第9話 お気の毒ですが、背中を洗うみたいです

体を洗う為に用意された大きな桶に湯が張る。


「歩いて来たんでしょう?長旅ご苦労様、こんな簡単なものしか用意出来なかったけれど、体は洗えるわ」


「ありがとう、ルィン。助かるよ」


ジャックはボタンを外していき、ボロの衣服を脱ぐ。

彼の裸体は酷いものだ。古傷が沢山出来ていて、背中には大きな火傷も残っていた。

痛ましい背中に、シャリアはそっと、ジャックの背中に触れる。


「ちょっと、何触ってんのよ」


切り傷の線をなぞっていたシャリアにルィンは突っかかって来た。


「いえ、これ程の傷で…よく生きていられたと思いまして」


到底信じられないと、シャリアは彼の生命力に脱帽する。


「こんなの、大した傷じゃないさ…俺よりも悲惨だった人間は何処にでも居る」


「とにかく、湯浴みの邪魔はしたら駄目よ、ほら」


シャリアを連れて行こうと二の腕を掴む。

引っ張る彼女の力よりも、シャリアの足は頑固で、其処から離れようとはしなかった。


「私は現在、ご主人様の奴隷メイドとして登録されています。体を洗う世話は、私がする事になっていますが?」


彼の奉仕など当然の事だと、ルィンに説明する。


「な、なによそれ、じゃあアタシも体を洗うわ。彼とは幼馴染ですもの、彼の体を洗うのは慣れてるわッ!」


小さい頃から一緒で、寝食を共にした事は何度もある。

当然、彼の背中を流した事も、逆に流された経験もあった。

その点を踏まえれば、確かにシャリアよりかは上手に洗えるかも知れない。


「?それが何か、これは私の仕事ですので、お気になさらず」


傍に置かれていた体を拭く為に用意された布を掴む。


「いいえ、彼は疲れているの、彼の背中を流す事すらしたことのない素人は黙ってなさい!」


シャリアが掴んだ布を引っ張って、わが物にしようとしている。


「あの、気持ちは嬉しいんだけど、俺は一人で洗えるから…」


だから気にしないで欲しいとジャックは愛想笑いを浮かべる。


「なりません、ご主人様。奴隷メイドから仕事を奪わないでください」


「あ…じゃあ、服を洗ってもらおうかな…俺の服、それだけだから」


「ちょっと、まだあのボロ雑巾みたいな服を着るつもりなの?やめなさいみっともない。新しい衣服くらい、あげるわよ」


床に脱ぎ捨てられた衣服を回収すると、ルィンは部屋から出て行こうとする。


「ちょっと来なさい、グレイに新しい服を持って行かないと」


シャリアを一人にすれば、きっと背中を洗う事になってしまうから、彼女を共に連れていって、抜け駆けしないようにしていた。


二人が部屋から飛び出て、ジャックは嬉しそうに息を吐いた。

騒がしいが、心地よくて悪い気分じゃない。

衣服を全て脱ぎ捨てたジャックは、暖かな風呂桶に身を沈めた。


長の家に戻ろうとしていたルィン。


「もし、ルナリア村長」


丁度長の家を訪ねようとしていた髭を蓄えた中年男性に呼び止められる。

少女の様な柔らかな表情を一変とさせて、厳つい表情を浮かべると、声を張る。


「何かしら?」


ルィンの声は渇いた空に良く響く。

中年男性は村の入り口に指を向けて、尋ね人が来ている事を告げる。


「尋ね人?誰かしら」


「それが、皇国の騎士団に属する、騎士様であるらしくて…」


騎士。

その名前を聞いて、ルィンは眉を顰めて唇をへの字に曲げた。

ジャック・オ・ランタンをこれ程までに貶し、そして精神を壊し掛けた騎士団を、快く思っては居ない。


「分かったわ、すぐ行く、けど。入り口で待たせなさい」


軽く頭を下げると、中年男性は足早にルィンの傍から離れて入り口前へと急ぐ。


「ふーッ…仕方が無いわ。服、持って行ってあげて」


怒りを鎮めて、まず、近くに居るシャリアに衣服を渡す。

そして三角巾を頭に結び直すと、騎士団と言う連中に出会う為に入り口へと向かっていく。

村を覆う木の柵が、唯一繋がれてない空間。それが出入り口だ。

その入り口前に、先程の中年男性と、へこへこと頭を下げる憲兵の姿がある。


「貴殿が第四十三村区『エザー』を管理する村長か」


白鋼の甲冑を着込んだ騎士が三名程、馬に乗っていた。


「えぇ、私が、この村を管理しているルィン・ルナリアですが、騎士様が一体、この辺境の村に一体なんの御用でしょうか?」


勝気が見える彼女の言葉に、騎士は少しムッとしたが喧嘩腰では仕事にならない為に騎士として威張りながら話を続ける。


「皇国の騎士団所属、ジャック・オ・グレイマン殿に至急言伝があって馳せた

。此処はジャック・オ・グレイマン殿の故郷と伺っている。大いなる称号騎士殿が滞在しているのならば、言伝があると教え願おう」


ルィン・ルナリアは騎士の言葉を聞いて可笑しいと思った。

ジャック・オ・グレイマンが此処に来ている事を知っているのか?

そう思ったが、別の思案が思い浮かぶ。

皇国の騎士団は矜持と尊厳の為に見栄を張る存在だ。

ジャックが兵士団に左遷され、解雇された挙句、再び呼び戻す、と言った恥知らずな行為をたかが村長やその村民に口頭で伝える筈がない。

ならばその問答は、ジャック・オ・グレイマンを捜索するに中って、解雇したと言う事実を伏せ、あくまでも皇国の騎士団に所属している体で探しているのだ。


ルィンは牙を剥いた。怒りが行動となってしまった。


「(グレイの安否よりも、騎士団は自らの恥を被す為に言葉を偽るのねッ…こんな連中に、グレイを渡せる筈がない…ッ)」


つんとした態度でルィンは首を左右に振る。


「いえ、来ていません。むしろグレイが此処に来る筈がありません。彼はこの村を嫌っています。常日頃から騎士になると言っていましたので、行くとすれば商国か旧国の方面では無いでしょうか?」


嘘には嘘を交えて騎士に告げる。


「何故わかる?」


「グレイ殿と私は幼い頃からの仲ですので…行くとすれば商国でしょう」


商国。国と国の境にある商いの国。

分類上、商国は国の間である国境であり、中立的立場とも言える。

商人が盛んで、流れ者や大罪人が潜んでいる事も多く、スラム街の別称でもあった。

ジャック・オ・グレイマンが隠れるとすれば、確かにそこはあり得る。

頷く騎士は、「失礼する」の一言だけ告げて、馬を馳せた。



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