第3-06話 憧憬

 空気が凍りついていく。


 急速に周囲の温度が下がることによって、コンサート会場の中は真っ白に染まっていき、吐く息も白く染まる。その中で、ステージの上からルルを見ていたアカリは、彼女の身体が虹色の泡に包まれているのに気がついた。


「難しいんだよねぇ」


 どうやって喋っているのか、どうして声が聞こえてくるのか、さっぱり分からないが、それでもルルはそう言った。彼女の身を包んでいる泡は凍りついていない。それは彼女の『異能』。


 誰かと契約し力を得る『魔法少女ピュエラ』という異能は、に分類される。……しかし、そんなルルの『変身』をアカリが見るのは初めてだった。


「『チーム』を組んでさ、断片ページを奪わせる。でもさぁ、時々いるんだよねぇ。アカリみたいに、あたしに勝てると思う子が」


 ふわり、と全てが凍りつく絶対零度の世界の中で泡が舞う。

 それは見る角度によって色の変わる宝石のような遊色を有していたが、どうにもそれは紅い炎のような色に見えて、

 

「『凍りついて』ッ!」


 とっさのアカリの判断によって、ステージ場に氷の壁ができる。そして、一瞬遅れて、


 ドンッッッツツ!!!


 泡が爆発。


 アカリが生み出した氷の壁は3つの泡の爆破によって強制的に穴が空けられたかと思うと、そこからルルの泡がさらに追加で入ってくる。しかし、穴が空いたということはアカリからもルルが見えるということ。


「ここはあかりの世界シールだよ、ルル!」


 彼女が手を捻った瞬間、バヅッ!! と、地面を突き破って無数の氷柱ツララが出現。ルルの両足をその場に縫い止める。だが、泡は割れない。かなりの強度があるようだ。


 しかし、これなら――!


「落ちて!」


 そういってアカリが指揮者のように手を振るうと、天井に吊るされていた巨大なライトのボルトが緩んで――落ちた。


 ルルは動こうとするが、動けない。

 動くと氷柱つららによって貫かれた部分から、泡の中に絶対零度の空気が入り込む。そうなれば、いかに彼女だって無事では済まないのだろう。


 アカリは自分に飛んでくる泡を避けて、ステージを移動する。だが、そうなった瞬間、氷の壁が死角になってルルの姿が見えなくなった。遅れて、轟音。巨大なライトが地面に落ちたのだ。


 その音だけを聞きながら、アカリは氷の壁を解いた。

 遅れて、ルルの放ったシャボンはステージ場で爆ぜると、無数の水流を生み出して……そのまま凍りつく。アカリが動かなければ、水流と共に凍りつけられて死んでいただろう。


「やるじゃん、アカリ」


 氷の壁を解き、再びアカリが会場を見渡した時……そこには、先ほど変わらない様子で泡に包まれているルルがいた。見れば、巨大なライトはなにかに弾かれたようにルルから遠く離れた場所に落ちている。


「……泡で弾いたんだね、ルル」

「そうだよ、だってあたしは『泡沫の魔女』。ううん、『泡沫の魔法少女スプーマ・ピュエラ』。泡の魔法はお手の物」


 そう言ってルルがアカリにその巨大なステッキを向けた瞬間、ステッキの先がキラリと光った。アカリは背筋を駆け抜けた第六感を信じて、首を傾けた瞬間――そこを、音の速さで何かが通り抜ける。アカリの金の髪を数本持っていって遅れて、ドンッ! と、アカリの後方で音が鳴る。


 果たしてそこには放射状に広がったヒビ。


「これが『泡の弾丸スプーマ・バレット』。どう? 綺麗でしょ」

「……余裕だね、ルル」


 今のがアカリには、見えなかった。

 とっさに首を動かしていなければ、今頃顔がぐちゃぐちゃになってただろう。


 果たして、


「だって、アカリ。弱いもん」

「……ッ!」


 果たして、ナツキだったら見えていたんだろうか。

 

(……っ!!)


 アカリは甘えかけていた思考を戻す。


 自分の人生は自分で切り開くと誓った。

 ナツキに甘えるだけではない。異能として、一人の人間として、自分の力で進むと決めたのだから。


「そもそもアカリの『異能』って戦いに向いてないじゃん?」


 知ってる。


「SNSで目立つのがせいぜいの異能でさ」


 それも、知ってる。


「なんであたしに勝とうと思ったの?」

「……あかりは、可愛いから」

「?」

「あかりが可愛いって、誰よりもあかりが思うために……あかりは、ルルを倒すんだよ」


 息を吐く。息を吸う。

 冷たい大気が肺を刺す。


 バキ、と音を立てて氷の剣がステージ場に現れた。

 

「だから、ルル」


 アカリは、ナツキの見様見真似で剣を構えた。

 

