プリスカ
5z/mez
プリスカ
「あなたが何を考えているのか知りたいわ」
反射的に彼女の方を向く。彼女――プリスカは、私の反応の早さに目を剥くと首元に手をやった。
「……驚かせたかな」
読んでいた本を閉じ、体ごと彼女に向き直る。プリスカはわずかに身を引き、体にかかる鎖が小さく鳴った。
「何が聞きたいんだ?」
驚くほど優しい声が出る。プリスカはきつく眉根を寄せて俯いた。切り揃えられた前髪で愛らしい顔に影が落ちる。傍らに置かれている何本ものろうそくが、彼女の一糸まとわぬ肢体を柔らかく染めていた。
「私に何をしてほしいの」
「何を、とは」
「こんなことをして何になるの」
プリスカは堪えられないというように顔を上げる。小さな水滴が彼女の目元から散った。橙色に煌めくそれは、古びた木の床に落ちて暗く深い染みを作る。
プリスカは全身で憐れみを誘っていた。瞳は蠱惑的な煌めきを湛え、表情を形作る筋の一筋までもが、私の心を動かすべく完璧に配されている。長い髪が落ちる体は小刻みに震え、それを床に繋ぎ留めているのは、女の肌には似合わない、皮でできた大きな首輪と長い鉄の鎖だ。
若く美しい女が、生まれたままの姿で地に囚われている。異常な光景だった。まっとうな精神の持ち主であれば、彼女の求める類の感情を抱かずにはいられないだろう。
私は彼女を見つめた。彼女は美しかった――なお。
「何か……何かあるんでしょう? そうでないのならおかしいわ。どうしてこんなことをするの?」
「服はきみが脱いだ」私は言った。「そして外に放り投げた。畳んでやったのを見ていただろう? きみが着たいなら渡すが」
プリスカの歯が軋んだが、一瞬だった。彼女は視線をさまよわせる。困惑を隠しもしない澄んだ瞳のすぐ裏で、怖気のする闇が蠢いているのがわかった。私の隙を伺っている。
「きみの体など欲しくはない」
言うと、彼女の困惑が一層深くなった。
「自明のことだと思っていたが。そのような誘惑に私は乗れない」
「あなたは私に酷いことをしている」プリスカは言った。「とても酷い、残酷なことをしているわ。あなただってわかっているはず。ただ一言言ってくれたら、それだけですべて終わるのに。それなのにあなたは、被虐的感情からか知らないけれど、こうして私を縛り付けて、無為な時間を過ごさせている。何もできないなんて思わないで。この報いは必ず受けてもらう。必ずよ」
まっすぐな強い視線を、私は静かに受け止める。穏やかな気持ちだった。私の内面を見透かしたのか、プリスカの鼻の付け根に一瞬濃い皺が寄った。彼女の表情は獣じみて見えた。
「もう少ししたら解放するつもりだ。信じてくれなくても構わないが」
「今解放して」
「それはできない」
「どうして」
「……きみはまだ興奮している。もう少し落ち着いてからの方がいい」
プリスカの意識が私に収束し始めた。私たちの間には、それなりの距離が存在しているはずなのに、皮膚のすぐ側に彼女の熱を感じた。彼女の熱。プリスカの熱。
「これ以上ないほど落ち着いているわ」プリスカは言い放った。「少なくとも、ここに来る前よりは――でしょ?」裸のまま、彼女は挑戦的に顎を上げる。
「話もできる。あなたが誰なのかも、何をしているのかもわかってる。でも、あなたが何をしたいのかだけがわからない。どうして教えてくれないの? 私が何をしたって言うの?」
口調は徐々に、哀れみのこもった、懇願するようなものになっていく。私は何も言えない。構うことなく彼女は続ける。その語気は一転、どんどん険悪に、どんどん荒くなっていく。
「あなたみたいな人間は初めてよ。最悪な人間だわ。私が今まで会った中で、最も傲慢で、最も身勝手。神だって見放すでしょう」
プリスカはそこで言葉を切った。いつの間にか、彼女から目を逸らしていたことに私は気づく。彼女は私を見つめていた。大きな目は不気味に丸い。その虹彩は漆黒に染まり、私の視線を受けると一回り大きくなった。
「……驚いたわ」彼女は呆けたように呟いた。「まだ信仰があるのね」
