第39話 逃逃

 只管に逃げる。逃げ惑う。根源的な、死への恐怖、あの男の一閃により生じた明確な終焉な感覚が今も肌を伝う。

 度重なる肉体の根幹の緊急脱出、進化により、既に肌は融解し皮膚や骨格はしっかりと形成されていない。生まれたての赤子にも見えるミレーナは先程の万能感を失い地を這いながら敵から逃げようと必死に蠢く。


 膨れ上がった怒りも殺意も置いてきたのか、今は怯えのみが彼女の頭の中を支配する。

 逃げ延びた先はサキノアの街近くの森の中。鬱蒼とした木々に囲まれ、ミレーナは回復のため動物達を一心不乱に捕食する。姿形は本来のミレーナである為か、血に濡れ、獣のように動物を喰らう彼女は先程までとは違う恐怖を感じさせた。


 兎を、狼を、鹿を。ゴブリンを、ホーンウルフを。目につく動く何かはとにかく喰らった。

 ようやく先程の4分の1は回復しようかという時に、またもや目の前に男が立ち塞がった。


 忌々しげにその男を見上げる。その男は先程まで喰らった人間達と少し異なり、片足が銀色の義足でできていた。




△ △ △




 サキノアの街へと戻る前に、ファイの能力を確かめようと近くの森に潜った俺達は、ゴブリンやウルフを相手どっていた。


 流動する水色の皮膚から触手を生み出し、相手の四肢を絡めとると、体の所々に存在する魔物の顔が大きな口を開け動物や魔物を生きたまま食らっていく。

 咀嚼する度に光る何かがファイの口腔内を暴れまわり、次第に弱まっていく。完全な捕食。まさに魂までもが胃の中へと落ちていった。そして喰われた生物、今目の前ではゴブリンが生きたまま頭部を噛みちぎられたが、その顔がファイの皮膚上に現れる。

 そしてファイへの怒りを、恐怖を叫んだかと思うとすぐに消え去った。


 なかなかえげつないな……と思いながら森を歩いていると、目の前に見たことも無い生物が現れた。


 それは子供の粘土遊びのように様々な生物が歪に混ざり合う、肉の塊のようだった。辛うじて4足で歩いてはいるが、その足も狼やゴブリン、さらには人の腕や足が合わさり足の形を成しているだけで、正確には大量の手足で蠢いているようだ。


 自分の悪魔の左腕と何か似たものを感じるな、と考えてながらその生物を見やると、時が止まる。


 その中心、恐らく頭部であろうそこに、俺の見知った存在がいた。


 それは俺が心配していた、あの泣きじゃくっていた女の子。


 ミレーナその人であった。



「……あぁアキくン……コンニちわ?」



 男女、狼やゴブリンの様々な声が混ざりあったノイズのような挨拶が耳を不快にさせる。しかし相手は確実に俺を認知していた。

 まさに肉で出来たアラクネのように、4足で歩く肉の塊の前方に、ミレーナの腰から上が埋まるようになっていた。



「ミレーナ、なのか……?」


「ソウだよ?それ以外ニ何にミエる?」



 自分の体を誇示しながらひらひらと舞うように動く。しかし見上げるほどの巨体である彼女は周囲の木々を薙ぎ倒し、地面を抉っていく。



「私のネ?スキルがワカッたの!もう虐めラレないわ!」


「スキル……?」


「ソウ!」



 そう話すと突如ミレーナの肉塊の一部から光速で触手のようなものが上空へと伸びていく。それは宙を飛ぶ1羽の鳥に巻き付くと、本体部まで引っ張った。鳥が肉体に近づくと肉塊がゆっくり裂ける。裂け目には歯がずらりと並んでおり、どうやら口のようだった。

 ミレーナは鳥を口の中に放り込み、咀嚼する。すると4足の肉の塊の背の部分がボコボコと沸き立つように変形し始める。変形が終わるとそこには、先程鳥が持ちえていた羽が、肉の形をしてそこに生えているではないか。



