20.顔に出せない男

ラドルフ

ーーーー


 やっぱり後を追って良かった……


 窓口で対応した男でなくても、誰がいつ口説き始めてもおかしくない様子だったからな。


 出口のところで待たせておいたウチの御者とともに馬車に乗り込んで帰っていくのを見届けて、やっと肩の力が抜けてきた。


 俺が現れた事にいたく驚いていたが、物言いをキツくしすぎただろうか。

 正直に心配だからと言うべきだったか?


 いいや。


 アイツは俺に触わられるのも嫌なくらいなんだ。


 下手したら夜逃げ同然でウチの屋敷を出て行くくらいしそうだしな。


 どうせ少しして狩猟祭が終われば婚姻するんだし、わざわざ恥を承知で本心をさらして事を荒立てる必要なんて無いだろ。



 それからすぐの夜会の日。


 相変わらず着飾ったその姿は花がけぶるようだった。


 あんまりジロジロ見るのも不愉快に思うだろうから基本的には視線を外すようにしているものの、その姿を間近で真正面で見れる唯一の時間があるから、それまで待てばいいだけのこと。


 そうして、この日もその時間がやってきて手を握って、その腰を引き寄せると……


 いつもだったら真っ直ぐに笑みを向けながら見つめてくる長い密集したまつ毛に縁取られた瞳が逸らされて、曇った表情を浮かべながら横を向いて項垂れた。


 その様子はとても苦痛そうだ。


 ……何か俺、やらかしたのか?


 約束通り、書類も書いて、結果はどうなるか分からないが皇城に提出するところまでは上手く行ったというのに。


 これまでに色々と知識を付けてきたつもりだったが、女心っていうのは考えるのも無駄だと思って避けて通ってたから、この反応がどこから来るものなのか全くもって分からん。


 しかし……この横を向いて俯いてる角度、初めて見るな。


 目の前には、あらわな鎖骨にかけてくっきりと首の筋が浮かび上がった、白い陶器みたいな肌がさらされていた。


 おそらく、目の前のものはこの会場の中で俺にしか見えていない。


 誰にも見せたくないし、思わず口を寄せて吸い付きたくなる……


 っておい!!

 馬っっ鹿か俺は?


 こんな変態じみた思考が悟られたら、この世は一貫の終わり。


 グッと堪えようと眉間に変に力が入っちまったから、表情に出たかも……


 ほんっとに最悪だよ。



 それからもイリスは夜会にくっ付いてはくるものの、もう俺の顔を見て踊ることはしなくなった。


 色々と心当たりを探してみたが、本当は離れたいのに見返りの条件からそれを突っぱねた事が原因としか考えられなかった。


 こんなに思い悩んだ顔して、俺との婚約関係が続くことが余程ショックだったらしい……


 そうこうしている間に、うちの屋敷に届いたのは皇族騎士団の印が押された一通の書面だった。



イリス

ーーーー


 家族以外から私宛の郵便物っていうのはほとんど届かないんだけど、どっかで見たことのある紋章が刻まれたちょっと高級そうな大きめの封書を屋敷の執事から渡された。


 中を開けてみて、私の頭の中は一瞬真っ白になった。


 そこには皇族騎士団のトップ、バリアーディ団長の直筆の文書が同封されていたからだ。


 バリアーディ団長といえば、騎士なら誰でも憧れる騎士界のスーパースター。雲の上の上の上のお人。


 そんな尊い方からどんな事が書いてあったかと言うと、皇城に来て詳しく話を聞かせるように、とのことだった。


 ということは……ラドルフ様が書いてくれた書類が無事に通過して、受理されたんだ!!


 やったぁー! やったよ、ロザニアにルイーゼ、ウィーナに女騎士のみんな!