「きみが――何を言っているのかわからない」
私は指先を揉んだ。それは酷く冷えていた。
「ますますわからない。あなたは私にどうしてほしいの? どうして信仰があるのに、私にこんなことをするの? どうして信仰があるのに、私にこんなことしかしないの? 今の私は申し分ないはずよ。あなたの望みを叶えてあげられる。なんでも――なんでもよ。私を好きにしていいのよ。気の済むまで犯していい。体中でしごいてあげる。あなたにまだ信仰があるならなおさら、私はなんだってしてあげるわ。根本までしゃぶり尽くしてあげるのに。あなたもそれを望んでいたんじゃないの?」
言い終わるとプリスカは目に見えて脱力し、がっくりと頭を垂れた。瞬間、先ほどまで間近に感じられていた熱は失われ、代わりに墓場のような冷え冷えとした空気が私を包んだ。
「私が望んでいるのはそんなことじゃない」
どうにか言葉を絞り出した。目眩がする。無垢な唇から発せられる卑猥な誘い。プリスカは私の知る限り、とても純で賢い人間だった。仕方がないこととはいえ、こうまで変わってしまうとは。
「ここから出して」
「まだ駄目だ」
「――出して」
床を掻く音がした。彼女の周りには、特製の染料で陣を描いてあった。彼女の爪では剥がれない――そう言っておいてあったはずだ。
床を掻く音が大きくなった。
「プリスカ」
返事はない。
「やめてくれ。きみの爪を傷つけたくはない」
彼女は勢いよく顔を上げた。目は燃えるようにぎらついている。彼女は歯茎を剥いてうなり、両手の爪で床をガリガリと掻いた。
「プリスカ!」
「その名で呼ぶのをやめろ!!」
ざらついた声は深く地を抉った。気づけば彼女の体は膨張していた。肉が、白い皮膚の下で蠢き、うねり、耐えきれなくなった薄皮に亀裂が走る。彼女の首輪は激しく軋み、鎖は徐々に大きくなる肉のうねりに合わせて波打った。プリスカの肌はあっという間に赤くのたうつ線で埋め尽くされ、その中に、治りかけた――ように見えていた――傷が開くのを認めた私は、抑えきれないほどの虚しさを感じた。
「プリスカ――」
私の声をあざ笑うように、プリスカの口は裂けていく。巨大化した牙が上唇を持ち上げ、体に収まり切らなくなるほどに伸びた切っ先は、彼女の顎を破って外に出てきた。プリスカの肌は、もうほとんどがかろうじて輪郭にまとわりついているといった様子だったが、改めて首輪の前後でぶつぶつと切れた。その奥に、黒い、別の皮膚が見える。髪の毛は彼女の皮と共に裂け、いくつもの束になって顔にかかっていた。隙間から覗く瞳には理知の欠片もなく、より大きく、暗く、歪な粒と成り果てている。肩と足の付け根はみるみるうちに膨れ上がり、彼女はそれらの瘤を軸に四つ足で立ち上がった。
ドンドン、と扉が鳴った。「大丈夫ですか!」若い男の声がする。悲鳴混じりにプリスカを呼ぶ女の声も聞こえた。
混沌を一身に受けながら、私の心は遠くにあった。遙か遠くに。
「なんと詫びるべきだろう――」
「知ったことか! せいぜい貴様の無能を知らしめるがいい!」
指先が、机上に置かれた聖水瓶に触れた。
私の手は未だ冷たく震えていた。悪魔の熱気にあてられているのだ。悪魔の熱はとても冷たく、私を狂わせる。手は思ったように動かず、瓶は床に落ちて割れた。中に入っていた液体が流れて、彼女を取り巻く陣に触れ、その輪郭の一部を歪ませた。
プリスカだったものがこちらを見た。虚の奥に脂ぎった光を湛える、漆黒の双眸。人の形であったときも、そうでなくなってからも、等しく、相反するものを抱えて悪魔の眼は煌めいていた。その光は人間を捕え、動けなくする。私も同様だった。
突然、巨大な音が振ってきた。扉が破られ、なだれ込むように三人の男女が入ってくる。その内一人は教会の人間だった。彼らは死にものぐるいの形相だったが、プリスカだったはずのものを見た途端、蒼白になって足を止めた。
悲鳴と嗚咽がしばらく辺りを支配した。私はいつの間にか、木机にもたれ伏していたらしい。教会の者に支え起こされて気がついた。
