2話 お出かけ

「ふぁ~あっ、背中めっちゃ痛てぇ」

寝ぼけたまま、おもむろにスマホで時刻を調べる。もう十時をまわっていた。

昨日の疲れからか十時間以上寝るのは久しぶりだった。

「腹減ったけど、飯食う時間じゃないよな。どうすっかなぁ」

そう言いながら自室から出ると、どこからか懐かしい香りがした。

「ん……?」

祖母の家で嗅いだことのある懐かしい香り。

匂いのする方向に視線を向けるとキッチンにエプロン姿の玲が立っていた。

『あっ!やっと起きたな寝坊助めー、味噌汁飲む?』

「飲むのむ」

『じゃあテーブル座って待ってて』

「了解」

俺は歯を磨いた後、言われるがままテーブルで味噌汁を待った。

『おまたせ~』

具は至ってシンプルな豆腐とわかめだった。

「これ、ばあちゃんに教わったのか?」

『そうそう!結構自信作だから冷めないうちにどうぞ』

「おう」

俺たちの祖母は料理が得意で、特に和食は本当に絶品だった覚えがある。

特に俺は祖母の家に泊まると必ず朝食に出してくれる味噌汁が大好きだった。

箸で味噌汁をかき混ぜ一口含んだ。すると、煮干しを軸にした昆布だしの風味が俺を封じ込めた。

「う、うめぇ」

『でしょ~』

「あぁ、毎日でも飲みたい」

こころから出た言葉だった。

この味は祖母の作った味噌汁に本当によく似ていた。

『……』

『…ふふふっ…っは!なにそれっ!新手のプロポーズ?』

彼女はそう言って涙を浮かべるほど笑っていた。

「…はぁ。ちげぇよ」

「そういえば、玲は入学式いつなんだ?」

『え?私?来週の月曜だよ?』

「俺と同じか、あと三日で大学生活だな」

「このペースでいくと、明後日には荷物も片付きそうだな」

『そうだねー』

相手のいるゆっくりとした朝食は、とても久しぶりだった。

朝から同年代の人がいるというのは精神的にも落ち着ける。それも従妹となれば、幼馴染と同じように話せるので寮生活のように緊張もしないのは心に余裕を持たせた。

「日曜一緒に出掛けないか?」

このゆっくりとした朝の余裕がこの提案を生み出した。

『…えっ?ふ、二人で?』

「ああ、俺の服があまりないからできれば一緒に行って服を見てほしいと思って」

『な、なるほどねー…プロポーズからのデートの誘いかと思ったわー……』

冗談交じりに言うと神仁も乗ってくれた。

「そうだな…デートか…一気に楽しみになってきた」

「ご馳走様。よし。じゃあ片付けるか」

『うん!』


『あ~疲れた。かまって~』

「まだ三十分しか経ってないぞ」

『神仁のけ~ち…』

「ケチじゃねぇよ!」

『じゃ~あ~終わったらごほ~びが欲しい』

「買いに行ったり面倒なやつは無しな」

『わかった。じゃあ考えとく』

「じゃあ早く口じゃなくて手を動かせ」

『はーい』


『ねぇねぇ神仁見て』

「ん?なに?」

『これ攻めてると思わない?』

そう言って彼女が見せたのは中央に小さなリボンのついた白いパンティーだった。一見、清楚そうに見えるこれは、中央部から側面にかけて布から紐状にシフトしている通称〈紐パン〉だった。

『あ、そうそう、横はゴムになってるから、リボン引っ張っても解けないよ?残念~』

「そういうもんはあまり人に見せるもんじゃねえだろ」

『少し興奮したでしょ?』

「…従妹にするわけねぇだろ」

『ほんとかなぁ?。そんなんだといつまで経っても彼女出来ないぞー』

「うっせぇ。余計なお世話だ」

『因みに、本物の紐パンも持ってる』

「勝手に言ってろ」

「てか、手を動かせ」

『はーい』


日曜日

昨日の昼頃には荷解きは終わった。

携帯を買い換えてから一度も変えていない無機質な初期アラームが耳元で鳴り響く。

時刻は七時、生活リズムの壊れ始めた神仁には、少々起きるのがつらい時間だった。

あくびをしながら布団から体を出す。

「よっし!」

柄にもなくカーテンを開けて日光を浴びてみる。

そして顔を洗おうとドアを開けて洗面台に向かうと、味噌汁の香りが、空腹を自覚させる。

『おっ!今日は早起きだねー。朝ごはんもう少しでできるから先に顔洗ってきて』

玲は朝に強くなったのかいつも自分より早くに起きている。

(朝から香る出汁のにおい。うん。いい奥さんになるな。)

(俺はどこのおっさんだよっ!)