 今では話をすることすらツラい状態になってしまってるけど、彼女たちを救うためにもここはそんなワガママを言っていられない。


 私は仕事から帰ってくるのを見計らって、玄関前で馬車から降りてくる彼を出迎えた。


「ラドルフ様、お帰りなさいませ」


 他の貴族家で花嫁修行でもして一緒に暮らしてる婚約者だったら、相手が帰ってくる時はこうしてお出迎えするのが普通なんだろうけど、私がそれを真似しても不快に思われるだけだからって、今までそんな事をしたことはなかった。


 馬車から澄ました様子で降りてくる細身の男性に声を掛けると、珍しく少し驚いたような感じでパッと私の方を見た。


「このあいだ提出した書類が通って、今度、皇城に行くことになりました。ラドルフ様のお陰です、ありがとうございました」


 あんまり見たことのない反応だったから、心なしか面白くてもっと見ていたかったけど、私は思ってたことをありのままに言葉にして、前にしたみたいにスカートの両端を手でつまんで彼に向かって一礼した。


「ああ、知ってる……」


 少し淀んだような言い方だった。


「その件で俺も話があった。お前が参内する日、俺もその場に呼ばれたから、一緒に行くぞ」


 え? 顔を上げると、彼は私のすぐ前で横を向いて目を閉じながら、持っていたカバンを待機してた執事に渡している。


 書類を提出しに行った日、書いてある内容全部を見る時間はなかったけど、表紙の提出者の欄には私の名前しかなかったはず。


 なのに、なんでラドルフ様まで呼ばれたの? もしかして……


「まさか、ラドルフ様が書いたものだと知られてしまったのでは……」


 カバンを執事の人に渡し終えると、私が前に掴んで引っ張ってた首元のタイを緩めながら、やっぱりこっちを見向きもせずに答えた。


「それは無いが、俺の担当部署にも関わることだからだとさ」



 そんな訳で、それから数日後。

 馬車に揺られて皇城に向かう日が来た。


 前の座席で足を組み、窓枠に片肘をついて外を見ているラドルフ様とはずっと沈黙だった。


 偉い貴族の人しか入れない皇族も住んでいるメインの建物に初めて入ることになった。


 緊張でオドオドしている私とは違って、彼は白くて荘厳な建物の中を慣れた様子で歩いている。


 案内の人に、こちらですと言って通された部屋に入った時、私の緊張はピークに達するとともに、あり得ない、信じられない光景に、目を疑った。


 バリアーディ皇族騎士団長と共にいたのは、お誕生日や何かの式典のパレードで遠目にしか姿を見れない皇女様と、その側近でエミリアお嬢様の婚約者の超ハイスペックな次期公爵様。


 そして、この見るからに装いが立派で、さっき通ってきた廊下にも飾ってあったでっかい全身の肖像画と同じ人物。

 ……皇帝陛下だった。


「ああ、君がイリス君かね。こちらへ掛けたまえ。エスニョーラ侯爵子息殿は隣へ」


 憧れのバリアーディ団長は、想像以上に爽やかで物腰の柔らかい方だった。


「女騎士の現状について、これだけ詳細に知らせてくれたのは君が初めてだ。

 大変興味深い議題であるから、陛下と皇女殿下にも声を掛けさせて頂いたのだよ。

 まず陛下、お聞きになられる事はありますか?」


 団長に促されて陛下が何か話されようとした。

 い、いきなり陛下との会話!?


 待って、心の準備が……


「いやあ、私はどのような者がこの訴状を出したか見てみたかっただけだから。あとは団長と若い者たちで熱く議論を交わしてくれい」


 そう言って、陛下は早々に立ち去って行った。


 よかった。心臓が口から飛び出すかと思った。


 しかし……次に待ち受けていたのは、近くで見ると迫力があって、同じ人間とは思えないほど華やかな皇女様による質問の嵐だった。


「……何、女騎士の休憩時間は食事をする10分とダンスタイムだけというのか?」


「はい、女騎士は1人の貴婦人に1人だけですから、通常の護衛騎士のように交代制ではありません。お風呂の時も、トイレの時はさすがに扉越しではありますが、片時も離れることを許されないのです」


「なんという、過酷さなのだ」


 皆の昔ながらの女騎士像に忠実な働き方を聞くと、私はいかに甘やかされていたか痛感する。


 うちの騎士団長が交代して休みももらえてたし、お嬢様の食事中は使用人食堂でゆっくりご飯も食べれたし、お風呂にもトイレにもついて行くことなんか無かった。


「次はこれだな……」


 皇女様が次の紙面の内容を読み上げた時、思いがけないことが起こったのを知ることとなり、私の目頭はちょっとだけ熱くなった。

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