プリスカの両親の怨嗟の念はすさまじいものだった。それは四肢を踏みならし、絶えずうなり続けるプリスカだったものと――それ以上に私へと向けられていた。仕方のないことだった。彼らがある程度の落ち着きを見せるまで、私は口を開けなかった。それにはなかなかの時間を必要とした。
後々の些事は教会の者に任せることにした。私にはまだやることがあったし、彼らも私の口から顛末を聞いたところで、怒りが増すだけだろうと思ったからだ。
すすり泣くプリスカの両親が連れ出されていく様子を眺めながら、ふと、やけに静かになっていることに気付いた。うなり声が止まっている。
私は振り返った。
そこにはプリスカがいた。彼女の皮膚は頭の上からつま先までずたずたに裂けていたものの、形だけはプリスカを保っていた。陣の真ん中にへたり込み、こちらを見上げる傷だらけの顔に浮かぶあどけない表情には、紛れもないプリスカの面影がある。
「プリスカ!」
両親も彼女に気がついた。思わず駆け寄ろうとして、隠しきれない化け物の名残に足が止まる。彼らは陣のぎりぎりで踏み留まった。
「……プリスカなの?」
母親が震える声で尋ねた。プリスカは声の主に視線を向け、小さく口を開いた。
「ええ、ママ」
母親は両手を口で覆う。堪えきれなかった嗚咽が指の狭間から漏れた。父親はこちらを向いて声を上げる。
「神父様!」
室内の誰もが私の様子を伺っていた。私が一言「良い」と言えば、親たちはすぐさま陣を越えるだろう。私はプリスカを見つめていた。自身から完全に注意が逸らされたその一瞬、プリスカの目と口が大きく弧を描いたのを私は見た。
「プリスカ――」
「神父様とお話しさせて。ふたりきりで」
プリスカはよく通る声で私の言葉を遮った。それを聞いた親たちは先ほどとは別の類の涙を流し、こくこく頷くと部屋を出ていった。教会の人間は慰めのように、壊れた扉を木枠にはめて立ち去った。
人の気配は失われ、私たちだけが残された。
プリスカはすっくと立ち上がると、躊躇いなく陣を越えた。私の目の前で彼女は歩みを止める。死臭と、少し遅れてプリスカの体臭が香った。それだけだった。血の臭いは一切しなかった。鼻をひくつかせても変化はなかった。
プリスカは意味ありげに笑い、頬にできた裂け目から舌を覗かせた。
「傷は消えるわ――私が新たに傷つけたりしない限りはね。どちらがいいの?」
少し考えて私は答えた。「自傷はやめた方がいい。彼らが悲しむ」
プリスカは扉だった木の板へ目をやり薄く笑った。彼女は未だ裸であるにも関わらず、一切恥じる様子もなかった。ところどころにある、裂け方が悪かったのか彼女の体に戻れないでいる垂れたままの皮膚が、赤いボロ切れを纏っているように見えて滑稽だった。
「……プリスカ」
「何?」
「“何ですか”だ」
「――“何ですか”? 神父様」
私は袂から小さな鍵を取り出す。それを見るとプリスカは裂けた顎を突き出した。首輪は伸びきっていて、錠など必要ない有様だった。持ち上げて頭を通せばそれで済むだろう。だが私は鍵を使った。こうしないと、彼女が真に解放されないような気がしたのだ。彼女自身が律儀にそれに付き合っているというのもまた、妙な感覚だった。
「もう何も、問題はないということでいいんだな」
「もちろんです。神父様」
「きみは食前の祈りの最中に突然激高して、服を破り獣のように暴れた。両親を侮辱し、大地を嘲り、神の像に小便をかけた。もしきみがまたそのようなことをした暁には、おそらく、再びここにくることになると思うが」
「私が?」心底意外そうに彼女は言った。「まさか!」
首輪が床に落ちると、プリスカは机の端に寄せられていたチュニックを悠々と手に取り、慣れた様子で身につけ始めた。その動きは不自然なほどに自然だった。私は不安に駆られ思わず尋ねた。
「痛くはないのか」
プリスカは動きを止めて足下を見た。服の下から傷だらけの足が突き出ている。
「傷が擦れて――痛くはないのか」
プリスカは私の方を向いた。「痛いわ。神父様」
