第3話 お気の毒ですが、馬車が壊れたみたいです

一か月前に遡る。

兵士長に解雇されたジャック・オ・グレイマンは、何処か安堵していた。


「(もう兵士じゃない…戦わなくても、良いのか)」


彼は戦場で多くの戦果を挙げた英雄であった。

だが皇国の騎士団の中では、彼は若輩者であり、戦争に出たのはその戦果を挙げた一件のみである。

だから、其処で人の死を見た。

それも残虐に仲間を殺す敵に恐怖した。

それでも、彼は騎士として敵を討ち滅ぼした。


結果。仲間の死を見て精神に支障を起こし、実際に人を殺した事で戦場に忌避感を覚えてしまう事になってしまった。


彼が次の戦争から逃げ出したく思うのも仕方が無い。

人を傷つける事が、何よりも恐怖であった。


「…帰ろう」


騎士としての役割を失った彼は、もうただのジャックだ。

もう責任を負わなくても良い立場であり、何処に行こうが自由。

故に、彼が脳裏に過ったのは、嘗ての故郷。

両親が住んでいて、幼馴染と共に過ごした、田舎の村に思いを馳せる。


自然と彼の足が向かった先は、故郷へと続く方角だった。

この田舎から故郷まではかなりの距離であるが、歩いて帰れない程ではない。

一月もすれば、故郷に帰れるだろう。

手ぶらで、ボロ雑巾の様な衣服に身を包んだジャックは、帰路を歩き出した。


森を中心に彼は歩みを続ける。

人間が食べられる果実が見つかるし、川が近いので飲み水も確保出来る。

故郷までの移動、その間に飢え死にする心配は無かった。


「……草原か」


森を抜けて、木陰が晴れる。

と言っても、空は今にでも雨が降り出しそうな曇り空だ。

多少明るくなっただけで、目を覆う様な明るさではない。


「…ん?」


しかし、彼は目を細めた。

耳を立てて音を聞く。

喧噪が聞こえて来た。

それは人の悲鳴で彩られ、卑下た声で作られた結末の悪い歌劇の様だ。

音に連れられて目を向ける。勾配な坂の二つ先に、馬車と、剣を持った兵士崩れが居る。

その甲冑は、数年前に滅亡したエルリの国だ。

代理戦争で国を賭けて戦い、敗北を期した国の末裔であり、職を失い、身分故に猟犬兵隊に追われる身となった嘗ての兵士たちだ。

ろくに職に就く事が出来ないから、人を襲い、金品や食料を奪っていると言う話はよく耳にする。

その証拠に、その馬車は商人の持ち主であり、雇われた傭兵を殺した後、樽から酒を汲んで喉に流し込んだり、干した肉を布袋から取り出して一目散に貪っている。


逃げ出した奴隷になど目もくれず、食欲を満たしていた。


「ひどいな…」


ジャックは握り拳を緩めた。

騎士でも兵士でも無い彼には、ただの根無し草だ。

それでも、人が襲われていれば助けようと言う気概はある。

けれど商人は死んだ。兵士崩れが殺して、所有権を奪った。

誰かの為に動く事が騎士の本懐。

しかし、その誰かが居なくなってしまえば、動く理由も無くなる。


「…止めよう」


それ以上見る事を止める。

見なかった事にする。彼は悪を見過ごして、目的の為に歩こうとした。


「女だッ!!」


けれど耳はまだ、地獄の方に向いていた。

その声に反応して彼は首を兵士崩れの方に向けた。


腹をボロボロの剣で裂かれた商人の前に、首輪を付けた、メイド服の女性が立っていた。

商人の姿を見て、両手に握り締める武器を手放している。

放心状態だった。


「あの女、馬鹿に強いぞッ!!」

「畜生、目を潰された、あの女ッ」

「奴隷だ、それも、戦闘用に調教された従士部隊クラスメイドだッ!!」

「退け、あの女、犯してやらねぇと、気が済まねぇ!!」


叫び、兵士崩れが奴隷メイドの背中を蹴った。

反撃する事無く、地面に倒れる彼女に馬乗りとなる。


「へへ、近くで見ると別嬪じゃねえかッおい」

「近くで見なくても別嬪だろうが」

「うるせぇ!片目が潰されて節穴になってんだよ!!」


奴隷メイドの衣服を剥ごうとした最中。

ジャックの心に火が着いた。

その火の燻りは、火に燃える遺体の臭いを連想させる。

吐き出しそうになり、かかわるなと言う声が脳裏に響く。

けれど見過ごす事は出来ない。

地面を蹴る、ジャックは誰かの為に人を救う決意を固めた。





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