「私のスキルはネ?食べタモのを吸収シテ自分のものニするの!凄イでしょ?!」



 興奮した口調で俺に問いかけるミレーナ。



「そうだ!……ねぇアキ……?」



 突然艶っぽく、俺に提案し始める。それは俺が想定しうる最も最悪のものであった。



「私と1つニならナイ?」



 ミレーナが俺に襲いかかる。




△ △ △




 ミレーナの残る残滓が眼前のアキに対して覚えたのはかつての憧憬ではなく、極上の餌を前にした本能的な食欲であった。

 アキという存在は禁術により異常な程に魔力が高まっている。加えて片足は独立した魔力を保有するミスリルであり、片腕は別次元の存在である悪魔に類するものへと変質しているのだ。喰らったものを糧に進化を続けるミレーナにとって、これまでの人間や動物とは明らかに一線を画す存在であることに間違いはなかった。

 そして、ミレーナという存在に残るアキの記憶が「手に入れたい存在」であったことが、ミレーナがアキを襲うきっかけともなった。


 肉体を変質させ、大量の肉の触手を生み出しアキを捕まえんと四方から襲う。しかしこれまで幾多の修羅場を越えてきたアキは驚きつつもそれを回避、拘束のため魔法を展開し地面を軟化させ足場を奪う。


 ミレーナは周囲の木々に触手を巻き付け上空へ移動し、瞬時にアキの方向へと移動し直接狙いをつけてくる。アキも後方に下がろうとするが、それを予測していたかのようにミレーナの触手が後ろより迫る。


 強い。アキはこの数手の段階でミレーナが強敵であることを認識した。本来であれば拘束など考えずに無力化するべきである。しかし、ミレーナの表情がそれをさせない。

 前方についている上半身だけのミレーナは、泣いていたのだ。正確には涙は流していない。苦悶か、それとも別の何かか。少なくとも楽ではないだろう。


 そんな彼女を痛めつけることを、アキはすることが出来なかったのだ。



「ミレーナ!!落ち着いて話そう!!」


「アキィィイイイイ!!!!!」



 肉体が膨張し、四足歩行だった肉の胴体から更に大量の手足が生え、高速移動を可能とする。背部からは先程の触手とは打って変わり、ゴブリンや人間の腕が、本来のそれよりも遥かに大きなサイズで生え、アキを襲う。


 アキは咄嗟に地面より土壁を生み出すも容易く壁は破壊される。土煙が生まれ、それに乗じミレーナの背中の腕はアキの胴体を掴み、ギリギリと握る。



「ぐっ……、ミレーナ!」


「さぁ、一緒ニなりマショう!!!!」



 胴体部が人の体を優に超える程に裂け始める。内部には大小様々な歯が所狭しと生え揃っており、今か今かとアキを噛み砕かんと蠢いている。

 この期に及んで、アキはミレーナを直接的に傷つけることを恐れていた。


 それは過去に失ったスクイーの存在、そしてキサが脳裏から離れないからであった。

 短期間でアキは同年代の少女の凄惨な行く末を知っていた。故に、彼女達がミレーナに重なって見えていたのだ。


 一瞬の迷いが生死を別ける。アキは抵抗少なくミレーナに飲み込まれる。


 しかし、この場にいるのはアキ、ミレーナの2人のみではない。

 閃光が森を包む。直後、数kmに及ぶ程の苛烈な爆発が起きた。




△ △ △




 確かにアキを喰らったはず。ミレーナは未だ肉体に残るアキの噛みごたえを覚えていた。抵抗しないアキを捕まえ、口に放り込み噛んだ瞬間、自分を消滅させられるほどの爆発がアキを中心に起こった。