チュニックは――教会の備品の一つだったそれは――見慣れた色のままだった。血の染み一つない。プリスカは不思議そうに私を見ていた。なぜそんな分かり切ったことを聞くのか、といった顔だった。
「痛いときには、痛いという顔をするものだ」
プリスカは、ますます不思議そうに首を傾げた。「――なら、神父様は今、もう少し嬉しそうにすべきじゃないのかしら?」
応えられないでいると、プリスカはくすくすと笑った。私の様子を心から楽しんでいるのが伝わる。口が裂けているせいか、その笑い声はいつもと違った音に聞こえた。
「私、ようやくわかったわ。人の感情を神は拾わない。愚者に天啓を、聖者に慈悲を――あなたのおかげで、私はこれまでより遙か高みに登ることができた。それは事実よ。でも、あなたが私にしたことは、絶対に忘れない。これも確か」
私は彼女から目を逸らした。意識してそうするのは、彼女がこの部屋に来て以来、初めてのことかもしれなかった。
「そんなに怖い顔をしないで」
長い髪が揺れる。赤く細い指が伸びてきて、私の顎を持ち上げた。柔らかな強制によって、意識を彼女に向けさせられる。彼女の顔が眼前にあった。長い睫毛。大きな瞳。プリスカ。血よりも赤い唇が言葉を紡ぐ。
「全部わかったの。あなたの望みも、小賢しい細工も、全部――」
プリスカの足下は濡れていた。周囲には瓶の欠片が散っている。彼女の足には破片によってついたのであろう傷がいくつか認められ、私が意識を向けると、待っていたかのように傷口から血が出始めた。綺麗な流線を描いて足下の液体の中を流れていく。
「神父様。私はあなたを許すわ」
吐息と共に、彼女の死臭が甘く香った。
暖かな季節が近づいてきた。この時期になると教会の周囲は様々な花で包まれ、神の祝福を顕現したかのような外観になる。陽の光があるとさらに顕著だ。だがその美しさの源には、教会に従事する人間の献身的な労働がある。
井戸から汲んだ水をじょうろに移し替え、こちらに花弁を向ける命に注いでやる。神を、それを崇める場所を彩り、慰めを求める者を楽しませる命。水は葉を伝っていき、陽光を反射しながら地面へと落ちた。
「――神父様!」
聞き慣れた声に顔を上げる。町の中心へと続く道から、二人の少女がこちらにやって来るのが見えた。
「アメリア――それに」私はじょうろを置く。「プリスカ」
プリスカの傷は驚くことに、傍目にはもうわからなくなっていた。あれほど皮を深く割り、一生残るかもしれないと思われたものであってもだ。彼女はかつてと同じか、あるいはそれ以上に美しかった。
連れの友人は、教会に近づくにつれ小走りになる彼女の後を、半ば呆れながらついてきた。
「プリスカをつれてきました。教会に行きたいって聞かないのよ。ますます信心深くなっちゃって、まあ――」
「何かお手伝いすることはありますか? 神父様」
微かに肩で息をしながら、プリスカは微笑んだ。長い髪がさらさらと揺れる。彼女の所作は完璧だった。無邪気な振る舞いの中、指先の動きひとつにまで品が感じられる。
「いつもありがとう、プリスカ」言いながら思考を巡らす。プリスカが教会に来るのはいつも唐突だ。それなのに、彼女が来るときはなぜか、決まって仕事が見つからなかった。水やりは今し方終わってしまった。代わりのものも思いつかない。
「ないのでしたら」待ちかねたようにプリスカは言った。「勉強を、教えていただきたいのですが」
勉強、という言葉にアメリアは顔を歪めた。「それでは私はこれで!」と吐き捨て、逃げるように去っていく。プリスカはそちらを見やりもしない。足音が遠くなるにつれ、彼女の笑みは不気味に深くなる。
「勉強、ね――」
「いけませんか? 神父様」
「別に」私は深く息を吐く。「決めたら譲らないだろう」
プリスカは笑顔のまま私の手を取った。引きずられるようにして教会へと向かう。扉が開くと中は真っ暗で、私は怪物に喰われていく心持ちがした。先ほどまでは確かに、神の社だった場所だ。中へと誘うプリスカの手は冷たかった。
