そして二人になる
『シズクについて知っていることを知りたい』
…と言われてしまったが。
「情けないけど、シズクについてほとんど何も知らないんだ。
私の話なんか聞いても、どうしようもないかも…。」
飼い主としてまったく情けない限りだが、伊澄の目は真剣なままだ。
「俺はそう思いません。
先生の村の『トモガミ』とシズクさんには、なにか関係あると思うから。」
「!」
…なんで今まで思い至らなかったのか、わたし。
「僕は僕自身の問題を解決するためにも、先生の話を聞きたい。」
『トモガミ』とは人間になれる動物神のことだが、ついに私の前だけは姿を現さなかった。
それがシズクと関係している、もしくはシズク自身が私の『トモガミ』かもしれない…。
まあ、思い至らなかったのにもいくつか理由があるのだが。
まず私は、生きていた頃の親に教えられたとおり自分の家系には『トモガミ』がいないものと信じ込んでいた。
そしてシズク自身が、自分のことを人間になる力があるだけの『観賞魚』と主張していたから。
しかし私が無意識に目を曇らせていたのも、また事実…。
伊澄の言うように、シズクと『トモガミ』がどこかでリンクしているのなら…
シズク自身も知らない彼の謎に迫ることは、
『トモガミ』の村にとらわれる伊澄、
そして育ての親をあの場所で失った私が『本当に知りたいこと』を知るキーになるかもしれない。
シズクの秘密に迫ることで、関係性が変わってしまうかもしれない…それでも私は知りたかった。
それだけいずくおじちゃんは、今でもかけがえのない人だから。
よし決めた。トモガミに関するありったけの知識と、シズクと関係がありそうなこと、伊澄に話そう。私はソファーのうえで伊澄に向き直った。
「…シズクは本当に偶然買ってきた魚だったんだ。
自分のことは、『人を癒やす力』が強いから人になれる観賞魚だ、って言ってた。」
伊澄の眉間に軽く皺が寄る。
「え、自分が人になることで先生を癒やせるとか、とんだ思い上がりだな…」
「え、まあ確かにあの時はめっちゃドヤられたな…今でも思い出せるドヤ顔…ってそれは置いといて。
…『トモガミ』についてだけど。
村の住人それぞれの家に、それぞれの動物神がついてるってことは知ってた…よね?」
「はい、常識レベルです。」
「でも、私の家にだけ『トモガミ』はついてなかった。
あと『魚』がトモガミの家系も存在しなかった。」
「確かに、『神』はだいたい獣でしたよね…。」
伊澄は静かに腕を組んだ。
「でも先生の家に『神』はいない、って誰が言ってたんですか?それが間違ってただけかも。」
「うーん…亡くなった親から聞いた話。嘘ついてる感じはなかった記憶あるけどなあ…。
まあ確かにうちにトモガミはいないしかつ魚じゃない、って証明するものもどこにもない。」
「それにしても…シズクさんがどこから来たのか、本当にただの観賞魚なのかが分からない限り彼と『トモガミ』の関係はつかめない。
僕らはもっと、シズクさんについて知る必要があります。」
「うん…。」
確かに伊澄の言うとおりだし、そうしないと何も進まない。
だが、天真爛漫なシズクをこんな『研究対象』みたいに見るのは、気が進まないなあ。
私の表情が曇ったのを見てか、伊澄は突然、うーんと背を伸ばした。
「まあ、全部俺の思い違いかもだし…。
なんかいちいち深刻に考えちゃうんですよね。先生は俺みたいになっちゃダメですよ?」
くしゃっと笑う伊澄を見て、胸が切なくなる。ごまかすように私は笑った。
「いやー、心配しなくても君みたいに頭良くはなれないから!!(笑)」
「なら良かったな…。」
「おう…え、良いのかこれ、私的には…?」
そのとき突然、部屋のインターホンが鳴りひびく。
とたんに伊澄が両手で顔を覆った。「わー、もう?」
もう?って結構時間たった気がするけど…シズクがやっと帰ってきたらしい。
一体どこの店まで行ってきたんだ…ってかあいつそもそも、どうやって海まで来たんだ……??
「こらこら、はるばるおつかいしてくれたお魚に、失礼でしょうが…。」
「俺は、先生とこうしてたいのにな…。」
「ウグフッ」私は反射的に伊澄から目をそらす。
この子たぶんいま、全力で『テンプテーション』発動してる!!
