こちら側の人間達

 そこから僕の下水道での生活が始まった。やはり下水道。暮らすために作られたものではないので、数日は違和感が続いた。しかし慣れてしまえば便利なものだ。他の子供たちとも、段々と打ち解けることができた。昌也を除いて。仕事の方は本当に顔が欲しかっただけのようで、あれだけ意気込んでいたのが少し馬鹿らしくなった。しかしこの店とのシステムには驚いた。もちろんあっちも商売でやっているので、ただであまり物を譲ってくれるわけがない。自分達のグループは、残飯を提供してくれるお店に、子供たちを派遣する。そしてその店の雑用を手伝わせるのだ。今時こんな食料で支払われるバイトがあるものなのか。顔役をやっていると言ってももちろん僕も働く。毎回決まった場所で働くわけではないので、いろんな人と知り合うことができた。少し前から僕は出会った人に僕のことを聞くようになった。ある店で働いた時の昼休みのことだ。「お疲れ様、腹減ったろ、これ食え」こんな僕たちにお店の人は賄いを出してくれることが多い。「ありがとうございます。ところですごく変な質問なんですが、僕のこと何か知っていますか?」この質問をするといっつも相手は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。「そりゃ確かに変な質問だ、あんた、俺とどっかで会ったことがあるのかい?」「いや、そういうわけではなくて…」ここで僕はいつも決まった流れで自分の境遇を話す。「ほぉーなるほど、あんたも変な人生やってるね」僕の人生は面白いようだ。「しかし…俺は恐らくあんたと会ったことはないぜ、力になってやれずすまんな。」「いえいえ、こちらこそこんなこと聞いてしまってすみません。ありがとうございます」「いや、しかしあそこならもしかすると…」何かぶつぶつ言っている「心当たりが?」「いや、そういうわけじゃないんだがね、知り合いに顔が広い奴がいて、そいつならもしくは、と思ってな」「そんな人がいるんですか、ぜひ会ってみたいです」「いや、しかしね、あそこら辺はかなり治安が悪くて、こないだも人が刺されたのなんだのが起こっていてね、」僕は藁にもすがる気持ちで店員に懇願する「そこを何とか」「…まあいいだろう。あんたも悪い奴じゃなさそうだしね」「ありがとうございます!」次の日、僕は店員の後に続いて、その人物を訪れた。意外にもその人物は歳は若く、想像していた人物像とは違う感じだった。店員はこんな場所に長くは居たくないと、僕を彼のところへ連れてきたらそそくさと帰ってしまった。彼の仕事を聞いて僕は驚いた。なんと彼は詐欺師をやっているんだそうだ。しかもオレオレ詐欺やマルチ商法などのチンケな詐欺ではなく、信仰宗教を使った詐欺だという。彼は人の心を読むのが上手いらしく、こんな地域にいるような頭の弱い連中を巻き込んで、疑似的な心の支えになり、金を巻き上げるんだそうだ。そんな事をしていたら確かに顔は広くなるだろう。「初めまして、今日はどうしてこちらに?」僕の記憶について話した。すると、「残念だが僕も君のことは知らないね、しかしその症状からすると、その記憶喪失は強いストレスによる物じゃないかな、人は強い恐怖や、目を背けてしまいたくなるほどのことが起こると、そのストレスから自分の身を守るために記憶を飛ばすことがあるんだ」「ストレス、ですか」「でもよっぽどだね、出来事だけじゃなく今まで生きてきた全てを忘れてしまうなんて、これは僕の勝手な意見だけどね、君、その記憶おもいださない方が幸せかもよ」僕はそれを聞いて怖くなった。ただでさえ記憶喪失という自分が何者なのかさえわからない恐怖を抱いて過ごしてきたのに、それすらも自分の身を守るための結果だったとするならば。彼の言った通り、僕は記憶を取り戻さないほうがいいのかもしれない。そう僕の本能が言っているようだった。

 「急に押しかけたのに色々してくださって、ありがとうごさまいました。やっぱり僕はこのまま過ごすことにします」「うん。僕もその方がいいと思うよ」「今日はありがとうございました。じゃあ」「あ、ちょっとまってくれ」「はい?」「君のところまで見送ろう。あの下水道だろう?」「そんな親切にしていただくでも…お気持ちだけ受け取っておきます」「いや、僕は別に親切で言っているんじゃないんだ。実はね、数日前に近くの街の刑務所から死刑囚が逃げた、という話を聞いてね、脱獄犯が逃げ込めるのはこの地域くらいなんだよ、実際」「死刑囚ですか?」「そうさ、どうもずっと自分の無実を主張してるらしくて、俺は騙されたんだ!と言い続けていたらしい」「死刑囚でもそんなこと言うやついるんですね」「しかも冤罪を主張してるくせに脱獄するときは警官を6人ほどあっさり殺しちまったって話だから、もうさっぱりさ、まぁ、というわけでね、この帰り道に君が殺されてしまっても僕的には後味が悪いのさ」「そういうことですか、確かにそれは怖いですね。じゃあお言葉に甘えて」僕は1番近くの下水道管まで送ってもらった。「この中に入ってしまえば、もう大丈夫だと思うけど、くれぐれも用心して帰ってね」「はい、最後まで有難うございます」そう言って別れると僕はみんなのいるところへと向かって歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る