教会内は静かだった。偶然にも、私以外は出払っているのだ。この偶然はプリスカが来るときは必ず起きていて、私はこれが偶然でないことを理解していたが、認めたくはなかった。当然のように私の部屋へと向かう。扉を閉めると、部屋の主ですらどこに何があるか認められないような闇の中で、プリスカは器用に燭台に火を灯した。部屋に鍵はかけなかった。かけようとしたところでプリスカがいつも制するし、少女と二人きりでいて部屋に鍵をかけるのは、いらぬ誤解を生むことになるのも確かだったからだ。
プリスカはいつものように私を椅子に座らせると、両足の間に跪いた。
「私ほど勉強熱心な娘もいませんね」
「無駄だろうが一応言っておくよ――それは使い物にならない」
「お決まりの台詞を聞くのは好きよ」プリスカは笑った。「儀式みたいで」
確かにそれは儀式めいていた。彼女のお為ごかしから、こうして勉強と称した堕落に付き合わされることまで――いつも同じ、決まり切ったやりとりだった。
「きみは何がしたいんだ?」
「その台詞、聞き覚えがあるわ。私があのとき――ずっと問いかけていたこと」
プリスカは私の足の間に手を伸ばす。白い指が艶めかしく伸びてきても、何の感慨も湧かなかった。肉が揉まれているのがわかる。プリスカは私の太股に頬を擦りつけ、楽しげに笑っている。
「何が面白いのか、聞いたことはあったかな」
「この感触が好きなの」プリスカは言った。「それと――“ここ”で何も感じないのだとしても――潰せば鳴いてくれるんだろうなって思うと、ぞくぞくする」
「……怖いな」
ろうそくの火がプリスカの体を照らしていた。彼女の肌は、太陽の下で見ると白磁のようだが、今は落書きでもされたかのように赤い線が敷き詰められている。炎の中にいるときだけ、あの傷跡が浮かび上がってくるのだ。彩る光によって、彼女はまるで違う顔を見せる――言葉の通り。
「あの時あなたが何をしたかったのか――私に何をしてほしかったのか。今の私にはわかってる。あなた以外の人間を改めて見て、やっとわかったの。あなたにあって、それ以外の人間にないものが」
彼女と目が合う。大きな瞳は心なしか潤んでいるように見えた。
「でも、あなたの望むようにはしてあげない。もう少し待って――私の噂が消えたころに、楽しいことをしましょう」
私は天を仰いだ。
「許してくれないか」
「許すと言ったわ」プリスカは肉塊から手を離した。「でも駄目。あなたは最後よ」
指が股の付け根から膝まで一直線に這う。一本、二本、三本。五本の指が順番に、私の服の皺をなぞる。
「あなたが尽くしてきた村人にその無力さを責められて――悪魔への贄として梁に掲げられるといいわ。そうして死ぬのが素晴らしいことよ。お膳立てはしてあげる」
「きみごときにできるのか?」
プリスカは鼻で笑った。「できないと思うの?」
彼女の自信は確固たるもので、それを覆す何かを私は持ち得なかった。彼女はこの数ヶ月で、悪魔憑き以前の評判を取り戻していた。村一番の美貌には磨きがかかり、ただ純粋無垢だった以前とは異なり、悪魔憑きを経て射したうっすらとした影が、その魅力にさらなる深みを与えていた。元の勤勉さと敬虔さも変わらぬままだ。
プリスカに視線を戻す。彼女はそれに気付くと、改めて微笑みを寄越した。優しく、穏やかなそれは、確かに捕食者の笑みだった。
「きみに殺されたかった」私は呟いた。
プリスカは目を丸くして私を見た。徐々に弧を描いていくそれから、私は目を離せなかった。残酷な視線を美しいとすら思うのだ。プリスカは既にその域に達していた。私が思うよりずっとはやく、うまく、狡猾に彼女は成長していた。
「知ってるわ」プリスカは甘く囁いた。「おばかさん」
「きみの秘密をばらせば――私は殺されると思わないか」
「やってみたら? あなたの日頃の公正さが、彼らに疑われているといいのだけど。それを思うには遅すぎたわね。証拠はもうないし――私が否定する」
