第12話:不和

 週明け、部室にはメインPCで作業するロボ子と、椅子を並べて寝転がりスマホを弄る零一がいた。出来る作業が無ければ何もしないのが零一のモットーである。

「へいへいへーい、リョーコさん参上!」

「「…………」」

 テンションの高いリョーコが突撃してきたが、残念ながら零一もロボ子もそこに合わせるような感性は持ち合わせておらず、無言でスルーしてしまう。

「元気がいないいないばーやんけ!」

 とはいえこの程度でめげるリョーコではない。

「いやー、ぬるいちもごめんねー。昨日、私が勝っていたらここにとびっきりのPCがあったというのに。無力で済まぬ。お返しにチューしてあげよう」

「要らない」

「ええ⁉ 美少女のチューですよ? 世の中お金出しても買う人いるのに」

「タダより高いものはない。あと、どうせPC手に入れても環境設定とか本気でやったら時間消えるし、総文までの残り時間考えたらこのままの体制がベストだろ」

「そっかー。それに、定期テストもあるしね」

「それはどうでもいい」

「お、余裕ありけり?」

「教科書の要所を抑えておけば赤点はない!」

「ぶは、安定のクズ回答。迫真顔で言うセリフじゃねー。ロボ子は?」

「万事抜かりなし」

「さすが。拙者にもお知恵を分けてたもれぇ」

「ノー。それじゃテストの意味がない」

「ひーん。まあ、拙者もあれよ、意外と成績は良い方なのだ。何とかして見せるぜ」

 ロボ子がPCから目を離し、リョーコを見つめる。

「リョーコ」

「何さ、改まって。何でも聞いてたもれ」

 茶化した返しを意に介さず、ロボ子は真面目な顔で、真剣な眼で、見据える。

 その眼はどこか、全てを見透かしているように見えた。

「舵を切り替えるなら、ここが最後のタイミング。このままの方向性でブラッシュアップするか、それとも何らかのテコ入れをするか、意見が欲しい」

「え、私の? なんで?」

「パイロットファーストだから」

「……えーと、んー、特になし! 大丈夫、ロボ子のロボットは最高だよ。しかもここから性能上がるんでしょ? それなら無問題、まっかせなさい!」

「……そう。わかった。なら、このまま進める」

 ロボ子は頷き、PCの操作に注力し始める。

 リョーコは笑顔で自分の椅子に座ろうと――

「なあ、本当にそれで良いのか?」

 したところで零一が声をかける。

 スマホの画面を見ながら、言葉だけを彼女に向けて。

「いやー、だってさ。ロボ子のロボットを操作したいわけよ、わたしゃ」

「でも、勝負するのはお前だぞ?」

 零一の言葉、それを聞いて顔を歪めたのは、ロボ子だけ。

 リョーコは、笑ったまま。

「えー、それは薄情じゃん。三人合わせてロボ研でしょー」

「俺とロボ子、バス美じゃ立ち位置が違う。ロボコンの勝敗は、パイロットのものだ。一緒に悔しがってやることは出来ても、同じ悔しさを味わうことは出来ない」

「ひどーい、バス美、泣いちゃう」

「負けて泣くのはお前だけだぞ。俺とロボ子は泣けない。俺たちの勝負は始まる前に終わっている。ロボコンを舞台に立たせる必要すらない。自己満足の世界だ」

「ロボ子の心情まで、ぬるいちが語るの? そんなに付き合い深かったっけ?」

「エンジニアならそう思う。口では何て言っても、心の底ではパイロットの領分が大きければ大きいルールであるほど、勝敗なんてどうでもよくなる。数値上、差異が無ければ尚更だな。何故なら、その勝敗にロボットなんて関係ないからだ」

