走れ、彼女に追いつかれない速さで
互いのスポーツマンシップに則り、身体が接触するたび「サッセン!」「ッス!」を繰り返すこと約1時間。
そろそろマジで眠くなってきた。
シズクがずっとこっちを向いて寝ているのが気になってはいるものの、向き合ってしまっては不健全ルート一直線突入、かといって背をむけるのも何か感じ悪いよなというマナー意識により、私は仰向けで死体のように硬直している。
しっかし眠いアンド眠い。からの『なんかもうぜんぶどうでもいい』が脳内に満ち満ちたついでに、前から聞きたかったことが口をついて出てしまった。
「シズクはさ…どこからきたの?」
シズクが小さく息をのんだが、それはすぐ困ったようなため息になった。
「…記憶がなくて。すみません。」
「別に謝ることじゃないよ…。」
「いや、でも。」
シズクは『情けねぇよ…』と呟き、狭いベッドの上で頭を抱えだした。モゾモゾという衣擦れの音を聞きつつ半ば意識を手放していると、ふいにシズクが問いかける。
「マキさんは、どこからきたんですか?」
「え…どこって、遠いところだよ…。」
眠りに落ちる寸前で、さらに小さな声がした。
「マキさんの好きな人は、だれですか?」
私の好きな人…それはもう、ずっと前からあの人だ……
「いずく…おじちゃん……」
・・・・・
・・・・
・・
スマホのアラームで目を覚ますと、何やら足がひやっこい。
「んむ…なんじゃこら…」
「あ、マキさん、おざます。」
「あ??おざます…」
あー、何やらまだ頭がボンヤリとしているワァ。っていうかこのひんやりしてるの、君の足カァ…
「あはっ…ひんやりしててきもちいいワァ~、君の足…」
絶賛寝ボケ状態の私はさらなる快感を求め、シズクの美しい筋肉と我が大根を遠慮なく擦り付ける。次の瞬間、ガバアという音と同時にイケメンが私の上に覆いかぶさった。
「っマキさん!!」
「…え。」
『気持ちいい足の持ち主』が『完全興奮状態の美青年』だったと気付いた瞬間ひゅっ…と喉が鳴る。と同時に、シズクは我に返ったようだった。
「あ、すいません…俺、あいつみたいな事……」
アイツとは十中八九、我が教え子のこったろうが…
「え、あ…」
「…頭冷やしてきますっ!」
正直何が起きたのか把握しきれていない私は、上着を羽織ってどこかへ出て行ったシズクを『はぇぇ』なる間抜けな音声で見送ることしかできないのだった…
・・・・・・
・・・・・
・・
シズクは出ていったきり、中々戻ってこなかった。日も傾き始めてきたのでさすがに心配になった私は、捜索するかと家を出た。
にしても昨日はよく寝れたんだよなぁ…たぶんシズクのおかげなんだよなぁ……
でも何かこれ、私ばっかいい思いさせてもらってるみたいで良くないんじゃないかなぁ……
今日一日中考えていたことを反芻しつつ近所を徘徊(捜索のつもり)していると、近所の広い公園の中にシズクの姿があった。
しかし、シズクの目の前には1人の女性…ってこの状況、何回か見たことあるわ
あの子また逆ナンされてるわ………
とりあえず様子を見るため遠巻きながらやや近づいてみる。しかし、シズクに話しかける女性の姿を見ていると、悲しい記憶が呼び起こされてきた。
『あの人』が来なければ、今もいずくおじちゃんは…
・・・
『あの人』とは、私の小学校の先生だ。
村の外から来た人だったが、きれいで優しくて大好きだった。しかし、夏休みのある日、先生が一人で突然うちにやってきて、事件は起きた。
どこかで遊んでおいでと言ったおじちゃんに従って1度家を出たが、水筒を忘れたのでこっそり取りに戻ると、縁側でおじちゃんと先生が話している声がした。
「…あなたの気持ちには応えられません。僕には大切な人がいるんです。」
「大切な人って、マキちゃんのことでしょう。」
「……ええ。何か問題がありますか?」
「でも、マキちゃんは子供じゃないですか。まぁ、家族として大切ということなのでしょうけど…もし私があなたと家族になれたら、私も同じくらいあの子を大切にできます。」
小学生の頭にも薄々内容が分かり、より怖くて出ていけなくなってしまう。
それに、と先生は続ける。
「子供はいつかあなたを必要としなくなります。そうなったときでも、私はずっとあなたのそばにいられる。」
ああ、先生はおじちゃんのことが好きだったんだ。それでも、おじちゃんの口調は硬い。
「…あなたにあの子の何が分かるんですか?僕たちのことに口を挟まないで下さい。」
「あなたはあの子に、縛られすぎてるんじゃないですか?自由になれないから、恋愛だってする気が起こらないんじゃないですか?」
先生の反論に、ガアンと痛烈な一撃が走る。
私がおじちゃんの幸せを…邪魔していた?
