

 理解できず、認められないからこそ、向き合わなければならないことだってあるのだから。


「ええとですね、それはこんな詩で―――」


  ◇◇◇

 

 おいでやおいで、迷いの子。

 ここは神域しんいき現世うつしよならざる世界。

 

 どこよりも遠く、どこよりも近い、現世げんせの裏側。

 君たちには見えないけれど、私たちには見えています。


 忽然と姿を消した者たち、忘れ去られた者たち。

 取り戻したいのならどうぞこちらへ。


 嘘偽りのない者だけが許される、神様の領域へ。


  ◇◇◇


「―――と、まあ。こんな感じだったと思います」


「なるほど、“神域”ってのは詩の中にあった単語なんだな。忘れ去られた者たち、ってのはわかるけど、嘘偽りのない者ってのはなんだ? なんかの比喩?」


「言葉そのまま、神域へ辿り着くための条件みたいなものでしょう。ボク自身、今回は前もって神隠しに遭わないように気を付けて来ましたが、ここが神域だとするとボクの予想は間違っていたことになりますね」


「え、気を付ける……って?」


「それは―――」


 その時だった。


 ガサッ、と背後から草木をかき分けるような音が聴こえてきた。

 それも継続的に、段々とこちらへ近付いてくるかのように、音がどんどんと大きくなっていく。


「―――センパイ、静かに。誰か、来る……?」


 小屋の陰に身を潜めるようにそっと移動して、オレと浦島は音の鳴るほうへ視線を向けていると、


「あれは……男の人、ですね……」


 浦島がそう口にして、オレもその人影に注視する。

 すると、そこにいたのは―――


「あれは……!」


 短い黒髪をツーブロックに仕上げた高身長イケメン男子―――が、村の奥へと向かっていく姿があった。

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