第2-22話 悪魔の気遣い

 ルシフェラとの契約が終わると、ナツキの手の甲に浮かんでいた魔法陣が消えた。


「これにて、お嬢様とナツキ様の契約が結ばれました。ナツキ様から〈ブック〉への願いを1つ譲り受けた代わりに、我々はナツキ様に労働力を提供させていただきます」


 そういって、エルザは立ち上がって礼をした。


「では手始めにナツキ様。私が、ベッドメイキングを致しますのでお待ち下さい」

「ベッドメイキングって……ウチは布団だけど」

「大丈夫です。お任せ下さい」


 エルザはそういうと、寝室に向かって消えていった。今まではヒナタとくっついていたので客間に布団を2つ並べて寝ていたのだが、今日からはそれも解消ということで久しぶりに自室で寝ようと思っていたのだ。


 エルザにはそのことを伝えていないし、そもそもウチの間取りすら分からないと思うのだが、果たして。


「そう不安げな顔をするでない。エルザはああ見えて我が生まれる前からエルドルート家に仕えている優秀な侍女メイドだ! 身の回りの世話はエルザに任せておけばなんとでもなる」


 自分のことでも無いのに自信満々にそういうルシフェラ。よっぽど彼女のことを信頼しているらしい。


「そういえば、あなた達は〈さかづき〉……いえ、どこで〈ブック〉のことを知ったの?」


 会話の間を埋めるためか、それともホノカは最初からそれを聞きたかったのか、ルシフェラにそう尋ねた。ルシフェラはホノカからの問いかけに、その小さな胸を大きく張って答える。


「〈ブック〉はだな、我の先祖が作ったのだ」

「……あなたの?」

「うむ。エルドルート家に代々伝わる古文書にそう書いてあるのだ。どうだ凄いだろう」

「……そうね。いくら悪魔とは言え、何でも願いを叶える器を作るなんて、ちょっと飛びぬけてるわ」

「じゃが無論、1人で作ったのではないぞ? 人間やその他の多くの者と協力して作り上げたのだ。そう書いてある」


 そういって胸を張るルシフェラは……本当に、自分の生まれに自信があるのだろう。心の底から誇らしげにそう語っていた。だが、ナツキには少しそれが空元気のようにも見えて……心配になった。


 悪魔が人間と同じ感情を持っているかなんて知らないが、もし同じであるなら彼女だって肉親を殺されて自分の家族をめちゃくちゃにされて、何も思わないはずがない。いくら〈さかづき〉を使えば生き返るとは言ってもだ。


 それにナツキが彼女たちの提案に頷かない可能性だってあったのだ。

 もし、そうだとしたら彼女たちはナツキたちの敵になっていたのだろうか。


「〈ブック〉を作る時に関わったのは7人。故に〈ブック〉が叶えられる願いは7つなのだ!」

「へぇー!」


 そう言われるとなんか納得してしまう。

 そんなやりとりをしていると、エルザがリビングに戻ってきた。


「ベッドメイキングが終わりました。ナツキ様、ホノカ様。こちらにどうぞ」

「あれ? 私、名乗ったかしら」

「先ほど、ナツキ様からそう呼ばれていましたので」

「なるほど」


 よく見ているなぁ……と、思いながらナツキたちはエルザの後ろをついて歩いていると、ぴたり、とナツキの部屋の前でエルザが止まった。


(……ちゃんと俺の部屋を当ててる)


 冷静に考えたらかなり怖いことをされているが、エルザは悪魔。別にこれくらいで怖がっていてもしょうがないじゃないかと思っていると、


「こちらです」

 

 そういってエルザがナツキの部屋を開けた。すると、そこには綺麗に整えられた布団が2人分。くっつけて、並べてある。


「……え?」

「では、我々は控えさせていただきます」

「あ、ちょっと!?」


 ナツキがツッコもうとした瞬間に、すっ、とエルザの姿が消えてしまった。

 悪魔なりの気遣いだろうか?


「……ごめん、ホノカ」


 ナツキは戸惑とまどいのあまり、悪くもないのに謝ってしまった。


「う、ううん。大丈夫」

「俺が客間に布団を持っていくから……」


 ナツキは気まずさを埋めるように頬をかきながら、ホノカの分の布団を移動させようと手をかけたら、ナツキの服の裾をホノカが掴んで……引っ張った。


「ねぇ、ナツキ」

「ん?」

「こ、このままでも……良いんじゃない?」

「……え?」

「だ、だって……エルザがせっかく準備してくれたんだし。も、もう時間も遅いし、ナツキも……疲れてるだろうし……」

「いや、俺は……」


 別に大丈夫だぞ、と続けたかったが……それよりも先をホノカが制した。


「だって……ヒナタとは、1週間一緒に、寝たんでしょ?」

「それは……そうだけどさ……」


 ホノカにそう言われてしまうと何も言えなくなってしまう。『愛欲パトスの呪い』のせいで、離れられなかったとは言え実際に1週間一緒に寝ていたのは事実なのだから。


「だから……その、良いんじゃないかって……思うの……」

「……分かった」


 そこまで言われてしまうと、断るのも……いや、断る方が、ホノカを傷つけてしまうのではないだろうか……。


 そんな不思議な直感を、ナツキは抱いた。


「シャワーだけでも浴びようよ」

「……ちょっと待って」


 流石に汗がベタついた状態で寝るのは気分が悪いので、ナツキは簡単にでも身体を洗ってから寝ようと思ったのだが、ホノカはそういって部屋から出ようとするナツキを止めると、優しくナツキの身体に文字を書いた。


