17.請け負いの仕事

イリス

――――


え……何? ビックリした……


いつも怪訝そうにしてる顔が、さらに険しくなってる。


なんでこんなに怒ってんの?


「ダ、ダメって何がですか?」


今、私が語った1番いいと思ってる人生のこと……?

もしかして、私にはもっと、もっと汗ドロにまみれた人並み以下の最低最悪な人生の方がお似合いだって言いたいの……!?


ヤツは何故かハッとしたような表情をすると、一息吸って前かがみになってた姿勢を戻して椅子に深く腰掛け直した。


一体全体、何が気に食わなかったのか……理解に苦しむ。


「あのなぁ……ずいぶん身勝手な話だな。お前にどんだけ金かけてやったと思ってるんだ。婚約を取りやめる? そんな話は却下だ」


ヤツは足を組み替えながら、自分の首筋に手を当ててそう言った。


え! なんで! コイツも私との婚約は嫌なはずだから喜ぶと思ったのに。


でも確かにまだ着てないドレスもアクセサリーも沢山あるから、その事を言ってるのか。


「いいよ、その女騎士の書類についてもやってやるよ。ただし、見返りは別のに変更させてもらう」


”やってやるよ”、か…… 相変わらず上目線な人だな。

でも仕方ない。こちらからお願いしてるんだから、ここは我慢、我慢っと。


「見返りの変更……ですか?」


おずおずと上目づかいで見上げると、ヤツはふいっと私から顔を逸らした。


「1つはうちで用意した衣服、装飾品を全て身につけるまで、これまで通り社交に付き合うこと。それから、人前だけでいいから俺のことは名前で呼ぶこと。いくら主従関係が長かったとはいえ、婚約相手に”坊っちゃま”はないだろ」


何を言われるのか怖い気がしていたのだけど、思ってたよりハードルは低そうだ。


そっか……そう呼ぶのが当たり前だったから何も疑問に思ってなかったけど、人前でしかもパートナーにそう呼ばれるのは、いくらこの人でも恥ずかしかったんだ。


こんなに会話したのは初めてだったけど、正直なところ本当はエスニョーラ家での生活に不満があった訳じゃないから、出ていかなきゃならないのは寂しい気がしてたんだよね……


それがとりあえずの所、無くなったから良かった。



お屋敷に帰った後、ヤツの書斎に今まで集めたインタビュー記録の束を運んだ。その中にはいち女騎士としてテドロの婆さんから受けた辱めの私の話も、諦め半分ではあるけど紛れ込ませておいた。


「これをこの書式に沿って内容をまとめたいんです」


「……それだけか?」


ううっ悔しい……コイツにとっては朝飯前のことって訳か。


「ですが、坊っちゃ……ラ、ラドフル様の担当の窓口なのに、ご本人に書かせてしまうのは、いかがなものなんでしょうか……」


気を取り直して、唯一の懸念事項を確認してみたところ、さっき提示された見返りの条件を思い出して、生まれて初めてコイツの名前を呼ぼうとしたけど……やばい、完全に噛んだ。


絶対に睨まれると思ったけど、ヤツは渡したインタビュー記事に視線を落としたまま、表情を全く微動だにさせない。


そして、少し間があった後、


「あー、それだったら心配いらない。この間、人員転換があって別の部門に異動になったからな」


抑揚のない話し方でそう言った。


そうなんだ! それなら気兼ねなく頼める、良かったー。


「だが、これだけの量となるといくら俺でも数日はかかる。そこだけは了承しておけよ」


嬉々こもった気持ちで内心満たされていると、ヤツは捨てゼリフのようにそう言って、こちらを見向きもせずにスタスタと執務机の方に歩き出した。


しかし、さっきまで急に怒り出して不機嫌丸出しだったけど、机の前で立ち止まって改めて書類に目を通し始めた途端、空気感がピリッとしたものに瞬時に切り替わった。


それに、真剣な切れ長の眼差し。


集中して紙を見ている姿は、これ以上邪魔しちゃいけないという気にさせたし、なんだか……すごく頼りがいがあるように感じられた。


いくら見返りを交わしたとはいえ、忙しい合間を縫ってやってくれるんだから、ここは個人的な感情は脇に置いて、きちんと淑女らしく振る舞わなくちゃ。


「ラドルフ様」


ぃよし! 今度はちゃんと言えた。


集中していた彼だったけど、呼びかけに思ったより素早く、後ろで結わいた髪の毛を揺らしながら反応した。



ラドルフ

――――


これは……根気よく結構な枚数、集めてきたもんだな。


もうエミリアの婚約式から、何回くらい夜会に出たんだ?


見返りの条件として、とっさに出した内容ではあるが、与えた服と装飾品もけっこう減ってきてるんじゃないだろうか。


一応、インタビューの項目はだいたい統一されてるようだから、似たような回答をグルーピングして、そこから重要な問題を抜き出し、課題を引き出して……


早速、仕事モードに頭が回り始めると、突然自分の名前を呼ばれて電流みたいなものが走った。


反射的にそっちを見ると、さっきまでのめり込んでいた女騎士のインタビュー内容が一気に吹っ飛んでいった。


そこにいたのは光り輝く白銀色のドレスを身にまとい、その長い両裾を手で持ち上げる、どこからどう見ても育ちの良さそうな品のいい令嬢の姿だった。


「どうぞよろしくお願いします」


その令嬢はそう言うと、両裾を持ったまま少し腰を沈め礼儀正しくこちらに向かって一礼した。


自分でも信じられないくらいに、ただただ圧倒されていると、


「それでは、失礼いたします」


それだけ残し、後ろを向いて今度は片手で裾をまとめると部屋から優雅に出て行った。


あれが、田舎の男爵家の娘……?


いや、別に階級で差別する気なんざ無いが、ダンス会場とは違う場所で改めて真正面から全身を見たら、その所作は洗練されていたし、それに何より……うつくしかった。


俺からこんな言葉が飛び出してくるなんて、自分でも驚きだが……本当のことだし。


さっきも、潤んだ上目遣いの表情に、未遂だったが初めて名前を呼ばれた時も、急に心臓がおかしく鳴り出したんだよな……


この俺が妹を危険にさらし、突き飛ばし蹴りを入れる本来なら野蛮な女の言動にいちいち振り回されるなんて。


それもこれも、馬車の中でアイツが変なこと言い出すから。



落ち着こうと椅子に腰掛けると、また誰か知らない男に無邪気な笑みを向けながら話をしているヤツの姿が浮かんできて、胸がモヤモヤとし始めた。


自分のことみたいに懸命に集めてたこの女騎士の過酷な生活が綴られたインタビュー記事。


早く提出できるようにしてやれば、俺にもこんな笑顔向けてくれるのかな……

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