第2-21話 悪魔と異能

「……誰だ?」


 ルシフェラと名乗りをあげた少女から視線を外さずに、ナツキが静かに問い返す。


「つまらぬことを問うな。先ほど答えたであろう」


 そういって尊大に振る舞う少女からは……あまり、異質なものを感じない。何故だろうか。むしろ、ナツキは彼女からどこか懐かしさを感じてしまうのだ。


(……本当に悪魔?)


 ナツキの腕の中にいるホノカは完全に怯えていて動かない。だが、ナツキにはどうしてもルシフェラが、そこまで危険視するような存在に思えないのだ。


「ふむ? 同類の匂いがするからと、ポルタを通って出てみたが……人間しかおらぬではないか」


 そういって周囲を見渡すルシフェラ。彼女の動きからは敵意を1つも感じない。むしろ、物珍しいものに興味津津な年頃の少女に見える。きっとナツキも、初めて海外に行ったらルシフェラと同じようなことをするのではないだろうか。


 だが、そんな敵意の無い姿を見せているにも関わらず……ホノカは先ほどから全く警戒を緩めていない。むしろ、いつでも空中にルーン文字を描けるように指を銃口のようにルシフェラに向けている。


「……落ち着いて、ホノカ。向こうに敵意はないよ」

「な、ナツキ。彼女は悪魔よ。人類の……天敵だわ」


 そういって指先をルシフェラに向けたまま、強く奥歯を噛みしめるホノカ。


「シエルの言っていたことは、半分正しかったんだわ。断片ページが集まるだけじゃ、悪魔はこっちに来ない。シエルは契約者だから……ッ! 彼女についた悪魔のが悪魔をこの世界に引き寄せたのよ!」


 だが、そんなホノカなど意に介さないようにルシフェラは、たたたっ! と子供のように駆けてナツキたちの前にやってきた。


「そう怯えるな。我は穏健派ドーヴ。人とは対等な契約を結び、我らにとっての利益と人間にとっての利益をともに追い求める悪魔よ」

「……対等?」

「そうとも。人の世を支配して、人を家畜にしようと考える過激派ホークの悪魔もいるが、我はそうではない」


 ルシフェラそういってにっこり笑ったルシフェラの歯は……全てが犬歯のように尖っていた。それは、まるで悪魔のようで、


(……いや、この子は悪魔なんだ)


 ナツキは息を吐いて、刀を納めた。


「それで、その悪魔がなんでこっちの世界に?」

「うむ。それなのだが……」


 ルシフェラはその時、初めて少し言葉に詰まった様子を見せて……黙り込んだ。だが、その時、世界にぽっかりと空いた穴から新しい声が聞こえてきた。


「お嬢様。先に行ってはダメだと申したではありませんか。もし、こちらの世界の出た先に殲魔士エクソシストがいたらどうするのですか」

「む、エルザ! 良いところに来たな!」


 ルシフェラとは違ってかなり成熟した大人を感じさせる声。ルシフェラが我がままなお嬢様だとすれば、それをたしなめる侍女といった具合だろうか。


 果たして、穴から出てきたのはナツキの予想通りに、メイド服に身を包んだ成人女性……少なくとも、そう見える存在だった。穴から出てきたばかりの女性に向かって、ルシフェラは尊大に言った。


「名乗れ、エルザ」

「エルドルート家に長くお仕えしております。侍女メイドのエルザと申します。階位は第一階位ボード。……はて、お嬢様。この方たちは?」

「うむ。同胞の匂いがするから出てみたのだが……どうやら、こやつらの持っている欠片フラグメントに臭いがついているようだ」

「なるほど。そういうことでしたか」


 何を納得したのか分からないが、エルザと名乗った悪魔の女性は……ひどく丁寧に頭を下げて、ナツキたちに頼み込んできた。


「突如現れ、無作法ではありますが我らたってのお願いがあります」

「お願い?」

「私たちに……願いを1ついただくことは出来ないでしょうか」


 と。




 さて、いつまでも外にいるわけにも行かず、ナツキたちは場所を変えた。変えるとは行っても、ナツキは悪魔を連れて自分の家に帰ったわけだが。


「……急に現れて願いを1つくれなんて、いくら悪魔といっても傲慢ごうまんすぎるわ」


 椅子に座ったまま、最初にそういったのはホノカだった。


「それは十分に理解しております。無論、こちらも〈ブック〉が顕現するまで労働力を対価として提供致します。第三階位ルークのお嬢様が、戦闘に関して。日常生活に関しては侍女メイドの私が……あなた方を全力でサポートさせていただきます」


 そういって再び綺麗な礼をするエルザ。だが、


「ルーク?」と、ナツキ。

「……〈ブック〉?」と、ホノカが同時に言った。


 ナツキとホノカが視線をあわせて……ホノカが「どうぞ」という目を向けた。どうやら、先に質問の順番を譲ってもらえたらしい。


「その……ルークってなんですか?」

「悪魔の階位でございます。第零階位レッサーから始まり、第七階位キングまで、悪魔は己の力によって階位が決められているのでございます」

「階位が1上がるごとに大体30倍くらい強くなるのだ」


 エルザの答えにルシフェラが付け加える。


「はい。ですので、第一階位ボードの私より2段階上である第三階位ビショップであるお嬢様は、ざっとですが私の1000倍強いということになります」

「……1000倍?」

「1000倍だぞ!」


 ナツキは疑いの目をルシフェラに向けたが、彼女は偉そうに胸を張り替えしてきた。だが、彼女たちから嘘を言っている気配はない。


(マジでこの小さい子の方が1000倍強いの? ……本当に??)