彼女の言うとおりだった。すべては遅すぎた。プリスカは生きているのだ。悪魔に憑かれた証となる傷を持ち――未だそれに憑かれてはいたが――彼女は死んではいなかった。
「私に与えすぎたわね」プリスカは舌なめずりした。屍肉の味でも思い出しているのだろうか。
「まどろっこしいことをしないで、最初から私に話していれば良かったと思わない? あれだけ与えてくれたのに、あなたの望みを叶えないと思う? 不幸な偶然があったのは認めるわ。あのタイミングで人が来るなんて、思いも寄らなかったでしょう。結果私を手放さざるを得なくなった。そこまでは仕方ないわ。でもね――その後のことは駄目よ。全然駄目。あなたは言葉が足りなすぎるわ。それでいて変に回りくどいことをするから、私はあなたの思うとおりにしてあげたくなくなっちゃったのよ。それとも言い出せなかった? 『私を殺してほしい』だなんて」
正しかった。一度神に仕えることを決めた身としては、死を乞うことはあまりにも冒涜的すぎた。プリスカは私の表情ですべてを察し、膝の上に跨がってきた。
「ねえ、もう一つだけ聞いてもいい?」プリスカは私にもたれ掛かり、耳元で囁いた。
「かまわないよ」言い捨てる。投げやりと思われても構わなかった。私の体は冷えていた。プリスカの体は冷たい――彼女の熱は、肉体が朽ちゆく温度を思い起こさせる。彼女の存在は、そのすべてが、私にプリスカを忘れることを許さない。
「あなたが理屈が通じなくて――不器用で――破滅的な人だっていうのはわかっているつもりだけど。それでもどうしてもわからないのよ」
プリスカの息がかかる。ひどく寒い。
私は思い出す。入念に準備を重ね、ついに彼女を呼び出した日のことを。あの日も寒かった。体も芯から冷えるほどだ。それでも彼女は、快く私の呼び出しに応じた。何の疑念も持たなかった。
「プリスカの皮をわざわざくれたのはどうしてなの?」
声色で、悪魔が心からそれを疑問に思っていることを理解する。私には、それが不思議でならなかった。契約を重んじる彼らであればこそ、疑問を持つ余地などないだろうと、そう思ったのだが。
「対価もなしに、利益を得るのはおかしいだろう」
プリスカは一瞬きょとんとした後、ゲタゲタと笑い出した。興奮で足をバタつかせ、襟元を握りしめながら私の体を激しく揺する。しばらくそうしてから、プリスカは荒い息のまま、涙の滲む目で私を見上げた。
「あなたのそういうところが大好き! こんなに真面目で賢しいのに、どうしてそんなに愚かなの?」
プリスカの肉と皮と敬虔な魂が、悪魔に知識と言語と徳を与えた。これは今やそれらを取り込んで、より高位のものに育っている。
彼女はここを根城に決めた。これからこの土地に放たれる、血と屍肉と魂のすべてが、彼女の力となるだろう。私の魂も、いずれは彼女の糧となる。私たちの間に契約はない。ただ、これはさだめであると感じる。
「この人殺し」悪魔は私を引き寄せ、優しく口付けた。
舌が滑り込んでくる。数回、先を触れ合わせ、慈しむように私の舌を絡め取る。何度か舌先をしごかれた後、彼女はゆっくりと私の口腔を舐め回す。動きは徐々に激しくなり、躊躇いがちだった水音は耳に残るほど大きくなった。唇を重ねながら、プリスカは私の肉に腰を擦りつける。魂が吸われていく錯覚がした。
「あなたの堕落はもうすぐよ」
プリスカは囁いた。それは一種の宣告だった。私の感覚は相も変わらず死体同然だったが、頭の奥は妙に冴えて、その言葉を受け取った。私はプリスカの腰に手を回す。自分から彼女に触れるのは、初めてのことだった。
ろうそくに照らされて、プリスカの体は柔らかく光る。無数の蚯蚓の這ったような赤い痕の中には、よく見ると、いくつか毛色の違うものがある。今し方男が触れた腰の、中央を走る背中の傷も、その内の一つだ。
それは長くまっすぐと彼女の脊髄をなぞる、意志を感じる傷跡だった。
プリスカ 5z/mez @5zmezchan
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