現実逃避
さっきまで降っていた雨は止んだようだ。水溜りでぐしょぐしょになったアスファルトを彼の穴だらけのスニーカーと僕の湿った革靴が進む。どこへ連れて行かれるんだろうか。「きおくなし、あんた、ほんとに何も覚えていないのかね」「はい、今まで何をしていたか、どこに住んでいたのか、自分が何者なのかもさっぱりで。ただ、何かを投げ出して逃げてきた、とだけ…」「そうかい」そこで会話は終わってしまった。かなり歩いた。いつの間にか僕らは赤や緑の電飾に囲まれたネオン街へと入っていたようだ。ひとけはあまり無く、消えた電飾がそのままになっている看板も多い。老人は急に曲がったかと思うとそんな建物の間のほそい路地裏へと進んでいった。簡単についてきてしまったが、果たして大丈夫なのだろうか、道を進むと少し開けた場所に出た。小さな公園のようだ。タイヤとドラム缶の山と共に、ブルーシートや段ボールでできた小屋がある。どうやら僕はホームレス仲間のところへ連れてこられたようだ。公園の隅の方で老人が2人、小さな焚き火を囲んで座っている。「よぉ、元気してるかい」老人が声をかけると、そのうち1人がこちらを向いた。僕はギョッとした。こちらを向いた老人に目玉はなかった。ポカンと空いた穴二つがこちらを見つめる。「あぁ、あんたかい、おい、お客だよ」もう1人の老人がこちらを向く。「この2人は目と耳が互いに使えないんだよ、こうやって2人で暮らしてんのさ」もう1人の老人は耳が聞こえないらしい。「誰かいるのかい?」目の見えない老人が聞いていた。「ああ、あそこの自転車置き場で拾ってきた、きおくなしさ」「どうも」「あんた、記憶が無いのかい?そりゃあ大変だねぇ」僕からしてみればそっちの方が十分大変だろうに、なぜ僕の心配をする余裕があるんだろうか。「お二人はなぜここに?」…野暮なことを聞いてしまったかもしれない「あ、あのすみません、あまり深く考えずに話してしまいました」「はっはっはっいいのさ、そりゃあこんな路地裏の公園なんかで暮らしてたら不思議に思うだろうね、普通の人は。なに、別にあんたが悪いわけじゃない」こんな話をしているとブルーシートの小屋から物音がした。ここにいるのは2人だけでは無かったようだ。「こんばんは」挨拶は帰ってこない。「なんだ、今日も来てるのかい」僕と一緒にいる老人はブルーシートに向かって声をかけた。僕は小屋から出てきた人物を見てさらに驚いた。小屋から出てきたのはなんと僕の半分もないくらいの子供だったのだ。子供はそのまま聾のお婆さんのところへと駆け寄った。僕の驚いている様子を感じ取り盲目の老人は言った。「驚いているのかい?別に珍しいことじゃないよ、あんたと何も変わらない。ただ生まれた時から環境に恵まれなかった子供たちさ、わかってくれたかな、これがわしらがここにいる意味じゃよ」僕は唖然とした。いくら環境が悪かったとしてもここは日本だ、まだ小学生程度の子供がこんな場所にいるものなのか、「その反応を見るとやっぱりきおくなし、あんたは俺に会うまではまともな生き方してたようだね」恐らくそうなのであろう。「おいボウズ、こっち来い」少年は素直に従った。「こいつがいるんならちょうどいいや、おい、目なしのじいさん、こいつ、親は?」「仕事行ったっきりだとよ」「ケッ、どいつもこいつも、ボウズ、お前もついてこい」少年は頷いて僕の後ろにひっついた。「じゃあなお二人さん、元気にやれよ」「小僧、元気にしろよ」目無しの爺さんは明後日の方向へ手を振っていた。
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