「分かった」

セルフ突っ込みを入れつつ玲の提案を受け入れる。

「今日はマジでよろしく頼む。最初の印象で今後の大学生活が変わるから」

『大舟に乗ったつもりで頼りなさい!』

「仰せの通りに」


今日行く予定の大型ショッピングモールは10時から本営業を始める。ここから行くと電車を使い15分くらいでいける距離なのでまだ時間はある。とはいえ、腹が減っては戦が云々とかいう先人の言葉の通り朝食をとることにした。

「いただきます」

『熱いうちにどうぞ』

朝の空腹には出しの効いた優しい味噌汁がよく効く。息で冷ましながら口に含んで飲み込むと、食道をつたい胃袋で広がるのを感じる。俺は一口目でしか味わえない、この感覚が堪らなく好きだ。

「はぁ…」

思わずため息がこぼれる。

『私はもうご飯食べたから準備してくる』

「三十分前に家を出ていくにしても早すぎじゃないか?」

『女の子は準備に時間がかかるんだぞ!』

「わかったわかった」

『絶対わかってないっ』

少し不機嫌そうに玲は自室に戻っていった。

〈今日は全国的に…〉

天気予報を見ながらコーヒーを飲んでいると時刻は9時半を回っていた。

「あきらーもうそろそろ出るぞ!」

『もう少しかかるから先に駅に行ってて』

「分かった、先に行ってるからな」

『うん!すぐにお追いかけるから!』

「あんま急がなくてもいいからな、行ってきます」


『ん~どの服にしようかな~』

神仁の食事を見届けてから一時間ほど経ってもなお、洋服選びに困っていた。

可愛い路線で、薄紅色のベレー帽に春先仕様の少し厚みのあるカーディガンと白いワンピース、はたまたベージュのジャケットに暗めのロングTにデニムパンツを合わせた大人路線でいくか…。

その時、いつかの可愛らしい彼の顔が頭をよぎった。

『よし!決めた』

「あきらーもうそろそろ出るぞ!」

『もう少しかかるから先に駅に行ってて』

「分かった、先に行ってるからな」

『うん!すぐにお追いかけるから!』

「あんま急がなくてもいいからな、先行ってるぞ」

(やっぱり神仁は、デリカシーがないと思う。)


携帯を見ると丁度十時を回ったところだった。

『しーくん…』

子供のときに呼ばれたあだ名で呼ばれた。声も最近の声ではなく子供の時の声に似ていた。

しかし、声の方向に振り向くとベージュのジャケットに暗めのロングTにデニムパンツを合わせた大人っぽい服装に身を包んだ玲が立っていた。

『待った?』

「いや、待ったに決まってんだろ」

『そこは、普通「いや、今来たところだ」って言うでしょ』

「なんで部屋一緒なのに駅で待たなきゃいけないんだよ。てか、人前でその呼び方で呼ぶなよ」

『え?…もしかして、二人っきりの時に呼んでほしかったの?』

「ちげーよ。馬鹿じゃねぇの?」

『そんなに拗ねなくてもいいのに…』

「拗ねてねえよ。早く行くぞ」

『そ・の・ま・え・に!』

「なんだよ」

『はい』

「ん?」

『ん?っじゃないでしょ!どう?』

「なにが?」

(着替える前より、その、大人っぽい色気があって綺麗とか言えないし…)

『しーくんのばか』

頬が少しぷっくらして駄々をこねた子供みたいだった。

「服めっちゃ似合ってて、なんつうか、その、なんだ、にあ、ってる」

『遅すぎだけどほんとのこと言ってるみたいだから許す』

「そりゃどうも。そろそろ移動するか」

『はーい』

改札を入り、駅のホームに着くとすぐに電車が入線してきた。そして、そのまま、入線してきた目的地へと向かう電車に乗った。


『ねぇ、今日はどこ回るの?』

「特に決めてない」

『じゃあ、最初にクレープ食べたい!』

「別にいいけど、朝からクレープは重たくないか?」

『…甘いものは別腹なの!』

「そうなのか?」

今まで荷解きをしていて久しぶりに出かけたからか玲が子供っぽく見えて可愛らしかった。

『そうなの!』

電車の中でそんな他愛のない会話を繰り返し、目的地へ向かった


『着いたー!クレープ食べよー』

「そうだな」

玲に誘われるまま、ショッピングモールのフードコートにあるクレープやソフトクリームなどのスイーツを提供するチェーン店にやって来た。フードコートはまだ、平日のお昼前なのにどこも春休みらしく、多くの学生でにぎわっていた。

