第16話 マヨネーズお兄ちゃん

 次の日になり、僕は醤油マンのいるビルの屋上にたどり着く。

「噂のジャックは、このあたりに潜伏している。いくぞ、マヨネーズマン」

 醤油マンは地図を広げ、場所を指し示す。そして僕に発破をかける。

「うん。行こう」

 醤油マンは跳躍し、港区の倉庫に向かう。

 僕はマントを広げ、醤油マンの後を追う。


 港区東海岸沿い。

 そこには倉庫が立ち並ぶ港がある。そこの一角に大型のコンテナをしまう倉庫がある。

 以前、木菱先輩が逃げ込んだ倉庫に似ている。無理もない。同じような建物がいくつも並んでいるのだから。

 その中でも、B32と呼ばれる倉庫がジャックの居場所らしい。

 耳を研ぎ澄ませ、音を拾う。

『やはり、やっこさんは商売上手やわ』

『とんでもない。自分はただマヨネーズでみんなの気分を高めたいだけですよ』

「なに言ってやがる。そのせいでこの町はボロボロだっていうのに」

 醤油マンが苛立ちを見せる。

 だが、そこには至らなかった。

 聞き覚えのある声。

 どこの誰か、もう分かってしまった。

 だからこそ許せない。

 だからこそ怒りが湧いてくる。

 僕と醤油マンはその倉庫の屋根を突き破ると、地面に着地する。

「大人しくしろ――」

りきお兄さん!」

 醤油マンの名乗りの途中に、僕が叫び声を上げる。

 相手は二人。一人は売人の男。もう一人は買おうとしている客。だが、りきお兄さんは売人の方。つまり――ジャックとはりきお兄さんのことなのだ。

 ジャックの顔には見覚えがある。顔に傷があれど、僕は見間違うわけがない。

「なっ!」

りきお兄ちゃん。なんでこんなことをするのさ! 兄さんには分かっているはずだ。この違法マヨネーズは人の精神を壊すって!」

「知らねーな。自分は愛野あいの力なんて名前じゃない。ジャックだ。ここではそう呼ばれている」

「あくまでも、しらを切るつもりだね。いいよ。捕まえてみせる」

 それがせめてもの償い。自分の身内から出した罪人を裁く。

 マヨネーズネットを展開すると、りきお兄ちゃんの足下に絡みつく。

「……」

 無言でガスバーナーを使い、焼き切るりきお兄ちゃん。

 買い取りを行っていた人は逃げ出しているが、そっちには醤油マンがいる。

 終わりだよ。

「なぜ、違法マヨネーズなんて売ったのさ! りきお兄ちゃん」

「へ。売れるもんがそこにはあるんだから、売るだろ」

 ちっとも理屈らしくない言葉に唖然とする。

 りきお兄ちゃんはもっと聡明で優れた頭脳を持っていたはず。なにがここまで狂わせたのか。

 久しぶりに会ったというのに、一ミリも表情を変えない。

 そんなりきお兄ちゃんに苛立ちを覚える。

「もう、忘れてしまったの? もう僕らとは一緒にいられないのかな?」

 悲しげに呟き、マヨネーズネットを放つ。

 それをかわすりきお兄ちゃん。

「は。悲しいな。過去にとらわれ、今を見据えないものは。それでは何も変えることなんてできない。なにも手に入らない」

「だからって、そんなの間違っている」

 何を変えようとしているのか、知らないが、違法なのは間違いない。彼には制裁を受けてもらう。身から出たさびは落としてもらう。

「自分から変わる意思を持たなきゃ、その人の人生は変わらない。自らを解き放つ必要がある。でもりきお兄ちゃんのやり方は間違っている。それじゃ変われない」

 マヨネーズネットにガスバーナーで対抗するりきお兄ちゃん。

「変わるさ。すべての膿を出し切ったあとでな!」

 ガスバーナーの威力を強め、火炎放射器のように扱う。マヨネーズネットに燃え移り、コンテナの一つが燃える。蛇がのたうち回ったように火の周りが早い。

 風だ。

 風が吹き荒れ、コンテナに入った違法マヨネーズに着火する。

「しまった!」

 僕は慌ててマヨネーズを飛ばすのをやめる。

 が、遅い。

 広がった火の手はうねりながらも、周囲を呑み込んでいく。

 僕はマントを広げ、倉庫から飛び立つ。そして近くの倉庫に降り立つ。

