第26話 異能は愛に溺れてく

 血の海に沈んだアラタはしばらく何が起きたのか分からないと言った感じで放心しており、ナツキが話しかけても反応しなかった。


 もしかして死んだのかと思ったが、「俺が負けた……?」と、うわ言のように繰り返していたので……死んではいないのだろう。ただ、現実についてこれないだけで。


 だが、ナツキは彼をそのままにしておくわけには行かない。

 血でそまった服を持ち上げて、怒鳴どなるようにして尋ねた。


「先生、早く治癒ポーションをっ!」

「…………」


 アラタは何も言わず、じぃっとナツキを見た。


 ……話にならない。


「……ッ! あんたが言い出したんだぞッ! 決闘だってッ!!」


 ナツキの咆哮に、アラタは焦点の合わない瞳を返すだけ。

 もし、アラタが治癒ポーションを手元に持っていたなら、彼の身体を探せば出てくるだろう。だが、『インベントリ』の中に入れていた場合は取り出せない。詰みだ。


 早くだせ、と言いかけたナツキを抑えるように、光がアラタの胸元をおおった。

 そして、そこから……不思議なことに、2つの光のまゆが現れると、ナツキの手元に舞い降りた。


 それを両手で抱えるようにして、ナツキは手をのばすと2つの光の繭が彼の手に触れた瞬間に、ぱっと光が弾けてそこから治癒ポーションと、どくどくと脈打ち続ける断片ページ、それもかなりの数の断片ページがナツキの手元に現れた。


 ナツキは知らぬことだが【宣誓ルール】は異能が決闘を行う際に生み出した、強制契約履行魔法であり、『シール』と同じように共通魔術オープンソースとなって、世界にいる異能たちが利用する絶対的な魔法である。


 なぜこれが世界中で使われているのか。

 理由を説明するまでもない。


 異能は約束をからだ。


 決闘をして負けた異能が「そんな話をしていない」と言い張ることなどありふれていた。だから、この魔法は生み出された。


宣誓ルール】の魔法は決闘を行う前に交わした契約を履行させる。


 そこに一切の妨害魔術は作用せず……例え、敗者が契約は履行されるのである。


 故に、ナツキに負けたことによって心神喪失状態になっていたアラタだったが、その『インベントリ』内に入っていた断片ページと治癒ポーションは魔法の力によって強制的に引きずり出されたのだ。


「……っ! ホノカっ!」


 ナツキはすぐにきびすを返すと、自分が断ち切った旧校舎を足がかりにして2、3歩跳ね……ホノカたちがいる新校舎へと飛び上がった。


「……は、八瀬はちのせさん! ホノカさんが!!」


 屋上にはホノカを抱きかかえて叫ぶユズハと、血まみれにはなっているが顔色と呼吸の落ち着いた様子で、眠っているアカリがいた。


 ナツキは断片ページを『インベントリ』に入れるとホノカに駆け寄って、アラタから入手した治癒ポーションを彼女の口につけた。だが、動かない。彼女は飲まない。口元に含まれたポーションは、しかしだらりと力の抜けた彼女からこぼれていく。


「ホノカっ! 飲んでくれ、頼むっ!」


 ナツキのすがるような言葉に、ホノカは動かない。


 ……どうすれば良い。

 どうすれば彼女は助かる。


 ナツキはポーションを片手に頭を働かせる。


 考えろ、考えるんだ俺。

 俺ならできる。ホノカを救える。


 だが、どうやってッ!


「ホノカ! 君はここまで頑張ってきたんだろ!? こんなところで死ぬなッ!」


 声をかける。だが、届かない。

 彼女はぴくりとも手を動かさない。


「ホノカ……! 起きてくれ!!」


 思わずナツキの目から涙があふれる。


 きっと、ホノカは知らないだろう。分かるはずもないだろう。

 自分ナツキが、どれだけ彼女に救われたかなんて。


 ずっと、ずっと、ナツキは1人だった。

 幼いころに両親が死んで、頼れる親戚なんていなくて、それでも数少ない親戚中をたらい回しにされて。厄介なものを残していったと影で言われた。


 自分が誰にも必要とされてないなんて分かっていた。

 だから、1人暮らしを始めた。


 こんな自分を、認められるなんて自分だけだから。

 ナツキは自分で自分を励ました。


 ただそれだけが、ナツキの支えだった。


 でも、ホノカは違った。

 彼女も、同じだった。


 ナツキと同じように両親を無くし、それでも彼女はたった1人で異能の世界を渡り歩いた。そして、彼女は……ナツキを頼ってくれた。それが、どれだけ嬉しかったかなんて。生まれて始めて、自分も生きて良いと言われた気がしたなんて。


 きっと、彼女には分からない。


 苦しいのが自分だけじゃなかったんだと、辛いのは自分だけじゃなかったんだと、そう思えただけで、どれだけ自分の心は救われただろう。


 もちろん、異能として生きてきたホノカの苦しさなんて……今のナツキを圧倒している。そんなことは、彼だって分かっている。けれど、同じだと思ったのだ。初めて自分と同じ境遇で、同じように頑張っている人がいると知れたことが、どれだけの救いになったのか。