『ん~どれにしよーかなー』

「俺は無難にバナナチョコで」

『しーくんも食べるんだ…じゃあ私はストロベリーホイップにしよーっと』

「…そのしーくんって言うのやめろよ。恥ずかしい」

『い~じゃん。傍から見たらバカップルみたいで』

「それが嫌なんだが…まぁいいや」

しーくんと言われて、あまり悪い気がしなかったのも事実だった。

「ご注文はどうされますか?」

「じゃあバナナチョコとストロベリーホイップひとつずつで」

クレープが出来上がるとあらかじめとってあった席で食べることになった。

『たふぇおわっふぁら、どーふるの?』

「食べ終えてからしゃべれよ。まぁ店はたくさんあるし、フードコートから近い店から回ろうと思ってる。それより玲、鼻にクリーム付いてるぞ」

『えっ!ほんと?ほんとだ。ありがと』

そう言って自分の鼻についたクリームを拭うと机に身を乗り出し

『ん…。ほっぺにクリーム付いてたよ』

と、俺の頬に付いたクリームをなめとったのだった。

神仁は、咄嗟になめられた頬に手を置き、玲に抗議した。

「…なっなにすんだよ!」

『いいじゃん。別に』

「よくねぇよ!だって俺達はカップルじゃないし、従妹だし、それに玲は傍から見たら…」

『傍から見たら?』

そう言うと、彼女は自分が考えたいたずらに引っかかった人を見て笑いをこらえている子供のように、ニマニマと笑みをこぼしていた。

「トイレ行ってくる」

そう言って、これ以上玲のペースに乗せられないようにトイレへと向かった。

「ねぇねぇ!さっきのやばくない?」

「それな!ザ・イタイカップルって感じで俺らも背中かゆくなってきそうだったわ」

トイレに向かう途中、横切った席の高校生カップルがそんな話をしていたのを聞いてしまい耳が一気に熱くなり、顔が真っ赤になった気がした。

「はぁ……」

トイレの鏡を見るとやはり顔は真っ赤だった。

数分経って顔も落ち着いてきたので戻ることにした。

フードコートに戻ると玲がいるはずの席に数人の人影が出来ていた。怪しく思い、小走りで戻ると、

『やめてください!彼氏を待ってるって言ってるじゃないですか』

「つれないこと言うなよ。待っても来ない彼氏より俺らとショッピングしようぜ?」

「そうそう!」

などと、数人の男が玲に迫っていた。

玲のこんな嫌そうな顔を俺は見たことがなかった。すると、咄嗟に体が動いていた。

「おい、お前ら寄って集って俺の女ナンパしてんじゃねえよ!」

少し声が大きすぎる気がしたが、フードコートにいたおかげでこの声で周りの人が一斉に視線を向けた。すると彼らは、

「ほんとに彼氏来ちゃったじゃん。いこーぜ」

と言ってフードコートを去っていった。

一部始終を見ていた人たちから拍手が上がってしまい、とても、フードコートで過ごせる状況ではなくなってしまったので、会釈をして、玲とフードコートを後にした。


「大丈夫だったか?」

『うん…』

すぐ返事はしていたが、少し震えているようだった。

「ここで服見ていいか?」

『いいよー。私が見てあげるからもてることまちがいなしだねっ!』

「服が本体かよ。俺は」

『そーともいえるかも』

「そうかよ」

(冗談も言えるようになったし大丈夫そうだな)

『この服どう?しーくん似合うと思う!』

「だからその呼び方やめろって」

『いいじゃん別に。小さいときはそう呼んでって言ったくせに…』

この時見せた膨れた顔が可愛かったなんて、口が裂けても言えないので墓場まで持っていこうと思う。


『ここ良さそうだよ!』


『この眼鏡似合う?』


『ねえねえしーくん。このガチャガチャのキーホルダーすっごい可愛い!』

『一回だけやろ?一回だけ!』


『この服はどう?この色なら他の服に合わせやすいんじゃない?』


『このぬいぐるみ可愛い!しーくん取ってー』

『しーくんのへたっぴ…』

『任せろって言ったのに…』


『プリクラ撮ろ!』

『しーくん!見てみて!カップル専用プリだって!』

『やだって言わないでよ…』

『え…いいの!』

『カップル専用ってこういうことかー』

『あ!やば!カウント始まっちゃった!しーくんもっと近づいて!』




「そろそろ帰るか」

今日一日色々なことがあったが、当初の目的であった俺の新しい服を買うことが終わったので二人で家路につくことにした。

電車を降り、駅の改札を出ると、まだまだ夜は冷え込むらしく家までの道のりは少し肌寒かった。

『ねぇしーくん家までてーつなごーよ』

「仰せの通りにお姫様」

今日は自分が誘ったせいで少し怖い思いをさせたと思っていたので贖罪として玲の言うことを聞くことにした。

すると、玲は肘から前腕にかけてなでる様に手を這わせ俺の手に絡めた。

『あったかいね』

「そうだな」

『こーするともっとあったかい』

そう言いながら絡めた手を解き、腕に手を回し肩に頭をのせてきた。

「恥ずかしいだろ!」

『大丈夫。ここには誰も止める人なんていないから』

「絶賛止めようとしている人が横にいるんだけど」

『しーらないっ』

こうして、交際し始めた高校生カップルのようにして肌寒い春の夜の家路を急いだ。


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