 第六感ともいうべき危機察知により手馴れた根幹部の脱出にて逃げたミレーナであったが、それでも体の大部分は焼け焦げ半ば満身創痍であった。


 煙がはれ、アキの姿がゆらりと見えてくる。アキも多少なり怪我を負ったようで、頭部から血液がタラりと顔を汚している。その血液すらも食欲を唆るのか、ミレーナは目を離せない。しかし、それもすぐに背後の存在にうつった。



 アキの背後には、憤怒の表情を浮かべアキを守るよう触手を展開する、薄水色の精霊がいたのだ。


 その精霊はミレーナがみた今までの存在の中でも明らかに異質であり、先の剣士2人を遥かに凌駕、いや最早水の波紋すら起こらないほどの静寂な気配であった。

 体躯は全盛期のミレーナを遥かに上回り、体のあちこちにゴブリンやウルフなどの魔物が張り付いている。また腹部と思われる場所には口というにはあまりにも大きすぎるモノが備わっていた。


 口部にはギラギラと鋭い牙が生え、また舌は大量の触手が群体となり役割を果たしている。


 本能でミレーナは悟った。この存在は、私と同じ、「喰らう」存在である、と。


 故にミレーナは逃げの一手にでる。逃げて、逃げて。万能感に浸るわりにはすぐに逃げ。逃げ癖がついてしまった彼女にとって、強敵との接戦は最早作戦の一部にすらあがらないのであった。

 肉体を最大限移動に適した体へと変質させる。肉体は極限まで肉を削ぎ落とし、それら全てを脚力を上げるための筋肉に、神経へと変換していった。


 あの精霊が動き出す前に逃げる。


 常人では知覚すらできない速度でミレーナは走り出す。



 しかし、ミレーナの視界が変わることは無かった。


 ゆっくりと地に落ちていく背景はいつしか自らの変質させた脚へと姿を変え、それが最後のミレーナの見た景色となった。




△ △ △




 体が綺麗に真っ二つとなった肉塊を、ファイは見下ろす。


 アキの、主人の思念がファイにはずっと伝わっていた。この少女を助けたい。この少女を、何とか。


 呆れつつ主人の考えを尊重し、手は出さずにいたが、情けにより自分が死にかけるという愚行には流石に介入せざるをえなかったのだ。


 ファイはアキが好きだ。基本的に、アキ以外の生命体にも、存在にも興味はまるでない。


 だからこそ、ファイは何の躊躇いもなくミレーナを殺したのだ。ファイも、ミレーナと似た系統の力を有している。故にミレーナのような存在を意図も容易く殺しえたのだ。



 物言わぬ屍と化した、肥大化した肉の塊から大量の光が溢れ出す。

 溢れ出した光は真っ直ぐ空へと飛んでいこうとするが、それをファイが阻んだ。


 誰も使わないのだから貰ってもいいよね?


 子供ような純粋な笑顔を浮かべ、ファイは大きく裂けた口で光を吸い込む。ファイの肉体に光が吸い込まれる度に、近くで泣き叫ぶ誰かの声が響いていた。


 大量の、まるで湖かと思うほどの光を全て吸い込んだファイはゆっくりと人ほど巨大な眼を閉じる。


 瞬間ファイの全身は光に包まれた。




△ △ △




 目が覚める。空だ。異様なほど空気が澄んでおり、呼吸の度に体が喜ぶのを感じる。


 痛む体を無理やり起こすと、先程ミレーナに喰われかけた森の中であった。あちこちにクレーターができ、木々は無惨にも倒れている。

 ミレーナは一体どうなったんだ?


 辺りを見渡す前に、明らかに無視できない存在が目の前を飛んでいた。

 その存在はまさに「神」、と形容しても過分ないほどの美しさをもち、体の端々が完成された美を体現していた。


 俺はその存在に覚えがある。というよりも肉体が、脳がそれだと信号を放っていた。



「ファイ……?」


「「おはよう、アキ」」



 うっすらと優しげな笑みを浮かべるその存在は、今まで聞いた事のない重なった声でそう微笑んだ。

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