私がおじちゃんを必要としなくなるなんてことは、大人になってもありえないだろう。でも本当は、おじちゃんが自由になりたがっているのなら……
適当に時間を潰して家に戻ると、もう外は暗くなっていた。
「遅かったじゃないか!今探しに行こうかと…」
「おじちゃん、先生と何を話してたの。」
「…ちょっとしたことだよ。」
「…私に話せないことでしょ。また隠し事だね。」
おじちゃんの顔は一瞬こわばり、傷ついたような表情になる。私はさらにたたみかけた。
「分かるよ、いつものことだから。おじちゃんはいつも、何か私に隠してる!」
それでも、おじちゃんは何も言わない。どうしてもおじちゃんの口から真実を聞きたかった私は、教えてよ!とおじちゃんにすがりつく。
おじちゃんは静かに顔を上げた。
「ごめん…マキちゃんには…話せないことだよ。」
おじちゃんの瞳は暗い色を纏っていた。
…こわい。本能的に感じた私は、おじちゃんにばれないよう少しだけ後ずさる。明らかに、いつものおじちゃんではなかった…だけど、どうしても目が離せなかった。
「お、おじちゃんはさ…私のことばかり考えすぎなんだよ。いつも私のことだけじゃん。」
おじちゃんの目に、怯えが走る。
「僕は、マキちゃんだけでいい。
…マキちゃんだけがいいんだ。」
今のおじちゃんは少し怖い。でも…守ってあげなくちゃ、とも思う。本当はとても悲しんでいるのが分かるからだ。でも、だからこそ私は怯まなかった。おじちゃんの幸せを邪魔しているのは、私なのだから。
「わ、私だって、来年中学生になるんだよ。おじちゃんがいなくても大丈夫なんだよ。…あのね、寮のある学校がこの近くにあるんだってさ……。」
「やめなさい。」
「やめない。だから来年から、その中学に行くのもいいかなって…」
「やめてくれ!!!!」
おじちゃんは叫んで、もう聞きたくないというように、頭を抱え込む。……私だってこんな事……全部、おじちゃんのためなのに。
「何で分かんないの?もう私には、おじちゃんなんて必要ないの!!…でかけてくる。夜ご飯いらない!!」
そのまま泣きじゃくりながら私は家を飛び出した。泣き疲れて、『本当のことを話そう』と心に決めて帰ってきたとき、なぜか川からおじちゃんの気配がした。声をかけようと近づいたが……もうそこには、誰もいなかった。
それが、いずくおじちゃんとの最後。そこから私は全寮制の中学校に入るため、村を去った…
・・・
もう失くしたくない、あの人みたいに。
私は全力で走り寄り、女性の前でシズクの腕をひっつかむ。
「この人、私のなんです!!!!!」
「へ?あ、マキさん?」
「ほら行くぞっ!ワッショイ!ワッショイ!!」
私はシズクの片腕を神輿のようにかつぎあげ、連行を開始する。
「ちょ、ちょっと誰なの…」
腕をかつがれているので、シズクも走らざるを得ない。
「ちょっマキさん、早いですってば…ふははっ!」
「ふへっ……ふははははっ!!」
なんかもう楽しくなってきた私たちは、とっくに女性が見えなくなったあとも無意味に走り続けたのだった……。
そして、数十分後の今である。案の定ライフゲージが尽きた私は、見知らぬ公園で大の字になっていた。
「ゼェハァ……ゼェハヒュッ!!ハァァ……」
「だから、そんなに走らなくても良かったんですよ…楽しかったけど!」
「いや…だって…取られると思って……きれいだったし、女の人。」
シズクの瞳がきらきらとまたたく。
「そんなに俺の事大事なんですか?」
私は思わず、勢いよく起き上がる。
「…大事だよ!どこにも行っちゃだめだ…!!」
