第21話 マヨネーズ怒り

 病院を退院し、翌日。

 僕は木菱先輩の様子を見に行った。

 まだ回復しきっていないが、面会は可能になったという。

 マヨ子の指示なくしてケチャップマンにはならないと思っていた。だから、マヨ子がなぜ無意味な行動に出たのか。それも気になる。

 ケチャップマンがこうして町中に現れたが、自我を失っていたことから、間違いなくケチャップ因子は作られていないと分かる。

 でももし、木菱先輩が自分でやったことなら?

 ゴクリと生唾を飲み下し、ドアを開ける。

 そこには木菱先輩がいた。

 赤い髪をまとめていて、普段とは違う雰囲気を醸し出している。

「あ。緋彩だ」

 どこか幼い言葉使いに衝撃を受ける。

「緋彩。こっちへきて」

 木菱先輩は布団をバフバフと叩く。

 仕方なく歩み寄るが、以前の木菱先輩とは違う気がする。

「一緒にあそぼ?」

「……うん」

 おままごとを始める木菱先輩。

 まるで幼児退行したかのような症状に目が眩む思いをした。

 こんな。こんなことがあっていいのか。

 ひどい。ひどすぎるよ。

 ヒーローになろうとしてこんなことになるなんて。それも本人の意思ではなく、周りに仕立て上げられたヒーローだ。

 メガネがそうしたように、無理矢理に因子を注入されたのだ。

 その結果がこれだ。

 僕は落胆した。

 この世界は、何を求めていたのだろうか。何を信じて僕は闘えばいいのだろうか。

 生きる意味を、闘う理由を失ったかのような気がする。

 染みていく。紙が墨汁を吸い込むように、徐々に染みていく。

 僕は

「しっかりしなさい。愛野くん」

 その声を聴き、ふと見上げる。

 歌恋だ。

「ヒーローはいつ何時も、ヒーローであるべきだ」

「でも、だって……!」

 木菱先輩のこんな姿見たくなかった。

 闘い疲れ、幼児退行なんて。あまりにもひどすぎる。

「そうだとしても、あなたはまだヒーローなんだ。みんなを守るヒーローなんだ。愛野くんにはその素質がある。みんなをまとめることのできるヒーローなんだ」

 歌恋の言葉が身に染みる。

 ツーッと頬を伝う涙。

「どうして、泣いている?」

 木菱先輩がそう訊ねてくる。

「ごめん。なんでもない。なんでもないんだ」


 木菱先輩と遊び終えると、僕と歌恋は一般人のいる休憩室にいた。

「木菱さんはまだ生きている」

「え。どういう意味?」

 僕がはてなマークを浮かべていると、歌恋は真剣な眼差しを向けてくる。

「一時的に精神が困窮しているけど、そのうち治る」

「ほんと!?」

「ああ。そうだ」

 歌恋は嘘は吐かないだろう。何よりも強い目が語っている。

「問題は舞子さんね。彼女の位置情報は分からないのだ」

「……そっか。マヨ子はもう会えないのかな」

「…………」

 電車の中で僕は思い出す。マヨ子との日々を。

 コトンと僕の肩に頭を乗せる歌恋。

「あたしは君の味方だよ。安心して。どこまでもついていくから」

「うん。ありがと」

 隣にいるのが歌恋で良かった。

 なんでもお見通しなんだもの。

 僕が弱っているのを知っているから。

 木菱先輩とマヨ子を知っていて、こんなにも辛いのだと理解できているから。

 いつもいたマヨ子のいる自宅。でも今日はいない。

 りきお兄ちゃんも今はどうしているのか分からない。

 久々の自宅に帰り、ホッとする一方。物足りなさを感じてしまう。

 今日はもう遅いから帰り道で買ってきたコンビニ弁当をつつく。

「寂しいよ。力お兄ちゃん。マヨ子」

 もう帰ってこないと知りながらも、口にしてしまう。

 どんなに取り繕っても、僕は弱さを捨てきれない。


 学校に登校すると、半家と熊野が迎えてくれる。

「少し痩せたんだじゃないか?」

 熊野が優しく微笑む。

「そうかもしれない。病院食だったし」

「そいつはいけない。これでも食え」

 そう言ってハチミツ入りメロンパンを差し出してくる熊野。

「あ、ありがとう」

「なーに。気にするな。お前の頑張りはみんなが知っている」