 醤油マンが買い取りを行っていた男をとらえ、こちらに跳躍する。

「これはマズいな。消防車を呼ぶ。そっちは?」

「取り逃した。マヨネーズが燃えるなんて」

「普通のマヨネーズじゃないからな。余計に燃えやすいんだろうよ」

 醤油マンが通報すると、近くのビルまで飛ぶ。

「しかし、こいつの処分をどうするか」

「ひっ」と悲鳴を上げる買取人。

「情報を聞き出さないと」

 買取人はにやりと笑う。

「司法取引を! おれ、なんでも話すから」

 買取人は思いついたように懇願してくる。

 どうする? 目配せをする。

「まあ、話だけでもいいかな」

 醤油マンはそう切り出すと、買取人は両手を合わせて「ありがて、ありがて」と繰り返す。そして情報を話し出す。

 ジャックとの連絡手段や買い取り価格、違法マヨネーズの製造工場。資金源などなど。

 お陰でこっちがやる仕事が増えた。

「どうする?」

「製造工場を叩く。それからだ」

 醤油マンは固い決意でそう表明する。

「さて。こいつは?」

「もちろん警察に引き渡すさ」

 僕は縄でがんじがらめになった買取人を見やる。

「ひ。し、司法取引と言ったはずだ!」

「俺は警官じゃない。そんな取引に応じた覚えはない」

 ひどいヒーローもいたものだ。

 自分の立場を理解しておきながら、相手を騙すなんて。

 警官に引き渡すと、その場を去る醤油マン。

「また会おう。マヨネーズマン」

 今回のことで違法マヨネーズの在庫はなくなった。

 お陰で民衆から偽マヨネーズマンの姿はめっきり減った。

 なら今、違法マヨネーズ工場を叩くべきなのだろう。

 僕は醤油マンにもらった連絡先をスマホに移す。

 しかし困ったものだ。

 ようやく落ち着いたかと思ったが、まだやらなくちゃいけないことがあるなんて。

 醤油マンと連絡をとり、明日、違法マヨネーズ工場を叩くと決めた。

 一日空けたのは、疲れをとるため。

 でも僕の頭の中はりきお兄ちゃんでいっぱいだった。警察の話だと、そんな男は見ていないという。

 瓦礫の中から、人は見つからなかった。なら生きて逃げ延びたのだろう。

 りきお兄ちゃんが生きている。

 それは朗報ではあったが、同時に怒りも覚えた。

 なんでうちに帰ってこなかったのか。

 僕のことを嫌いになったから? 

 なんで。

 なんで、僕たちが大変なとき、帰ってこなかったのだろう。

 僕が疲れて、熱を出したとき。

 友樹ゆうきお兄ちゃんが、死んでしまったとき。

 友樹お兄ちゃんの恋人が死んだとき。

 なんで。

 なんで、助けてくれなかったのさ。

 なんで、自分だけ逃げ延びているのさ。

 なんでさ。

 僕だって逃げたかった。

 こんな現実は嫌だ。逃げて逃げて。それから……?

 それから僕はどうすればいいのだろう。

 どうして僕は生き延びているのだろう。

 一番要らない子が生き延び、望んで生まれてきた子が死ぬ。

 なぜ?

 間違っている僕が生きているの?

 なぜ?

 分からない。

 大人になれば答えが見えてくるのかもしれない。

 でも、それでも分からなかったら?

 生きている意味は?

 闘う理由は?

 僕はなんのために闘う?

 きっと家族のためだろう。

 だから、その家族が消えてしまったら意味がない。

 友樹お兄ちゃん。りきお兄ちゃん。お父さん。お母さん。

 みんなみんな、大事な人だ。

 彼らを、彼女らを泣かせたくない。

 これ以上、悲しみが増えるのは嫌だ。

 止めたい。

 悲しいから、悲しくなくするために人は生きていると、どこかで聴いた。

 どこかで知っている。

 だから、僕はマヨネーズマンで正しくちからを使う。

 もうりきお兄ちゃんとは決別したのか? いや、違う。まだ説得の機会はあるはずだ。

 彼が無事で生き延びることを祈る。そしてもう違法マヨネーズから足を洗うことを願う。

 だって僕のお兄さんなのだから。

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