第38話 昇華

 ヨシノブより敗走していたミレーナが感じていたのは怒りの1色であった。


 大量の精霊を喰らうことにより圧倒されるほどの万能感に酔いしれていたミレーナが直後に出会った、今まで見たことの無い強さを持つ存在。

 善戦したつもりであったが、蓋を開けてみれば逃げ帰ることしか出来なかったことが、そしてこの世界に存在する必要のない、ゴミ共を処理していた自分を悪と切り捨てようとした無理解な存在への怒りが、脳内を埋めつくしていた。


 肉体の根幹部、腫瘍が人型になったような見た目のミレーナはサキノアの路地裏へと不時着していた。


 肉体の大半が切り離されたとはいえ、その根幹であるミレーナ本体に大きなダメージはない。彼女は先程戦った強者への怒りを、このサキノアへとぶつけようと考え始めていた。

 立ち上がると、見覚えのある顔の男が驚愕の眼差しでこちらを見ている。



「し……白!?!?こんな色見た事ねぇ!!!」



 男は腰が抜けており、以前ミレーナがみたあの自信満々な笑みはどこかへ消え去っていた。


 かつてその男へ向けていた恐怖は怒りへ、かつてこんなワイ将な存在に怯えることしか出来なかって不甲斐なさへの怒りへ。

 こんな存在がのさばっているこの街への怒りへ。そして、そんな街が存在することが許されている世界への怒りへと、怒りは転がり周りを巻き込み膨れ上がっていく。



「ひぃえあっ!?!!」



 泣き叫ぶ男の頭部を握り潰し表通りにでる。

 ミレーナの姿を見て大半は恐れおののき、その体に付着している多量の血液は容易くパニックを引き起こした。

 逃げ惑う民衆に対してミレーナが行ったのは極めてシンプルな虐殺であった。


 建物を破壊し、瓦礫を振り回し人々の肉体を潰し壊す。鮮血が絵の具のように街を彩り、抵抗しようと武器を持った人間は即座に殺され武器を取り上げられた。

 当然冒険者達も応戦するが、それがミレーナの虐殺に拍車をかける。ここサキノアには精霊使いの冒険者が多く在籍していたのだ。


 当然、対生物であれば無類の強さを誇る精霊を惜しげも無く扱うも全てミレーナに喰われていく。そして比例してミレーナの肉体は膨張し、再生し、進化を遂げていくのだった。


 1人の冒険者がミレーナに果敢に切りかかる。彼はBランク冒険者であり、かなりの実力者であったが、呆気なくミレーナに捕食されてしまう。これがミレーナにとって、そして民衆達にとっての最悪の始まりであった。


 冒険者を直接喰らった時、ミレーナの中で何かの扉が開かれたのだ。




△ △ △




 街全体が、大きな唸りをあげている。そこらかしこは黒煙がもうもうと上がり、皮膚をジリジリと嫌な熱さが広がっていく。風に乗って肉の焼けた匂いが鼻腔を充満する。


 逃げ惑う民衆は既に数を減らし、今や屍を数えた方が早いほど。血は赤黒く染まり、家屋は紙細工のように脆く砕けている。


 かつては、いやほんの数刻前までは栄華を誇るサキノアの街は既に存在せず、今ひろがるのはただの瓦礫の山、そして死骸ばかりである。

 その中心部で、血肉を喰らい雄叫びをあげているのが、この惨事を引き起こした元凶であった。


 突如現れたあの生き物は最初、まるで精肉の塊が人の形を成したような存在であった。所々が蚓のように蠢いており、それが正しく人外の生命であることを視覚的に訴えていたが、それよりも肉体にべっとりと着いた血液と片手に握られた無惨な頭部が街の人々を混乱に陥れた。


 冒険者達は果敢に立ち向かったものの、あの生き物は徐々に皮膚などが生成されていき、いつの間にか本来の姿に戻ったようであった。


 そして、冒険者がヤツに喰われた瞬間から全てが変わった。


 ヤツが冒険者を喰らった瞬間、ヤツの肉体が膨張し、サイズが増したのだ。それを皮切りに周囲の死骸を喰い始めると、すぐに倍ほどの大きさへと変貌を遂げた。


 すぐに竜程の大きさへと変化したら最期。後は冒険者でさえも太刀打ち出来なかった。まさに大きさこそ強さである。街の建物は容易く壊され、人々は抵抗虚しく捕食された。


 すでに表で戦う者も、逃げ惑う者もいない。ただ只管に事態が過ぎ去ることだけを祈る人しか、最早残っていないのだ。




△ △ △




 人を喰らった瞬間に、スキルが変化した。黒字になっていたスキルが判明した時よりも圧倒的な、明確に判断できる「進化」。


 ミレーナが手にしたスキル、正確には進化したスキルは【有無食饌】。肉体、魂の有無に関わらず、生きとし生けるものを喰らい、糧とし血肉へと吸収するスキル。これにより精霊はおろか人間、魔物、生命という形、更には死骸も含めた万物を喰らい、吸収することを可能とした。


