眠れない夜の開始

「…遅いっ!!」



シズクは部屋に入るやいなや、泣きぬれた顔で買い物袋を投げ置いた。



「リアルに締め出されたと思ったんで、エントランスで全部食うとこでした、腹いせに。」



シズクに息つく間も与えず、伊澄は非情な口調で告げる。



「今日ご飯食べたら解散になりました。食べ終わったら自力で帰って下さいね。」


「はっ?じりき…?」


「はい。先生は俺と、ドライブして帰るんで…。」




ねえ。とさも当然のように話を振ってきた伊澄に私も『へっ??』と奇声を上げた。



「…んー。まあ、今日先生と二人で帰ったら確実に下ろせなくなっちゃうんで、ペット同伴可にしましょうか。」



「あ…うん。」



私の表情を見て、少し残念そうに微笑む伊澄が少し気になる。



ただ、早く帰って眠りたい気持ちも強くて、正直ちょっとホッともしてしまう…




・・・・

・・




いまいち事態が飲み込めてないシズクと私を降ろし、伊澄は車のウィンドウをおろした。




「じゃあ、先生、月曜にまた学校で。」


「あ、うん。今日は本当に…ありがとね。」




『ごめんね』というのが気が引けて、中途半端な音量になってしまった…


それでも伊澄は軽く手を振ると、何事もなかったかのように車を出す。

 



部屋でのやり取りが嘘みたいに、礼儀正しい…というかちょっと、よそよそしい。


抱きしめられて寸止め…までされたのにな??


もしかして、私に興味を無くしはじめてたりするのかな。





そう思うと誠に勝手ながら、胸がちくっとする。




…私はホントに、いつからこんな図々しいアラサーになっちゃったんだ?




・・・・





…部屋に戻ってはきたものの。どこよりも心安らぐはずの空間で私は、伊澄の部屋にいたときとまた別の緊張に襲われていた。




今度はね、シズクの目つきが…なんだか不穏なのだがね??(泣)(泣)




とりあえず私は、わざとあっけらかんとした声で『アダルトなムード』にならないよう心がける事にした。




「いやー、あれからばたばたでごめんね!ちょっと伊澄と話しててさ…。」




何事もなさそうな顔でソワソワしまくっていたシズクは、ビクリと体をこわばらせる。



「え…俺のことはいいんすよ?


ホント、マキさんは優しいっすね…『ペット』にも。」



シズクの笑顔に、ふと影が差した。


どうにも、伊澄と海でやり取りしてから、自分が人間ではないことを気にしているように見えるのだが…





…せっかく人に戻ってくれたのに、どうしてそんな悲しそうな顔をしなくちゃいけない?




それがなぜか知っていながら、つまりシズクの気持ちを分かっていながら何もしようとしない自分に、ほとほと嫌気がさしてしまう。




グロッキーな気分が顔に出ないように笑顔で『当然じゃん。』と言いながら、シズクにシャワーをうながした。


余談ながらシズクは、『水槽の水が汚れる』という理由でシャワーを浴びる、変なお魚なのだった。




・・・・




互いにシャワーを浴び終えると、案の定シズクはなかなか水槽に戻らない。




うっ…本日のセカンド・バトル、開始の予感がいたします…赤コーナーはディフェンディングチャンピオン・前田マキ…。



解説は元チャンピオンの前田マキさん、実況はアナウンサーの前田マキでお送りいたします(カンカンカンカーン!!!!)




なかばパニックで、現状をボクシング仕立てに描写する私を置いて、人間のままのシズクは『マキさん』と静かに声をかけてきた。




せ、先制パンチが来てしまった。「うん?」



「今夜、人間のままでいていいですか?」


「…っ。」



シズクは頬を赤らめ私を見つめる。



「ホントはペットがこんなこと言うべきじゃないのも、こんなこと言ったら困らせるのも、分かってます。


でももう、俺決めたんすよ。…後悔しないように生きるって。


もちろんマキさんが嫌ならやめる、マキさんを不幸にはしたくない…でも、その前に教えて下さい。



恋愛感情を持った俺に近づかれるのは……嫌ですか?」




「き、急にそんなこと言われても…混乱するよ…。」




だって、シズクは私のペットだ。




今日海で感情を伝えられるまで、ずっとそのままでいいと思っていた。





しかし…


『好き』と言われて嫌だとか気持ち悪いという気持ちは一切、ない。


いつかその気持ちに応えられるようになるのかは、まだ分からないけど…。



私は素直にその気持ちを、シズクに伝えることにした。




・・・




私の話を聞いたシズクは、ホッとしたように息をつく。



「…分かりました。


なら…俺今日、ホントに命がけで告白したんですよ。


マキさんの気持ち次第では、これから一生魚のままになるかも、それどころかもう一緒にいられなくなるかもって。


少なくとも嫌じゃないのなら…今夜、人でいさせてくれませんか?」




うぐ…そ、そうきたか。ここは一応、カマをかけてみよう…。




「でも…寝る場所ないよね?」



『一応』確認したつもりだったが、シズクの答えは『案の定』だ。




「ぜっ、ぜっぜぜぜったいなんにもしない、から…」




ごくりと二人が息を呑む音が、部屋に響く。



「…一緒に寝てもいいですか?」



ま、まま…マジか「ま、まままマジか。」




「ま、マジ…です。」




伊澄も伊澄だったが、確かに…確かにこの子も、大層がんばっていたんだよな。




そりゃもう、そもそも海までどうやって来たのよってとこから、ご飯パシられてドチャクソ重そうなスーパーの袋引きずって戻ってきたとこまで、 


そして今まさに顔真っ赤にして目の前で正座してるこの瞬間まで、君はもう今日、がんばりまくってる。





添い寝でそれを報いることになるとは、なにかのバグとしか思えないのだが………




「ほんっとに何もしないと言うのなら………


ベッドの一部を、使わせてあげましょう…か?」




言ったそばからシズクはガバッと身を乗り出してくる。「マッッジすか!!!」


「ああああ!!だからほらほら、他意はないのよ???あくまで硬い床ではない領地の一部をお貸しいたしますっていうただそれだけの……ね??」


「あっ、あああもう、そりゃもう、そりゃーそうです!ぜっっったいやらしい事しないって、誓います!!」


「お、おうっ…?」




文脈にそぐわぬ暑苦しさで『添い寝のスポーツマンシップ』を宣誓したシズクは、さっ寝ましょうと高校球児ばりのハイテンションで、私をベッドにひきずっていく。



「はいっ、詰めて詰めて!じゃっ失礼しますっ!」


「うおわああ、せっま!ベッドせまっ!!」


「あはっ、あと超〜暑いっすね!!(笑)」


「おふっ、くっついとるくっついとる!!やめてっ緊張するからっ!」


「いやでも俺マジ、落ちそっす!!サッセン!!」




…いやもうどういう雰囲気だよ。


カオスが過ぎて、いっそエロよりしんどいわ。





こうして、色んな意味で暑苦しい『エロみ皆無』の爽やか同衾ナイトは始まった…。

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