第3話

 朝7時前になると、おはようございます、と爽やかな声がナースステーションに響いた。早番の彼女が出勤したのだ。

「顔色、悪いよ」

 彼女に指摘され、大丈夫、と答える。心配は、かけられない。



 俺は定時に退勤すると、コンビニに立ち寄って食塩を買った。何となく、塩を撒きたい気分だった。夜勤中のあの感覚が忘れられない。

 マンションに入る前に塩を撒き、自分の頭にも全部かけ、帰宅すると、ほっと一息ついた。盛り塩も、きちんとなされている。

 足跡がないところを見ると、昨夜こちらは何もなかったようだ。

 シャワーを浴びていると、ふと夜勤中のことを思い出してしまった。

 忘れたいのに、見られているあの感覚が忘れられない。

 見られている。怖い。

 俺は頭を振って、思い出さないように努めた。

 顔を上げ、何の気なしに鏡を見る。

 自分の後ろ、半透明のガラス戸の向こうに、黒い影があった。

 シャワーを浴びた体が、一気に冷たくなる。

 気配は、全く感じなかった。

 黒い影はぬらりと動き、消えてしまった。

 シャワーで済ませるつもりだったが、湯船に湯を張り、浸かってしまった。

 風呂場から出るのが怖かったことと、体が冷えた状態で居るのが嫌だったから。両方の理由だ。

 しばらくして、恐る恐る出てみると、脱衣場には誰もいなかった。

 スウェットを着て、髪はタオルドライで済ませる。すぐにベッドに入ると、睡魔に襲われた。半分夢を見たせいか、誰かが部屋中を歩きまわっているような感じがした。



 目が覚めたのは、夜だった。キッチンで料理する音が聞こえる。彼女が帰ってきたのだ。

「おかえり」

 声をかけると、彼女は、ただいま、と可愛く微笑んだ。昼間の怖さが吹っ飛んだ。

「今日は鍵をかけて寝たんだね。偉い偉い」

 可愛く褒められて嬉しいが、不安でもあった。

 彼女曰く、俺は施錠を忘れやすいらしい。夜勤明けで寝るときは鍵をかけてね、と言われてしまう。今日は鍵をかけたんだっけ。

 夕飯は、おからハンバーグと蒸し野菜サラダ。太るのを気にする彼女は、ヘルシーメニューが多い。気にしなくても痩せているのに。

 夕飯を終えてカフェオレタイムにしようとしたとき、話を切り出された。

「話しておきたいことがあるの。私の実家のこと」

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