 既にミレーナ自身の自我は指先程も残っておらず、スキルにより生まれる強烈な飢餓感と、生命への憎悪が彼女を突き動かしていた。


 スキルによる肉体変化の影響は凄まじく、数々の冒険者を喰らい精霊を喰らい。とうにヨシノブと戦った頃の数段上のステージへと易々と上り詰めていた。


 肉体は生物、というより肥大化した肉の塊であり、あらゆる場所に口がついていた。手足は数百本生え、それらがこの肉塊を持ち上げ移動していた。


 まさに無敵。最強ともいえるスキルと、それにより得た力を奮い続けるミレーナ。新しい獲物を探そうと瓦礫を押し潰しながら移動していると、自身の動きが遅くなるのを感じた。



「ここで止める!!」




△ △ △




「全く……とんだ化け物がいたもんだぜ……。」


「無駄口叩いてないで戦うわよ!」



 俺とカティはここサキノアはアゴイニア学園で魔法について学ぶ予定だった。街で学園との交渉を考えていると、気付けばこんな化け物が現れた……と。


 目の前に対峙する化け物を見る。


 大きさは見上げるほど、一瞬山か何かと勘違いするほどの大きさであり、今も尚膨張し続けている。どうやら人の死体を食らうと体がデカくなるらしい。……なんとも最悪なヤツだ。


 見たところ動きは緩慢で、視覚が無いようだ。その代わり触覚がとてつもなく敏感なようで、地面の振動や微細な音で獲物を感知していた。

 肉体にはあらゆる所に口がついており、どの箇所からでも獲物を喰らわんと涎を垂らしている。


 

「カティは触覚を無くしてくれ、俺が上から全力で叩き切る。体の中心部に核か何かが無いかそれで探ろう。」


「もし無かったら?」


「……ある、ある事を願おう。出なければ全員あの世行きだ。」



 俺はデカブツへ向かって駆け出す。カティも同時に魔法を展開していく。カティが持つ【感覚魔法】は感覚に特化したスキルであり、バフデバフ両方を兼ね備える優秀なスキルだ。

 味方の五感を強化したり、相手の五感を衰退させたり。第六感を擬似的に得られるらしい。

 今カティが行ったのは感覚遮断で、デカブツの触覚を遮断させた。


 既に魔法は行使されており、デカブツの触覚は一時的に消えてはずなのだが動揺どころか反応すら窺えない。……もとより触覚はないのか?


 思案しつつ俺は肉体全体に魔力を浸透させる。




 ホランドはアキとのゴブリン狩り以降この魔力による身体強化を自分なりに研究、練習を重ねていた。それにより極めて強力なものへと昇華させることに成功していた。


 ホランドが練り上げた魔力は、魔法スキル持ちであるカティを遥かに凌駕するもので、その全てが筋繊維や骨、神経に染み渡っていく。より強靭に、より強固に。明らかに今のホランドの肉体では到達しえない身体能力の極地へ、今この瞬間だけ上り詰めていた。

 急激な肉体の変化、そして許容範囲を優に超える負荷が全身を襲う。思わず顔を顰めるが、すぐに真剣な表情へと戻る。


 ホランドが得たこの魔力による身体強化。肉体を強くするだけではない。圧倒的な再生能力をも実現したのだ。


 アキと病室で腕を治した時から、身体強化による肉体の負荷も治せるんじゃね?という安易な発想から実行に移すと見事成功。さらにそれが超回復として作用し最早魔力を流していない通常時すらも強靭な肉体を手に入れた。




 ホランドがミレーナの上空をとる。未だホランドの存在にミレーナは気づいていない。


 腕の血管が、筋肉がブチブチと音を立てながらイメージした軌道を描く。その瞬間にもホランドの肉体は再生と破壊を繰り返していた。



 魔力により練り上げられ生まれた究極の肉体が、蠢く肉塊に向かい剣を振るう。



 剣先は既にホランドの元へ返ってきていた。嵐の前の静けさというべき沈黙が一瞬起きると、すぐに爆音と共に衝撃波が街を襲う。


 ミレーナの肉体はなんの抵抗も見せずに2つに切り離され、起きた衝撃により断面はズタズタになっていた。


 真っ二つに別れた肉塊の中央部には、赤子のように蹲る元のミレーナの姿があった。



「あれが根幹……かって……女の子!?」


「ホランド!!今よ!!」


「お前今って……女の子だぞ!?」


「そんなこと言ってないで早くそいつを……ほら!!」



 ホランドとカティが言い争う隙を狙ってか、生存本能に従ってかミレーナは根幹部である元の姿をした肉体をまたもや遠くへと射出させる。


 ホランドは先程で全力を出したためすぐさま反応出来ず、見送ることしか出来なかった。



「ほら追うわよ!!」


「おっおう!」



 2人はミレーナが向かったであろう方角へと走っていった。

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