ループから抜け出せば、あとはもうただのラブコメなのに

馬面

第1話

「先輩って、私のこと好き過ぎじゃないですか?」


 夏休みのとある昼下がり。空き教室に漂う気怠い空気が、後輩女子のこの一言で見事に吹き飛んだ。


「……は? 何バカ言ってんの?」


「いやだって、もう1週間ですよ? 1週間、毎日ずっとここに来てますよね先輩。ここ、私以外誰も来ませんよ? だったら目的は私しかないじゃないですか」


 一応丁寧語は使っているけど、年上を年上とも思わないこの態度。初めて会った1週間前から、この小悪魔な感じはずっと変わらない。


 アッシュブラウンのセミロングの髪、気が強そうでどこか惚けたような目、高過ぎず低過ぎず絶妙なラインの鼻筋、少し薄めの唇、ややほっそりした輪郭。その全てが俺を挑発してくる。もう観念しろと。


 でも屈する訳にはいかない。その明確な理由が俺にはある。決して言えないけど。


 それにこの後輩、挑発的な割に隙も多い。例えば――――


「まあ、確かに好きだけど」


「……え」


 予想外の答えが返ってくると、途端に落胆したような、何処か怯えたような顔になって動揺を露わにする。煽りは得意でも耐性は低い。そういう奴だ。


「いや誤解するなよ? あくまで後輩としては、だからな?」


「はぁ……またそれですか。いい加減苦しくないですか? 顔も好み。性格も好み。会話も弾むし欠点も気にならない。これで異性としては好きじゃないって言われても、全然受け入れられませーん」


「何一つ言った覚えがない! 捏造も良いとこ――――」

「すみません一部誤りがありましたお詫びして訂正します」


 分が悪いのを察して、早々に撤退しやがった。あと一部じゃなくて全部な。


「つーか、マジで『好きじゃないですかー』とか言うのやめて。心臓に悪いから。知らない内にそんな素振り見せちゃってて『何こいつキモ』とか思われてるんじゃないかってビビるんだよ」


「別にキモいとか思いませんし、私『キモ』とか言いませんけど」


「あ、言わないんだ。スゲー良い人じゃん」


「その基準よくわかんないです」


 いやわかってよ。未だにノリでキモいって言う奴いるらしいけど、立派な人格否定だからな? 法律が甘いよ法律が。この忌み語を一刻も早く死語にしてくれよ。


「そんな事よりーぃ。そろそろ教えて下さいよーぉ。通い詰めな理由をーぉ」


 何その甘ったるい語尾。ちょこちょこ仕掛けて来るなあ。


 さて、今日はどうやって躱すか……


「ちょいと後輩さん」


「……何ですかその呼び方」


「確かに俺は1週間通い詰めだけど、それを指摘するそちらさんも同じく1週間連続で来てる訳ですよ。だったら目的は俺以外なくない?」


「なっ……」


「違うのなら具体的な理由をプリーズ。そっちが納得いく理由を説明できないなら、こっちだって言えないなあ」


 自分がイニシアチブを取っている時は強気だけど、一旦守勢に回ると脆い。きっと今回も手を引くだろう。そうやってこの1週間、俺は自分の素性を守り抜く事が出来たんだ。


 俺には秘密がある。逃げ出して来た負け犬の過去が。これを言えば、きっと彼女は幻滅するだろう。そして二度とここへは来なくなる。


 この二人だけの時間を失う事――――それだけは避けたい。


「はー……わかりました。言いますよ言います。言えばいいんでしょ?」


 え、マジで言うの? その辺曖昧なままにしてダラダラ会話するだけの爛れた関係性が良かったのに。


 それが崩壊するのなら、この場所の持つ意味は大きく変わってくる。少なくとも、今の居心地とは確実に違ってくる。良化か悪化かはわからないけど、現状維持のレールからは外れて行くだろう。


 本当に、それで良いのか?


「私は――――」


「ストップ。やっぱいいや」


 気付いたら止めていた。しかも結構必死に。


「……何なんですか」


「いや、なんか微妙にパワハラ感があったかなって思って。悪かった。何か言いにくい理由があるから今まで黙ってたんだろ?」


 俺も事情があってそうしてる訳で、なら当然向こうにも同じ事が言える。無理強いは良くない。


「別にそこまでじゃないですけど。ただ先輩が可哀想だなーってだけだし」


「……は?」


「だって先輩、私大好きじゃないですか。なのに私が来なかったら落ち込みますよね。それだけです」


 はえー、そう来ましたか。絶対嘘なのはわかってるけど、敢えて乗ってやろうじゃないか。


「あーそういう事ね。つまり俺に会う為に来てたのか。わかったわかった。よーくわかった」


「はあ? なんですかそれ意味わかんない。いつ私が先輩を好きになる瞬間とかありました? 何月何日何時何分何曜日?」


 ……ここ小学校なの? 高校だよね?


「絶対違いますから。勘違いしないで下さいね。ホントにもう……」


 どうやら、話を戻そうとするつもりはなさそうだ。今日もなんとか逃げ切れたな。


 でもかなりヤバかった。もし止めてなかったら、確実に俺の素性を話す流れになっていただろう。


 ……そろそろ限界かもしれない。バレる前に離れた方が良さそうだな。


 元々ここは、俺が居ていい場所じゃない。彼女との会話や駆け引きは楽しかったけど、それも潮時だ。


 明日から平凡な日常に戻ろう。刺激も喜びも女っ気もない空疎な生活こそが、本来俺の身を置くべき場所なんだから。


「先輩?」


 まだお互い、名前も知らない間柄。フラッと立ち寄ったこの空き教室で偶然出会って、何の約束もなく集合して、下らない話をする毎日。それくらいの距離感が丁度良かった。


 それで終わりにしよう。明日から、また大学不適合者の平凡な一日が始まる。


「……あのさ。俺、もうここには――――」



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