第2話



 ――――


 去年の3月上旬。俺は第一志望の大学に落ちて途方に暮れていた。


 後期で地元の大学に合格したから浪人にはならなかったけど、ショックを引きずったまま大学生活には全く馴染めず、2回生になった今もそれは変わらない。


 恋人ナシ。友達ゼロ。飲み会アレルギーでサークルにも入れず。なりたい職業ナシ。こんなんで充実した日々なんて送れる筈もなく、まるでループしているように空虚な日々が続く。次第に大学へ行くだけで気が滅入るようになった。


 今の俺は言わば『大学不適合者』。そんな余りに情けない現実から逃避する為、夏休みを利用して母校――――約1年半前に卒業したこの高校へ戻ってきましたとさ。


 もう一度高校生を送りたい訳じゃない。ただ、今より多少マシだった高校時代の自分を思い出したい一心だった。


「暑っちぃ……」


 だけど、早くも後悔の念が陽光に混ざって襲ってくる。なるべく目立ちたくないからって理由で、当時の制服をわざわざ引っ張り出して着てきたのがマズかった。夏服でもやたら暑く感じる。


 この人気のない空き教室にはエアコンもない。あったところで使う訳にもいかないけど……何もかも裏目だ。


 母校の空気を吸えば、昔の自分を取り戻せる……なんて甘いものじゃないのはわかってた。でも懐かしさすら感じないのは誤算だ。それくらい、過去の自分と今の俺は乖離してしまってるのかと思うと何だか泣けてくる。


 ……もう1時間もここでボーッとしてたのか。軽く鬱入ってんな俺。


 帰ろう。こんな事していても何もならない。



「あのー」



 ――――そう決意するのを待っていたかのように、引き戸を開ける軽快なスライド音が聞こえた。


「もしかしてここ、何かに使ってます?」


「あ、いや……」


 まさか声を掛けられるとは思ってなかったから、思わず狼狽えてしまう。しかも女子。そして可愛い。アッシュブラウンのセミロングが昼下がりの教室に映えて、妙な威圧感を与えてくる。


 マズい。ここって何かの部活の部室だったっけ? 俺の記憶違いだったか? それとも卒業後に使われるようになったのか……? とにかく謝らないと――――


「すみません! ここ、俺がいた頃は空き教室だったから……」


「はい。空き教室ですけど」


 ……ん?


「別に私、部活でここを使うとかじゃないですよ。一人になりたい時とかに、ちょっと休んでるだけで」


 セーーーーーフ! 危うく後輩の部活を邪魔するモンスター卒業生になるトコだった。それもう黒歴史越えてグロ歴史だよね。


「それよりさっき、『俺がいた頃』って言いませんでした? もうこの学校にはいないって事ですよね?」


 わーお。一難去ってまた一難。動転してたとはいえ余計なこと口走っちまったな……


 もし素性がバレたら不審者扱いは免れない。最悪、通報される恐れもある。在校生じゃないのに制服着て教室にいる奴って、客観的に見て怖いもん。何とか誤魔化さないと。


 在校経験があるけど今は通っていない、でも制服は着ている。この条件を満たせるのは――――


「転……校?」


「え、私に聞かれても。転校したんですか?」


「そうそう。転校転校。新学期から別の高校に行くんだけど、ちょっと名残惜しくて」


 我ながら苦しい……心にもない事を言う時につい同じ言葉を二度繰り返すって言うけど、あれ本当なんだな。


 でもこれならギリ辻褄が合う。ここはもう押し通すしかない!


「……ふーん?」


 ヤッバ。明らかに信じてない御様子。値踏みするような、それでいて好奇心を擽られて楽しそうな、なんとも言えない……小悪魔のような笑みだ。


「環詩羽です。環境の環でたまき、詩人の詩と羽でうたは。一年です」


「へ?」


「へ? じゃないですよ。自己紹介。ほら早く」


 急になんだ? 自己紹介? もしかして『親しくなりませんか』ってお誘い?


 ヤバいな。もし俺が今も高校生だったら早速恋に落ちてるよ。顔も可愛いし愛嬌あるし。


 でも今の俺、女子高生と親しくなれる立場じゃないんだよね。だって大学生だもの。普通の大学生として出会ったならまだしも、高校時代の制服着て母校に潜入した大学生だもの。


 後々の事を考えると、本当は名乗らない方が良いかもしれない。でも……ここで名乗らない方が遥かに怪しいよなあ。


「的野悠生。悠々自適の悠に生きるでゆうせい」


「よろしくお願いしますね、的野先輩」


「あ、うん」


「へー、やっぱり先輩だったんですね。思った通り」


 うわっ、カマかけられた! 可愛い顔して食えない子!


 それにまたその笑み……含み笑いとも冷笑ともニヤニヤとも違う、『笑顔』っていうより『笑み』って言葉がしっくり来る、なんとも名状し難い表情。この顔で見下ろされると、意識が吸い込まれそうになってしまう。


「で、何年生なんですか?」


 やけにグイグイ来やがる。これもう間違いなく正体曝きに来てますね。


 警戒している様子はないから、不審者とは思われてなさそうだけど……いや、わかんないよな。単に怖いもの知らずかも知れないし。


 ここはなんとか穏便に切り抜けないと……


「二年」


 嘘は言ってない、嘘は。大学生だからって二回生と言わなきゃいけない訳でもないし。


「ふーん。二年。へー」 


 何その『上手く逃げましたね』みたいな顔。既に名探偵の風格なんですけど。


 まさか、俺が大学生だって事に気付いてるのか……?


「あー……それじゃ俺、ちょっと用事あるから。ごめんね、なんか邪魔しちゃって」


 せっかく女子とお近づきになれるチャンスなんだけど、それより色々曝かれそうって恐怖が勝ったここが潮時だ。


 夏休みに一人で学校を彷徨いているくらいだし、彼氏はいないのかもしれない。可愛い上にフリーの可能性がある女子なんて激レアなんだけど……そもそも大学生が高一女子を異性として見る時点で気持ち悪いよな。未練がましくアレコレ考えてないで、とっとと消えよう。


 鬱屈した日々の良いスパイスになった。これ以上望む事は何も――――


「明日もまた来ますよね?」


 ……はああああああ!?


 嘘だろ? 何なのその付加疑問文。逃がさないぞって意思表示?


 もし不審者だって疑ってるのなら、下手に俺を刺激せずに帰すのが正解の筈だよな……一体何が目的なんだ? わからない。全然わからない。


 どうする……? このまま帰って二度と会わなければ、彼女の中で俺は限りなくクロに近いグレー。既に名乗っちゃったし、卒業生名簿で身バレしかねない。『制服着て高校に潜入したヤバい卒業生』として学校に汚名を残す可能性も……


「よね?」


 今までで一番可愛くて一番邪悪な笑み!

 

 こんな顔で凄まれたら、もう抵抗できないじゃん……


「まあ……気が向いたら」


「それじゃ、また明日ですね。せーんぱい♪」


 甘い声だなオイ。ここまで人を追い詰めておいて。


 俺は今日生まれて初めて、小悪魔って本当にいるんだと知った。


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