 きっと、彼女は知らないのだ。


 ホノカはかつて、彼に言った。


 一緒に戦ってくれて、ありがとう、と。

 異能の世界で、信じさせてくれてありがとう、と。


 だが、違うのだ。

 彼がホノカを助けたのではない。


 彼女の頑張りが、ナツキを救ったから。

 彼女の熱意が、何よりナツキを貫いたから。


 だから、ナツキは……ホノカを助けると、心に誓ったのだ。


「死ぬな、死ぬな……っ! ホノカッ!!」


 ナツキは彼女の口にポーションを飲ませる。

 だが、彼女は動かない。


 やがて、少女の心臓が停滞を始めたその瞬間に、


『口移しだ、八瀬はちのせ


 勇者の声が、頭に響いた。


「……ッ!?」


 弾かれたようにナツキが声の方向を見る。

 今のは間違いなく、グラウンドで四肢をもがれたはずの男の声だった。


 だが、近くにはいない。

 頭の奥底に響くような、この声は。


『思考伝達だ。良いか、八瀬はちのせ。治癒ポーションを口に含んでも飲まないやつには、無理やり口移しで喉奥に送り込む。そうやって、助けてきた』

「……ありがとう」


 それっきり、彼の声は途絶えた。


 倉芽アラタは、敵だった。

 ホノカを殺しかけたのも、彼だ。


 しかし、感謝の言葉を返さないのは……違うと、そう思った。


「……っ」


 ナツキはすぐにポーションを口に含むと、心の中でホノカに詫びて……自らのそれを重ね合わせた。そして、僅かに空いた口元から治癒ポーションを流しこむ。


 頼む、飲んでくれ。ホノカ……っ!


 そして、わずかにホノカの胸が上下すると、彼女の口の中に送り込んだ治癒ポーションが彼女の中に飲み込まれていくのが分かって、


「げほっ!」


 ホノカは、激しく咳き込んだ。


「ホノカ、分かるか? 俺だ!」

「…………」


 だが、ホノカは動かない。

 かすかに胸を上下させるだけで、目を開かない。


「は、八瀬はちのせさん!」

「残りを飲ませる……っ!」


 ユズハがぱっと顔を輝かせる。


 息の止まっていた彼女が、息を吹き替えした。

 このポーションで、彼女は治るのだっ!


 ナツキはすぐに残りのポーションを口に含むと、ゆっくりとゆっくりと彼女に口移しで飲ませていく。力なく、弱々しく喉を動かして……それでも確かにホノカは飲み込んでいく。やがて、彼女の折れた足が繋がって、無かったはずの右腕が再生される。


 そして、全てを飲み込んだところで、ナツキは口をホノカから離した。


「大丈夫か!? ホノカ」

「…………」


 やはりホノカは声を返さない。

 心配になったナツキがそっと彼女の顔に近づくと、


「…………ナツキ?」


 小さく、弱々しい声で……彼女はそっと、ナツキの名前を呼んだ。


「ああ、俺だ。良かった。良かった……!」


 彼女が目を覚ましたということが、彼女が自分の名前を再び呼んでくれたということが、嬉しくて思わず涙が出てくる。


「なんで、泣いてるの?」

「……何でもない」


 そういうナツキの両目から、涙が溢れる。止まらない。

 それでも良い。彼女は、死ななかったんだから。


「なんでも無いんだ。本当に……!」


 思わずナツキはホノカを抱きしめる。


「ちょ、ちょっとナツキ!?」

「良かった……っ!」

「……もう、どうしちゃったのよ」


 困ったように、そして照れたように……ホノカは微笑んで、そっとナツキを抱きしめた。良かった、良かったと泣き続けるナツキをなだめながら……ホノカはそっと周りを見た。


 瓦礫であふれた屋上と、ズタズタに引き裂かれたグラウンド。

 極めつけは真っ二つになった旧校舎を見ながら、ホノカは首を傾げた。


「……それで、これはどういう状況なの?」


 と。



 ――――――――――――――――


 私が目を覚ましたのは、喉奥を流れていく甘く優しい液体の感触と……唇に触れている柔らかいなにかだった。


 重たいまぶたを開けて半分の目で見れば、目の前には返り血にそまったナツキがいて必死な顔で私とキスをしていた。


 血を流しすぎたからか、頭がぼんやりとしていて……ナツキだ、くらいしか考えられなかったのに液体が身体に入っていくうちに、ナツキが口移しで治癒ポーションを飲ませてくれているというのが、分かった。


 そして、急に恥ずかしくなったけど……身体は相変わらず動かないし、頭も回らない。

 でも、胸だけは……心臓だけは、痛いくらいに強く打って、顔が真っ赤になっていくのが分かる。そして、否が応でも意識してしまう。


 命を賭けても私を助けてくれた……この少年のことを。


 ナツキが必死になって私を助けようとしてくれているのが分かって、言葉にできない温かいものが胸を押さえつけた。


(……ああ)


 ダメだと思ってきた。

 いけないとは思ってきた。


 それを抱くと、戦いの邪魔になるから。

 争奪戦ゲームの、足手まといにしかならないから。


 だから、〈さかづき〉を手に入れるまでは封印しようと思っていた。


 けれど、こじ開けられていく。

 こんな時だというのに……自分のぼさぼさの髪とか、血まみれの顔とかが恥ずかしくなってしまって、ナツキに見せたくないと思ってしまう。死にかけているのにこんなことを考える私を……ナツキは軽蔑するだろうか。


 でも、それでも、にやけてしまうのが抑えられない。力が入らず、口元の筋肉が動かないのは幸運だった。


 ナツキが私を助けに来てくれたことが、助けるために必死になってポーションを飲ませてくれることが……嬉しくて、嬉しくて、たまらないのだ。


(……ナツキ)


 だんだんとハッキリしていく意識の中で、彼の名前を呼ぶ。

 目元に涙をためて、一生懸命に私の名前を呼ぶ彼を見つめる。


 もう、自覚している。自分が、ナツキにどんな気持ちを抱いているかなんて。

 こんなこと、誰に言われなくても分かっている。


 でも、もう少しだけ……倒れた振りをしていたい。


 そうすれば、またナツキがキスをしてくれる。

 魔女はずる賢いものだから、


(……大好き)


 私はちょっとだけ、ズルをする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る