 その言葉に視界がぼやける。

「おいおい。泣くなよ」

 熊野が焦ったようにオロオロする。

「ごめん」

「てめー。こんなの作りやがって」

 半家に渡していたUSBメモリ。その中にあるゲームを遊んでいる半家。

「おいおい。この構図バッチリじゃね? そうだ。今日あたり木菱に続き書いてもらおうぜ」

「ダメだよ!」

 きつい言い方をしてしまった。

 ビクッと驚く半家と、クラスメイト。

「あ。大きな声を上げてごめん」

「いや、いい。だが、なんで?」

「木菱先輩に負荷をかけたくない」

 本当のところは半家に見せたくないのだ。幼児退行してしまった彼女を。

「まあ、てめーことだ。なにかあるのだろうけど。にししし」

 半家が笑いだす。

「俺の作ったゲームも最高だぜ?」

 そう言ってUSBメモリを渡してくる半家。

 仕方なくパソコンに挿入し、起動を試みる。

 そこには昔流行ったゲーム画面が表示される。パズルゲームだ。見覚えがあるが、気にしてはいけないのだろう。パズル四つを合わせると消えるシステムのようだ。

 落ちてくる石を積み重ねていく。

「これを半家が一人で?」

「ああ。本をかじって大変だったんだぜ?」

 どや顔でパズルゲームを見やる。

 だが、すぐに画面外にパズルが落ちていく。

「半家くん。これって……」

「だあ~! またバグかよ! これで何度目だ」

 そう。ゲーム開発とはバグとの闘いでもあるのだ。

 だから完成品と言っても注意しなくてはならない。

 お昼休みになり、登校してくる者がいた。

 マヨ子だ。

「マヨ子! なんでこんなときに」

「別に……」

 前の人なつっこい笑みはどこかへ消え失せ、変わりに冷たいほどの冷笑を浮かべている。

「マヨ子の奴、どうしっちまったんだ?」

 半家が疑問に思うのも無理はない。

 以前なら僕にマヨネーズマンと言い歩み寄ってきていた。

 自分から声をかけてくれていたのだが、それがないのだ。

「マヨ子。色々と聞きたいことがある」

 僕がマヨ子の前に出る。

 でもマヨ子は素知らぬ顔をする。まるで聴いていないようだった。

「どうしたんだ? マヨ子」

 ここ数週間の休みに加え、ヒーロー活動から身を置いてきた彼女だ。なにか理由があるはずだ。

 そして、今のこの表情にも意味があるはずだ。

「木菱先輩なら無事だ。もう心配する必要はない」

「そう……」

 この反応。やっぱり、僕たちを裏切ったのか? 違法マヨネーズ工場にいたことを思い出し、僕の苛立ちは最高点をたたき出す。

 怒りを露わにし、僕はマヨ子の机を叩く。

「お前! 何か知っているんだろ! なんでなにも話してくれないんだ!」

「お、おい」

 半家が止めに入るが、

「うるせーっ! 僕は今、マヨ子に話しているんだっ!」

 怒りが爆発し、手を伸ばす。その手が半家の胸板を叩く。

 マヨネーズネットが飛び出し、半家がマヨネーズにくるまれる。

「ぐ、なんだ。これ」

 半家が苦しんでいる。早く解かないと。

 だが、手が震えてマヨネーズネットが回収できない。そればかりか、ネットがきつく閉まる。

「いて、いてーよ」

 震える手をもう一方の手で押さえ込み、なんとかマヨネーズネットを回収する。

「なんなんだよ」

 慌てて距離をとる半家。

「僕は……。僕は!」

 走り出す。

 マヨネーズを摂取し、マヨネーズマンになると、町中の方へ向けてマントを広げる。

 春風を浴び、たなびく雲、しまい忘れた鯉のぼりを視界に納める。

 僕は解体途中のビルに突っ込み、壁を破壊し始める。

「うらっ。なんで! なんでこうなるんだよ! なんであんたたちは!」

 怒りを露わにし、壁を叩くのをやめようとはしない。

「くそ。せっかく会えたのに。せっかく……」

「力が欲しいか?」

 後ろで聞きなじみのある声が耳朶を打つ。

 振り返り、僕は頷く。

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