見たらたぶんなんか…なんか…めっちゃエロい事態に発展しかねん…気がするっ!!
はいはいはいはいと適当にいなして立ち上がったが、伊澄はふとまじめな声を出す。
「俺…あのお魚見てたら、たまになんか、懐かしくて切ない気持ちになるんです。
なんででしょうか?」
伊澄は冗談めいてふっと笑ったが、実は私もそうだった。
でもそれはたぶん、シズクの雰囲気がどこか、いずくおじちゃんに似ているからなんだよ…君には言えないけど。
「私も…。よく分かんない魚だね、本当。」
ふっと笑い合い伊澄もソファーから立ち上がったが、部屋から出ようとする私に『待って』と声をかけた。
「今晩部屋…どうしますか?」
「え、どうって。」
まあ…意図は理解できる。
「客間もあるんですけど。俺は…せっかく来てくれたのに、って思ってます。」
伊澄は顔を隠すように目を伏せる。
…私と同室で眠りたい。彼はそう言っているのだ。
ただ…私に正しい答えが出せるかは、まったく別問題だった。
同室で眠るのはすでに2回ある…でも、今回のは明らかに、性質が違う。
今回の『同室』を迎えれば、今までとは確実に…『何か』が進展するだろう。
しかし、シズクも外に待たせているしこれ以上沈黙を続けるわけにはいかない…。
焦りから、口から本心が滑り出る。
「確かに今日私…君にいっぱいひどいことをした。
でも、『だから意に沿う』っていうのは違う。
こういう事は、もっと君に向き合って決めなきゃダメだから。
だからごめん、今日は…ダメなんだ。」
伊澄はぎゅっと唇を噛む。
「…その通りですね、俺…焦ってました。ガキみたいにがっついて…」
「いや、そんな…」
「いえ、本当の事なんで。
それに俺も、欲求不満にまかせて変なことしちゃうかもしれないし…
…そんなのもう、絶対嫌だ。」
伊澄はちょっと困ったように微笑む。「…ご飯食べたら、送りますね。」
「伊澄…君。」
伊澄はくるっとドアに向き直り、『そろそろ開けないとやばいかもな~』と鼻歌交じりに歩き出す。…そんな彼の腕を、私はとっさにつかんでいた。
「ま、またいろいろ話そう。伊澄君の話ももっと…聞きたい。」
驚いた伊澄の顔が、なぜか急に冷気を宿した。その変貌に、思わず私は息を呑んだ。
「…甘い。色んな意味で甘い、甘すぎる。」
伊澄は急に、私を抱き寄せた。
「よくそれで年上ヅラできるよな、本当に…。」
「お、怒ってる…?」
何も言わない伊澄は、完全に怒った顔をしている。
「…俺も我慢するから…先生もちょっとは、我慢して下さいね。」
そのまま強く抱きしめられる。
『!?!?!?』という文字が脳内を支配しつつ、急にふわん、と伊澄の香りが広がる。
同時に私の口から言葉が滑り出た。
「わ、いい匂い…」
…しまった。
あ、しまったこれ、完全に…しまった。
ガッ!と自分の口を押さえてみたが、もう遅い。
伊澄の目は急に鋭くなって、抱きしめる力がさらに強くなった。
「…好き?この匂い。」
「えっ…分かんない……です。」
だめだ。だめだだめだ、これだめだ。
色んな気持ちが混じって混じって、無能な私はただうつむいた。
「ふーん…そう。」
伊澄はたっぷり間をもたせた後、『先生』と私を呼んだ。
「っ…。」
意を決して顔を上げると、伊澄はそっと、私の顎を持ち上げた。
やばい。ついに一線を超えられてしまう…
…でもなぜか嫌じゃない、むしろ私は…
頭の中が甘くとろけた気持ちで目を閉じた瞬間、ぱっ、とその手が離れた。
「あー…、我慢しなきゃ、でしたね。」
「…へっ?」
至近距離で間抜け顔をさらした私に、伊澄は美しく微笑んだ。
「『寸止め』って、案外ドキドキしますよね??」
「そっそんな…し、知りませんよっ!?」
「…お腹空いてきたし、そろそろ中に入れるか~。」
平然と置き去られた私の体には、さっき抱きしめられた感触だけが、みょうに生々しく残るのだった。
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