第3-23話 異能は愛をこいねがう:上

 アマヤが目の前から消えた時、ナツキの全身が索敵開始。

 それは鬼としての本能。絶対に人間を逃さず、全てを狩り尽くす強者としての本能が消え果てたアマヤを探すべく、気配をたどった。


 【鑑定】スキルの表示にも似た大きな矢印の表示が視界に表示されて、その後をナツキが追いかけようとした瞬間に……ナツキの前にホノカが現れた。


「……ナツキ。私の声が聞こえる?」

『危ないから下がってろ』


 ナツキはそう言ったが声はくぐもってしまって、上手く言葉にならなかった。


「〈さかづき〉が顕現したわ。〈さかづき〉じゃなくて……本当は、〈ブック〉だったし、あらゆる願いが叶うってのも、話と違うところもたくさんあったわ。……でも、それでも、願いは叶う。だから」


 ホノカはそう言いながらナツキに近寄る。


『なら、良かった』


 ナツキはそう言うと、アマヤのところに向かうべくホノカに背を向けた。

 

 〈さかづき〉が顕現したなら、願いは叶う。

 ホノカ、ルシフェラ、アカリ。彼女たちはそのためにあらゆるリスクを抱えて今まで戦ってきたのだ。


 それに、ヒナタやユズハだって、土壇場になったら叶えたい願いの1つや2つくらい出てくると思う。


 彼女たちがその願いを叶えるために、彼女たちを守らなければならない。

 守るためにはあの“天原”を殺さなければならない。


「もう、良いの。ナツキ」

『…………?』

「戦わなくて、良いのよ。ナツキ」


 何を言っているんだろう?

 ナツキは不思議に思い、思わず足を止めてしまった。


 止めざるを得なかった。


 戦わなくて良いはずがあるわけがないのだ。自分が何もしなければ彼女たちは殺される。『緊急クエスト』は異能狩りハンターを殺すことに変わっており、そこから秒数を1秒も刻んでいないから、これ以上はループをしない。


 しないのであれば、失った命は〈さかづき〉に願うことでしか戻ってこない。

 だが、それをすれば誰かの願いが叶わなくなる。


 それは駄目だ。

 

 一体どれだけの思いで彼女たちが〈さかづき〉の争奪戦ゲームに参加していたのか、それを知らないナツキではない。


 だからナツキはアマヤを殺さなければならないのだ。


「……ナツキがこんなことになったのは、私たちが弱かったから」


 違う、とナツキは叫んだ。


 それだけは違う。

 彼女たちが弱かったからではない。


 自分の心が甘かったからだ。だから数多くの失敗をした。

 だからもう失敗しないために、ナツキは誰かを殺す道を選んだのだ。


 だが、その全てが声にならなかった。

 黒い何かに覆われて、言葉はうめき声のようなおどろおどろしい声にしかならなかった。


「私たちは……ナツキに全てを頼ってしまった。ナツキが強くて、なんでも出来て、ナツキがいれば……どうにかなるって、思ってしまったから……」


 それで良いじゃないかとナツキは言いたかった。


 ナツキは生まれて初めてホノカに全てを受け入れてもらえた。

 だからナツキはホノカに何かを返したかった。


 そのために、そのためだけに〈さかづき〉の争奪戦ゲームに参加したのだから。


 だが、結局ナツキは彼女に何も返せなかった。

 命を無残に散らさせてしまった。『クエスト』は彼女を殺せと言ってきた。


 その全てが彼に無力さを叩きつけて、心を蝕んだ。


 だから異能を殺した。


 殺した時に、最初からこうしておけば良かったのだと思った。

 そう思った時に力が溢れてたまらなかった。心の枷が無くなって、どこまでも飛んでいけそうなほどに心地よい気持ちになった。

 

 そして、ようやくホノカに何かを返せたと思った。


「……ごめんなさい、ナツキ」


 ぽつり、とホノカが小さく漏らした。


「私たちがあなたにそんなに背負わせてしまってるなんて……」


 背負っているなんて思ったことなどない。

 ただ、これは自分が勝手にやっていることだから。


 あともう1人だ。


 あと1人殺せば、全てが終わる。

 終わらせてみせる。


 ナツキの意志は固く、何物にも壊せない。

 だからその両手がしっかりと握りしめられると彼の身体が空に飛び上がった。


「……っ!」


 行ってしまった。


 ホノカの頭が真っ白になる。このままでは彼はアマヤのところに行くだろう。そうなればナツキを人間に戻すことが叶わない。“天原”は怪異モンストルムを祓うために存続してきた一族。どれだけの犠牲を払おうとも、ナツキを殺すだろう。


 だからナツキを止めないと行けないのに……っ!


 ホノカの頭がとりとめのない思考で溢れたその瞬間、彼女の足元からぬるりとルシフェラが現れた。


「アカリたちが交渉に成功した」


 その言葉の意味を少しの時間をかけて理解して、


「……本当!?」

「もう少し時間を稼ぐぞ、ホノカ」


 ルシフェラの言葉にホノカの目の色が変わる。


 ならば、絶対に止めなければならない。

 

 自分の恩人を、初めての友人を、そして好きになってしまった人を、殺させないために。


「……ルシフェラ、ナツキを止めないと」


 考えている時間はない。

 動きながら考えるのだ。


「先回りするぞ。飛び込め、ホノカ」


 ルシフェラの足元で闇がうごめくと、彼女はそのまま下に落ちた。ホノカもその後ろを追いかけるようにして闇に落ちる。次の瞬間に飛び出たのは、ナツキの真正面。


「止まって!」


 ホノカはそう叫んだが、ナツキは無視。

 端からホノカのことなど眼中にないのか、凄まじい速度で駆け抜けていく。


「……っ! 『迷ってY』」


 ホノカがルーンを描いた瞬間、ナツキがあらぬ方向に飛び去った。

 だが、これで稼げる時間などそう多くない。すぐに無効化されるだろう。


「どうする!? ホノカ!」

「……もう一度、お願い。次で止める」

「分かった。だが、これで失敗すると次はないぞ!」


 そういうと、ルシフェラが再び闇を生み出してくれた。


 そこに飛び込みながら、ホノカはルーンを描いた。


 最初に描くルーンは『勝利T』を意味する軍神のルーン。


 5分という短い時間だけだが、己の全ての能力を底上げしてくれるそのルーンを使って、ホノカは加速していく体感速度の中で、再び次のルーンを描いた。


 次なるルーンは『魔力増加S』と『神速M』。

 その重ねがけによって、さらに世界が引き伸ばされる。


 ホノカはほぼ停滞したように感じる世界を横目に、ルシフェラの門をくぐり抜けた。世界が暗転。通常なら一瞬だけ暗転する世界も、今のホノカには無限に見える。その間に、更にルーンを重ねがけした。


 運命を意味する『幸運P』のルーンを。


 その瞬間、脳がバチッ! と焼き付いた。

 信じられないほどの痛みが走った。


 今のホノカの技量ではこれ以上、自分へのバフはできない。

 〈さかづき〉の断片ページを失った彼女に残るのは無能な魔女ウィッチという事実だけなのだから。


「……もし、私が異能じゃなかったら」


 ホノカとナツキ以外が完全に止まってしまった世界の中で、彼女は言葉を紡いだ。


「きっと、これ以外の方法で止めたんだと思う」


 ホノカが出現したのはナツキの真正面。

 距離にしておよそ40mは離れているだろうか。


「でも……私は異能だから。私には、これしかないから」


 ホノカの手がまっすぐ伸ばされる。

 それは銃身。ナツキに向かう一本の槍。


「止まって、ナツキ」


 そしてホノカは世界にルーンを刻み込む。


「『穿ち抜けU』ッ!」


 キュドッッツツツ!!!


 ホノカの指先から放たれたエネルギー弾は彼女による数々の上昇効果バフによって威力と速度を上乗せされると世界を切り裂いて直進ッ!


 まっすぐホノカに向かって走ってきたナツキを貫かんと飛翔する。

 だがナツキは、鬼は、片手に持っていた巨大な金棒を無造作に振り上げてそれを弾いた。ガスッ!! と、金棒を大きく削って、しかしホノカの魔弾は弾かれた。


 だが、それで良い。

 全くもってそれで良い。


 そこに生まれるのは一瞬の停滞。

 最初からホノカが狙ったのは、それに他にならないのだから。


「ナツキならきっと、金棒そっちで防ぐと思ってたわ」


 ホノカの身体がふわりと宙を舞う。


 もうこれしかなかった。

 正直言って上手くいくとは思っていない。


 破れかぶれの無茶苦茶な作戦だと思う。


 だが、今のホノカはこれに賭けるしかないのだ。

 彼女はそっとナツキに抱きつくように腕を伸ばした。


「……ナツキ」


 いや、違う。


 賭けるしかないなんて嘘っぱちだ。

 これで止まってほしいと願ったのだ。


「好きよ」


 そしてホノカは、そっとナツキにキスをした。

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