【剣術】スキルなんて、持っていない。

 剣なんて、振ったこともない。


 でも、ナツキと戦った。

 ナツキの戦う姿を、誰よりも近くで見ていた。


 だから、考えた。


「ここで、死んで」


 【氷属性魔法】とは、どういう魔法なのだろうか、と。


 『氷』とは水の凍った姿……つまり、個体状態である。

 だからこそ、アカリはどこからか生み出されている氷だけでは説明できない魔法に不思議に思うことは少なくなかった。


 例えばそれはアカリが自らの『シール』に異能を持ち込んで使う『絶対零度アブソリュートゼロ』の魔法。


 これは世界を絶対零度、すなわち-273.15℃へと変貌させる魔法である。

 ではなぜ、それ以上温度は下がらないのか。そんなものは決まっている。その温度で分子運動が静止するからだ。


 故に、絶対零度。


 これは明らかに水を使っていない。

 ただ、世界の温度が下がっているだけだ。

 

 だから、あかりはここに自らの魔法を見出した。

 【氷属性魔法】とは、氷を操作する魔法とは別に分子運動を操作する運動なのではないだろうか、と。


 実際、【氷属性魔法】がどんな魔法なのかなんて、【鑑定】スキルを持っておらず魔法について学んだことのないアカリには分からない話だった。


 だが、あの日……勇者に襲われ、断片ページを奪われ、知らない学校の屋上に転がされていたあの時、世界を切り裂いた閃光が、アカリの脳を焼いたのだ。


 そして、強く憧れた。


 だから、実際のところなどどうでもいい。


 ただ術者あかりがそうだと思ったのだ。

 術者あかりにとって【氷属性魔法】とは、そうあるものだったのだ。


 だから、彼女は……たどり着いた。


 自分の身体に存在する全ての分子運動を一方向へと揃え、加速させる。そして、目標物にある全ての邪魔な分子を静止させうることにより、一瞬で亜光速へとたどり着くその剣術に。


 故にアカリは、駆けた。

 ステージから、ルルのいる観客席へと。


 そして振るった。

 見様見真似で、腰も入っておらず、それでも確かに彼女は氷剣を振った。


 ――ヒュドォォオオオオオオッッッツツツツツツツ!!!


 聞いたことのない轟音と共に、アカリの生み出したステージが木っ端微塵に砕かれる。

 

 そこに斬れぬものは無く、『チーム』最強の異能と言えども、彼女の作った泡だろうとも、


 万象一切をただの一太刀にて断ち切ってしまう。

 故に、その名は。


「……『紫電一閃』」


 ほう、と息を吐いた。

 泡を斬った。ルルの身体を斬った。

 初めて人を斬った。


 それでも、アカリがまだ倒れないのは。


「……やっぱり」


 アカリの『紫電一閃』がナツキと違う点はただ1つ。

 彼女の太刀筋の道中、邪魔な分子の運動は静止させられるため、彼女によって生み出された傷口は絶対零度によって凍りつく。


 だから、アカリの後ろには首と胴体が凍りついたまま絶命しているルルがいるはずだった。


「ルルは、人間じゃないんだね」


 斬れた首を片手でもって、アカリを鬼のような形相で見つめているのは……ルルだ。


「あァ、そうだよ。あたしは人間じゃない」


 彼女はアカリと入れ替わるようにして、ステージ場へと移動していた。今度はルルを照らすようにスポットライトが当てられる。その全てを一身に浴びる彼女の足元には


 そして、ルルは凍りついた部分に泡を生み出すと……そのまま首と頭を繋げた。


「あと2年は熟成させようと思ってたんだけどさぁ……。飼い犬に噛まれて、そのままににしておくってのは……どうにも、飼い主失格だよねぇ」


 バキ……ミシ……と、そう言ったルルの身体が変わっていく。可愛らしい女の子の姿から、見目麗しい――大人の女性へと。アカリはそれに驚かない。何しろこの間見たばかりだからだ。『断空の魔女』が、姿を変えるその瞬間を。


 光のヴェールがルルを纏う。

 

 フリルのついた服も、彼女の低い背を隠すための厚底のブーツも、長いステッキも、その全てが光になって……ルルに纏う。


 そして……再び彼女の姿が顕になった時、思わずアカリはルルの姿に見とれてしまった。


 流れるようなブロンドの髪はゆるくウェーブがかかり、彼女の腰まで伸びている。紅い紅い、宝石のような瞳は獲物を見定めるようにアカリに向けられ、そんな宝石を彩るように長いまつげが重力に逆らって瞳を彩る。


 そして、人の手によって作られたのではないかと思うほどにバランスの取れた身体。びっくりするくらい細いウェストに、その細さを見せつけるような豊かな胸。しかも、ルルはそんな胸元を隠しもしないような大胆な赤いドレスに身を包んで、アカリを見下ろした。


 『魔法少女ピュエラ』が誰かと契約して力を得るのであれば、一体ルルは誰と契約したのか。


「やっぱり、ルルは吸血鬼ヴァンパイア……ッ!」


 彼女は自分自身と


 ニヤ……と、ルルの口角が上がる。

 そこに見えるのは異様に発達した八重歯――いや、牙だ。


「処女の血は至上の甘露。本当は16が良いんだけどさ……うん。早熟も悪くないんだよね」


 そういって、笑った。

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