思いがけず大声になってしまい、私ははっと口を抑える。シズクはびっくりしたように目を見開いた。
「……心配かけて、すいません。」
「う、うん……。気をつけてよね…人気者なんだからさ。」
謎に上から目線になってしまった気まずさと安堵で、はぁ…とため息がでる。するとシズクは突然、私の肩に手を置いた。
「俺、どこにも行きません。」
「え……う、うん。」
シズクの顔を見ると、目がとろんとしている。なんというか、物凄い可愛い小動物を見つめているかのようなね……っていうか、この手がとっても熱いよ。なんかこれは私、君にとんでもないことを言ってしまったのかもしれないぞ…でも本心なんだから仕方ないしさ……。
何となく甘い沈黙に耐えきれず、私はあーっ!と何かを思い出したフリをする。
「っていうかあの人、ナンパの人でよかったよね!?実は職場の上司とかそういうオチやめてや!!」
「あぁー…はい。お茶しませんかって言われてましたね、見知らぬ女性に。まぁ、今日は通算4人目…ですかね。」
シズクが遠い目をする。キィーン……と飛行機の音が、だだっ広い公園に響き渡った……。
「帰ろっか…逆ナンされないうちに。」
「…そう、ですね。もう暗いし。」
さて、と肩の手を外して歩き出すが、シズクはついてこなかった。振り返ると、シズクは真剣な顔で突っ立っている。
「俺、さっきあんな風に言われて…すっげぇ嬉しかったっす。」
「お、おう。」
「本っっっ当嬉しすぎて、死ぬかと思いました。」
「お…、おう。」
「でもさ……マキさんが好きなのは『いずくおじちゃん』でしょ。」
「……なんでその名前を?」
「昨日マキさんが、寝ぼけて口にしたんです…教えて下さい、その人のこと。」
いよいよ、話す時が来たのかもしれない。私はシズクに、おじちゃんのことを話すのに決めた。
「…帰ってから話すね。」
・・・
いずくおじちゃんとは失踪した育ての親であり、シズクとどこか似ているのだと話すと、シズクは難しい顔になる。
「2人ともすっごく美形なのは一緒なんですがね…明確に似てはないんですよなぁ…おじちゃんはもっとこう、草食系というか…もごもご…」
小っ恥ずかしい話題をもごもご誤魔化していると、シズクは両手で顔をおおう。
「マキさん、草食系が好きだったんですか…。」
「うーん、そういうわけでは…っていや、性癖トークちゃうねんこれ!!」
「え、俺はどっちなんですか?」
「え??うーん、君は…肉とか草とか関係なくあげたものなら何でも食べそうだな…雑食系?になるのか?っていや、(略)!!」
「クソッ!!ちなみに俺は、野菜ジュース飲んで草食べた気になってる草食系女子のマキさんが、性癖です!」
「うわわ聞いてないよ聞きたくないよ!!?」
ギャーッと耳を押えると、ふいにシズクはその手をどけてくる。
「所で…なんすけど。いずくさんは、村を出てどこでなにをしていたんでしょうか…そのまま亡くなったとは、なぜか思えないんです。」
私ははっと息をのむ。実は私も、そんな気がしていたのだ。
「…どこかで誰かと家族になってたりしてね…。」
シズクは思慮深い目で私を見つめる。
「そうだとしたら、マキさんはどう思います?」
本音を言うと、おじちゃんの家族は私だけであってほしかった。
しかし…あの時不器用におじちゃんを傷つけ逃げ出してしまった私には、これ以外の『正しい答え』は、ずっと分からないままだった。
「…おじちゃんが幸せなら、それで私も幸せだよ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます