第11話 マヨネーズ因子。
「それを別れろって、私、まだ彼を諦めませんからね」
強気に出てきた木菱お姉ちゃん。
お父さんがタジタジになり、目を細める。
悲しみか、あるいは嬉しさか。分からないが涙を流すお父さん。
「そんなに愛してくれて嬉しい。だが、キミは……」
「いいんです。私、何年でも待ちますから」
会話から分かってきた。
この人は友樹お兄ちゃんの恋人だ。守るべき相手だ。
でも友樹お兄ちゃんがこうなって、ヒーローになるって言っていたのに。
僕に嘘をついたの?
嫌だよ。そんなのは。
僕は一人じゃなんにもできないんだから。
友樹お兄ちゃんがいなければ、僕は何もできない意気地なしなんだから。
『人間は生きていれば人としての尊厳と誇りを持っているもの』
そう言われたって分からない。
全身に包帯を巻いて点滴で栄養を摂って、ベッドに寝たきり。
これが人としての尊厳と誇りだと言うのか?
違う。
そんなのは間違っている。ケチャップ人。彼らが暴走していなければ、友樹お兄ちゃんは助かったのだ。
憎い。ケチャップ人が。
彼らが暴走なんてしていなければ、僕の平穏は守られたのだ。
それからというもの、力お兄ちゃんが家に帰ることがなくなった。
今はどこかで生きていると信じているが、どこにいるのか。分からない。
病死したお母さんについで、友樹お兄ちゃんの障害。力お兄ちゃんの失踪。
お父さんのダメージは大きかった。それでもなんとか仕事に打ち込むことで支えていった。いや、まるで何かにとりつかれるかのように、仕事をする。振り切ろうとするかのうように。
僕は一人、自宅で泣いた。静かに泣いた。
隣の部屋、その隣の部屋は静かになった。
病院で寝たきりの友樹お兄ちゃん。
音信不通の力お兄ちゃん。
お父さんはリビングで頭を抱えている。
「なんでこんな目に……」
なんで。
なんでだろう。
なんで僕は何もできないんだろう。
※※※
伝う涙が枕を濡らす。
久しぶりにあの夢を見た。
みんながいた頃の話。僕がまだ五歳の頃。
「早く帰ってきてよ。お兄ちゃん……」
僕はそう呟き、ベッドから這い出る。
「朝ご飯できたよ!」
ノックの声が聞こえる。
僕は部屋を出る。と、裸の上にエプロンを着たままの姿を現すマヨ子。
「な、なんて格好をしているんだ! 服を着なさい」
「いいじゃない。裸エプロン。新婚さんみたいで嬉しい♪」
「新婚、ね……」
奥さんがいたらこんな風景なのだろうか。
「いやいや! 新婚でもしないでしょ!?」
「そうなの? てっきり世の奥様方はやっていることかと」
純粋なマヨ子のことだ。ネットでみて、見よう見まねで試しているのだろう。
「じゃあ、この童貞を殺すセーター、とか?」
「着ないだろ」
マヨ子と話していると頭が痛くなる。
「うぅん。恋愛は難しいの……」
ちゃちゃっと朝食を用意すると、かじりつく。
「そんなにお腹空いていたの?」
「あ。いや、これから戦うんだ。ちゃんとエネルギー補充が必要だと思って」
「そっか。気合い十分だね!」
また戦うのか。木菱先輩。
この世界をケチャップ人の楽園にするために。
それとも彼女のことだ。崇高な理念があるのかもしれない。
頭のいい人ほど、戦いを引き起こすが、それがなんためにあるんだ?
分からない。
もともと力を持つのが悪いのかもしれない。
だから友樹お兄ちゃんは植物状態になった。
バイクという武器を持って襲った。
みんな犯罪者になりえるのだ。ちょっとしたきっかけ、ちょっとした魔が差すだけでも。
だから気持ちを高めていかなければならない。知的に、考えなければならない。
そんなのはとうに知っているはずの木菱先輩が、どうして。
どうしてこんなことに。
「そろそろ出発するの」
「う、うん」
「歯切れ悪いね。どうしたの?」
「ケチャップマンの正体は木菱先輩なんだ。僕はこの目で見た」
「……もしかして助けてあげるつもり?」
「そりゃ、そうでしょ」
なんて当たり前のことを聴くんだ。
びっくりした。
「でも彼女はケチャップマンなの。この世界に悪をもたらす、って」
「それは……。ネットで騒いでいるだけだよね?」
「実際に倉庫にあった小麦粉や干し草が犠牲になっているの。それ相応の処置は必要なの」
「……でも人的被害はでていないでしょ?」
疲れたようにため息を吐くマヨ子。
「それはあなたがそうしたから。でなければ、他の人を襲っていたかもしれない」
「そ、そんな……」
「公的機関に所属しているわけでもない彼女は望まれていないヒーローなの。だから戦うには許可が必要。でもそんな報告は受けていない」
暗に非公式だから戦えないと言っている。
確かにそうなのかもしれない。
戦ってはいけないのかもしれない。
でも、だからこそ止めたい。こんなやり方、本当は木菱先輩も望んでいないはず。
だから戦う。
僕が止める。
何もできなかった幼い頃とは違う。
誰かを救える手を、歩み寄る足を持っている。
マヨネーズだけが武器じゃない。
それに木菱先輩は本当は優しくて暖かで可愛い女の子と知っているのは僕だけだ。
これは運命なのかもしれない。
彼女を助けるために、僕が行く。
僕にしかできないことがある。
外に出ると黒塗りの高級車が待っていた。
「きっかり10時なの。さあ、のって」
「え。これに?」
「公用車なの。すぐに木菱さんのところに向かうの」
「う、うん。分かった」
僕が戸惑ったのはそういう理由じゃないんだけどなー。
高級車に乗るなんて初めての体験でドキドキする。
マヨ子が手慣れた様子でクーラーボックスからお茶を取り出す。
「飲む?」
「うん。いただこうかな」
変な汗もかいてきたし、少し水分補給したいな。
これから望むのは木菱先輩との戦いだ。
どうすればいいだろう。
傷つけずに戦うには――。
「緋彩くん。そんな難しい顔をしてどうしたの?」
「いやケチャップマンはどのくらいで効果が切れるのかな?」
「計算上だと2時間。それまでにこちら側の新薬を摂取させるの」
「新薬?」
「ええ。これはマヨネーズマンになるマヨネーズ因子なんだけど、それをケチャップ人用に改良したケチャップ因子に置き換えることで精神の安定を試みるの」
「す、すごい。そんなことができちゃうんだ」
「そうね。でも、本当に大変なのはその薬をどう摂取させるか?」
アタッシュケースを取り出すと、そこには様々な形をした薬がある。
注射タイプ。座薬タイプ。錠剤。吹き矢etc.
「それで、どれを持っていけばいい?」
「そうね。一番可能性があるのは注射タイプなの。これで彼女の意識を取り戻せば、もう二度と暴れることもないでしょう」
「つきましたぜ」
強面の運転手がそう言うと、僕たちは車から降りる。
周囲を見渡すと、そこには廃墟となったビルが立ち並ぶ未開拓エリア。東区のゴミ捨て場。
そんなところに彼女が潜伏しているのか。
あのお嬢様気質はどこへやら。
僕はマヨネーズを一滴のみ、マヨネーズマンになる。
耳を研ぎ澄まし、嗅覚を刺激する。
風に乗った匂い。耳に入ってくる会話。
すべてが僕の頭の中で処理される。
「こっちだよ」
僕はマヨ子を連れて歩き出す。
三つ目の倉庫にたどり着いたのはいいが、鍵がない。どうやって開ければいいんだろう。
「パンチでもしてみる?」
「それだと警備員がきちゃうよ」
「じゃあ、マヨネーズで鍵を開けちゃえ!」
そうか。マヨネーズを鍵穴にいれ、硬化。
そのまま右に回すと、鍵が外れる音がする。
「なんだ。楽勝じゃん」
僕は少しふわふわした気持ちになった。
そしてその中にいたのは木菱先輩のあられもない姿だった。
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