「『清めてL』」


 その瞬間、ナツキの全身がすっきりした。汗のべたべたがなくなって、全身の気持ち悪さのような不快感が無くなった。ホノカはその魔法を同じように自分にもかけると、にっこり笑った。


「これで、綺麗になったわ」

「……便利だな」

「うん。でも本当に清めるだけだから……。こういう、シャワーを浴びるのが面倒な時に使ったりはするけど、いつもはお風呂に入るわよ?」


 ルーン文字は便利だなぁ、と思いながらナツキはパジャマに着替えるために部屋の外にでた。一人で着替えるというのも久しぶりの感覚で、そう思ってしまうことが呪いの中にいたのだと、ナツキは再確認した。本当に解呪できてよかったとも。


 しばらく部屋の外で待っていると、部屋の中から「は、入っていいわよ」と聞こえてきたので、ナツキは中に入った。


 そこには……真っ白なローブに身を包んだホノカがいた。ローブと言っても丈は短く、彼女の膝下10cmほど。しかし、袖のほどは7割から8割とローブというよりもポンチョと言ったほうがしっくり来るような……そんな、パジャマを着ていた。


「あ、あんまり見ないでよ……。可愛くないから」


 ナツキが彼女のパジャマに見惚れていると、ホノカは恥ずかしそうにぎゅっと袖を掴んだ。


「いや、可愛いよ?」

「ほ、ほんとに?」

「ほんとに」

「〜〜っ!」


 そんな姿も似合っているので、ナツキは彼女のローブ服を見ながらそう言った。どうにも寝るときも魔女ウィッチというスタイルを崩していない彼女がどうにも愛らしくて、そう思ってしまったのだ。


「ね、寝ましょ。もう5時になるわ」


 ホノカは「こほん」と小さく咳払いを挟むと、ナツキは彼女を布団に促し部屋の灯りを消した。ぱっ、と部屋に暗闇が訪れるとナツキは感覚を頼りに布団の中に潜り込む。そして、そのまま黙り込んだ。


 無言のままは気まずいと思いながらも、しかし寝ると言った手前喋るというのもおかしな話で、結局そのままじぃっとしていると……恐る恐る、ホノカの布団からそっと手が伸びてきて、ナツキの腕にちょん、と指先が触れた。


「……ナツキ。起きてる?」

「うん。起きてるよ」

「……今日は、ありがとね。ナツキ」


 ナツキの腕に触れた指先はそのまま彼の腕を伝っていって、そっとナツキの手首のあたりで止まると優しく握りしめた。


「私、ずっと1人で頑張ってきたの。でも、5年もかかって……集められたのは、10枚ちょっとだったわ。でも、ナツキのおかげで……もう80枚も手に入ったの。あとちょっとで、〈さかづき〉に……届くわ」

「……ホノカが、頑張ったからだよ」

「ううん。ナツキがいてくれたから。本当にありがとう」


 ナツキの手首を握っていたホノカが、そっと身体を横にしてナツキの手首を両手で抱えるようにして……包んだ。


「もし、ね。……もし、〈さかづき〉が手に入ったあとも、その……ナツキが、良かったら……」

「……うん?」


 ホノカはゆっくりと、言葉を選びながら、何かに迷っているようだった。彼女はしばらく黙り込んでしまい、ナツキは彼女が眠ってしまったのかと思ったが……ナツキの手首を掴んでいる手だけが静かに震えていて、彼女の心の準備に時間がかかっているだけだと分かった。


「……もし、本当に……迷惑、じゃなかったら……友達で、いてくれる?」


 ぎゅ、と痛いほどにナツキの手首が握りしめられる。


「……なんだ」


 ナツキは半分眠りながら、ぽつりと呟いた。

 彼女がすごく震えていたから一体どんな話がされるのかと思ったら、


「友達は……ずっと、友達だよ。ホノカ」

「ほ、本当に?」

「本当に」


 ナツキが頷くと、ホノカは手首を握る力を弱める。……その隙に、ナツキはそのままホノカの手を握った。恐怖に震える子供のような手をそっと握って、安心させたかったのだ。


「えっ、あっ、あっ……!」

「おやすみ、ホノカ」

「だ、だめっ! ま、まだ心の準備が……」


 ナツキは照れ隠しのように、そのまま黙り込んで深く目を瞑った。


「うぅ……」


 ホノカは握られた手を払うなんてことはせずに、借りてきた猫のようにじぃっとしてしまう。ナツキはそのまま片手でホノカの手の温かさを感じながら、身体を睡魔に任せていると……次第に、現実と夢の境目が無くなっていき、疲れた身体が布団に沈み込んでいく。


 眠気という巨大な蓋が意識を閉じかかった瞬間に、そっとナツキの唇に柔らかいものが触れた。


「……ナツキが、悪いんだから」


 そう聞こえたのは……果たして、夢だったのだろうか。

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