 疑わしいが、異能は見た目によらないというのはシエルと戦って嫌というほど身にしみたナツキは、ぐっと飲み込んだ。そんなナツキの様子を見て、ホノカが尋ねた。


「それで、〈ブック〉って何?」

「書き込まれた願いを全て叶える万能の魔導書。あなた方はそれを追い求められているのでは?」

「私たちが追いかけているのはあらゆる願いを叶える〈さかづき〉よ? 魔導書なんかじゃ……」


 そういうホノカだが、そのことに関してあまり自信の色は見えない。

 それはナツキも同じ。


 かつて、ナツキも不思議に思ったのだ。

 何故、〈さかづき〉のパーツを紙片ページと呼ぶのだろう、と。


 もし、本当に……〈さかづき〉が杯ではなく、実は魔導書ブックであるのなら。


「……いいえ、どちらにしろ、私たちは全ての願いを叶えることのできる遺物レリックを追いかけているわ。名称も、形も些細ささいな問題ね。ごめんなさい」

「〈ブック〉はかつて1200年以上前に人と人ならざる者グノーシスがともに作り上げた完全なる魔導具です。しかし、私たちは300年前人類に敗北して……それに手をかけることは出来ませんでした」


 エルザがそう言うと、ルシフェラが続けた。


「しかしな! 我らはどうしても、〈ブック〉に頼らなければならないことになったのだ」

「えぇ、お嬢様の言う通り……私たちは、後に引けなくなったのです」

「どういうことよ」


 さっきまで悪魔に震えていたホノカだが、彼女たちに敵意が無いと分かった瞬間に手のひらを返したように交渉に臨んでいる。この切り替えの速さを見習いたい。


「殺されたのだ。父上たちが」

「……は?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、ホノカが問い返す。

 そんなホノカに素早くエルザが答えた。


「旦那様は人と悪魔の関係を対等な物として、悪魔も人も共に生きる道を選ぶ穏健派ドーヴの中心的な悪魔でした。しかし、それをよく思わない過激派ホークたちによって……エルドルート家は、お嬢様を残して皆殺しにされたのです」

「それによって父上の配下の悪魔たちが怒り狂って過激派ホークとの戦いを始めたのだ。そのせいで魔界は真っ二つに分かれて戦いあう大戦中。穏健派ホークを止めるには、父上の存在が必要……しかし、悪魔とて死んだ者を生き返らせることはできない」


 1つ区切って、


「しかし、〈ブック〉ならば、それができる」


 ルシフェラは無感情な顔でそう言った。しかし、彼女の顔の奥に隠された悲しみに気が付かないほど、ナツキは感情が読めないわけではない。そんなナツキの横では、ホノカがぎゅっと手を握りしめていた。


(……そうか、ホノカも)


 彼女は〈さかづき〉を追い求めた人間たちによって、家族を殺されている。きっかけは違うにしろ、ルシフェラと境遇が似ている。


「……アナタたちの話は分かったわ。でも、あいにくと私にはその話に頷けないの」


 そういって、ホノカはちらりとナツキを見る。

 彼女が持っている願いは彼女が叶えたい2つだけ。残る願いの5つの内、4つをナツキが持ち、1つをアカリが持っている。


 だから、ナツキが願いを渡さないとルシフェラたちは〈さかづき〉の願いにありつけない。


 ナツキは悪魔たちにどう答えるべきか迷っていたが、ホノカからのすがるような視線に気がついて……ハッとした。異能と言いながら、非情であろうとしながら、しかし、どうしても非情に徹しきれないのがホノカだ。


 だから、


「……君たちは、悪魔だ」


 ナツキは考えながら言葉を紡いでいく。


「裏切らないという……保証が欲しい」

「不思議なことを聞かれる御仁ですね」


 だが、ナツキの言葉にエルザは微笑んだ。


「悪魔は一度結んだ契約を絶対に裏切りません。裏切りは、人間の最も得意とするものではありませんか」


 そう言われてしまうと、ナツキは何も言えない。


「悪魔は人に契約を持ちかけます。そして、それを破るのは……決まって、人間の方ですよ」

「……分かったよ」


 ナツキは降参と言わんばかりに手をあげた。


「願いは1つで良いんだよな?」

「はい。1つをいただくことができれば……それで」

「分かった。良いよ、1つくらい」


 ナツキの願いは両親の居場所を知ること。

 そして、死んでいたら生き返らせること。


 だから、願いは最低限の2つあればいい。

 そんなナツキの言葉に、ぐいっ! とルシフェラが机から身を乗り出してナツキの手を握ってきた。


「感謝する! ルシフェラ・エルドルートと、ここに血の契約を」


 ルシフェラがそう言った瞬間、ば……ッ! と彼女の手の甲とナツキの手の甲に真っ赤な魔法陣が現れる。


「名乗れ、人間。それで我らの契約は交わされる」

「……八瀬はちのせ、ナツキ」

八瀬はちのせ?」


 ナツキの苗字に、ぴくりとルシフェラは片眉を上げると……、


「良い名前だ」


 そう言って、笑った。


 かくして……ナツキは悪魔と契約を結ぶ契約者になってしまったのである。

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