心理解剖

 ある日、僕は自分の心にメスを入れることにした。


 僕という人間の裏側にあるものを知りたくなったのだ。


 言葉、行動、思考。


 すべてには理由があるはずで、


 何もないところから生まれるわけじゃない。


 よく使ってしまう言葉があるとしたら、それには理由がある。


 よくしてしまう行動があるとしたら、それにも理由がある。


 思考も同じで、何の理由もなしに頭の中をめぐることはない。


 では、その理由はどこから生まれるのだろう。


 それはきっと、僕という人間の裏側、心理の裏側に潜むものからだ。


 そう結論づけた僕は、心を切り開くためにメスを手に取ったのだった。


 しかし、どのようにメスを入れたらいいのかわからない。


 僕は専門家ではないし、


 参考にできるような本を持っているわけでもない。


 ようやく導きだした答えは、


 僕という人間が形成された過程をたどるというものだった。


 どのような経験をしてきたのか、どのような影響を受けてきたのか。

 

 ひとつひとつを紐解くように、ひとつひとつを指でなぞるように。


 僕のような人間にとって、


 けっして楽しいことにはならないのはわかっていた。


 だが、その程度でためらっていては、


 僕という人間の裏側、心理の裏側を知ることなどできない。


 僕は部屋の電気を消してベッドに横たわり、


 自分の心にゆっくりとメスを入れていった。


 中がよく見えるように大きく切り開いて、


 そこにあるものを手に取って確認していく。

 

 しかし、


 それは心に刻まれていた古傷を自らの手で抉るようなものだった。


 抉られた傷口からは新鮮な血が流れだし、


 耐えがたい痛みが現実のものとして襲いかかってくる。


 忘れていた記憶が鮮明によみがえり、


 幼きころのトラウマが新たなトラウマとなる。


 それでも僕は、さらに奥深くへとメスを入れていった。


 深くふかく、どこまでも。


 その後、後悔しなかったと言うと嘘になる。


 メスを入れた結果、僕は自分という人間の裏側、


 心理の裏側に潜むものを知ることができた。 


 だが、その代償として何年も苦しむことになったからだ。


 切り開いた心を閉じることができず、


 醜い傷跡を眺めては涙を流して絶望していた。


 自らの行いを呪いもしたし、死ぬことも何度となく考えた。


 歩くだけでも切られるように心が痛くて、


 何をしていなくても悲しくてつらかった。


 でも、いまの僕よりは幸せだったのかもしれない。


 痛みと絶望に慣れすぎてしまった心は、あのころよりも醜く歪んでいる。


「自分の心がどうなっているのか、それだけ表現できるのはすごいと思うよ」


 どうして、もっと素直になれなかったのだろう。


 失ったものを取りもどしたくて、血がにじみもしない傷跡をかきむしる。


 あのころの痛みを思い出すために、


 いなくなってしまった「僕」を見つけるために。

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