「…………」

「今のロボコンはパイロットファーストだ。勝つも負けるもお前次第。ロボ子の内面は知らないが、俺自身はお前の勝敗に微塵も興味はない」

「興味ないなら、黙ってればいいじゃん」

 リョーコの言葉も、冷たさを帯び始める。

「お前がエンジニアに勝敗って荷物を預けようとしている風に見えたからな。それは違うぞ、って言っただけだろ。選択を投げるなよ」

 零一は一度としてリョーコに視線を向けなかった。

「ロボ子、今日って私がさ、何かやることある?」

「……ない」

「そっか、ん、したらお邪魔虫は帰りますかっと。NUCで腕磨いてきまーす」

 リョーコは笑ったまま、部室を後にした。

 零一とロボ子は互いに自分の画面を見つめ、視線を合わせない。

「要らないこと言ったな」

「……リョーコには、いつか、必要だったとは、思う。私じゃ、言えないけど」

「知り合いに記者の娘がいてさ。どうにも今年、この地区はべらぼうにレベルが高くなりそうだ。たぶん、どこかでは負ける。あいつも七聖相手で察したんだろうが」

「そう。今年の星王は、強い?」

「星王だけとは限らないそうだぞ。ただ、星王、いや、あいつが一度土つけられた以上、絶対に勝つための用意はしてくる。それを超えるのは、結構大変だ」

 リョーコにとっての壁、初参加にしては高すぎる壁に押し潰されるかもしれない。

 いや、今のままだと十中八九、そうなる。

「……あなたのおかげで私は救われた。私は、感謝している。でも――」

「あいつにとっては、きちんと動くようになったことで、逃げ場がなくなった、か」

「……ごめん。嫌な思いをさせて。嫌な役回りを、押し付けて」

「別にいいよ。そもそも嫌いなんだよ、俺。パイロットって役割がさ。本当のロボコンはお前らなんて関係ないんだ。本当は俺たちの領分なんだって、思っているから」

「ふふ、同感」

「でもまあ、代わりに矢面に立ってくれるなら、共存ぐらいは良いかな、とも思っている。俺はごめんだから、そういうの」

 零一はスマホをポケットにしまい、ため息をついた。

「きつい役割だよな。パイロットって」

「うん」

「でも、だからこそあいつらは、操縦するだけで一番多くの脚光と、報酬を貰えるんだ。アマチュアだから報酬は貰えないけど。主役はあいつらだ、プロアマ問わず」

 ロボ子は苦笑して、PCからデータを移したUSBを抜き取る。

「リョーコはね、私と違っていつか、必ずプロの世界に行くと思う」

「かもな。才能はあるんじゃないか。何となくだけど」

「リョーコの一番の長所、わかる?」

 愚問だ、と零一は笑う。

「「負けず嫌い」」

 迷いなく、彼らは言い放った。

「そこが良い方に向けば、あいつはどこまでも飛べるさ」

「うん」

「俺たちと違って、要らんこだわりもないだろうしな」

「ほんと、馬鹿。私たち」

「ああ」

 ロボ子が零一にデータを手渡す。

「変更点はいつも通りエクセルでまとめてあるから」

「了解。んじゃ、帰るわ」

「私も出来ることがないから、帰る」

「なら、駅まで一緒に帰るか」

「うん」

 エンジニアが出来るのは、舞台に送り出すところまで。

 ロボコンとは厳しい規格をもとに行われる競技である。基本的に性能とは取捨選択の世界、装甲を選べば速度や小回りが失われる。複雑な運動機能を設ければ、それだけ積載すべきパーツも多くなり、見た目以上の重さになってしまう。

 何かを捨て、何かを得る。確かにロボ子のロボットは高い技術力によって構築されている。高校生レベルではない、アマチュアとして見れば世界でも類を見ないほどであろう。だが、実際に戦闘をさせると、こだわりによって失われた強さも透けて出てくるのだ。

「七聖のロボット、強かったな」

「うん」

「プロシーンじゃ使われない強さだ。彼らの仕事は勝つことの他に、魅せることもあるしな。シンプル過ぎる機体は好まれない。ある程度魅せる動きが出来ないと」

「うん」

「で、こっちの強みは機動力、主に加速力って感じか」

「より自然に、無機的ではなく有機的な動きを目指していたのが、昔のロボットだった。私もそういうものが創りたいから、今のロボットを作った」

 先ほどまで頷きしか返してこなかったが、自分のロボットの話題になると饒舌になるロボ子。そのわかりやすい反応に零一は苦笑する。

「実際の数値は、正直どうでもいい。シームレスで有機的な動き、それが達成できているから私は現状で満足している。それを捨てて機械的な速さを得るのは正直業腹」

「でも、この先のステージでバス美を戦わせるなら、必要だとは思うぞ。ハードは専門外だし、口出しする気はないけどな。俺は上がってきたモノに対して書くだけだ」

「うん。戦うなら、そう。でも、リョーコはこのままで良いと言った。彼女がもっと欲しいと言わない限り、私は私を緩める気はない。それが、あの子のためでもある」

「……そうだな」

「私は私の道を行く。それが揺らぐとすれば、友達が求めた時だけ」

「いいねえ、友情。俺は、そこまでのはなかったなぁ」

「皇さんは?」

「ショーコは俺が求めても歩みを緩めない。あいつの周りはみんな、そういう奴らばかりだ。チームワークで『上』を目指す。とにかく『上』、俺にはそれが理解できなかった。その『上』ってとこに何があるのか、全然興味を持てなかった」

 皇将虎と刈谷零一が袂を分かった時、互いに限界が来ていた。

 零一のこだわりを担保する余裕がなくなり、捨てることを強いるしかなかった彼女の貌を、今でも覚えている。

 冷徹に、心を鬼にして、突き付けられた二者択一。

「いや、まあ、厳密には理解はしていた。でも、俺には理解できなかったんだ。あいつが何で俺にそこまで期待できるのか、が」

「どういうこと?」

 刈谷零一は苦く、貌を歪め、夕日を見つめる。

「仕事である以上、エンジニアの創作に自由なんてない。クライアントが求めるものを作るのがエンジニアの仕事だ。でも、例外はいる。業界の頂点、真の天辺に立てば、先頭に立てば、嫌でも自由が広がっている。つまり、一等賞を取れば、自由は得られる」

 多田隈ロボ子は「そういうこと」とため息をついた。

「枠は少ない。世界でもごく一握り。同世代でもきついのに、年齢が歯止めになってくれない以上、全世代と少ない椅子を競い合う。とても無理だと、俺は思った」

「でも、皇さんはそう思わなかった」

「そういうことになるのかな。まあ、最終的に切り捨てられたから、お世辞だったって気もするけど。モチベ上げるための」

「刈谷零一も天才だと思うけど」

「日本じゃそうかもな。でも、世界を見渡せば俺ぐらいのはごろごろいる。ショーコのおかげで、知ることが出来た。自分が井の中の蛙でしかなかったってことを。あいつがお前のライバルになるかもしれないって紹介してきた連中のレベルの高さたるや、死にたくなる」

 自分の創作に絶対の自信を覗かせていた男が見せる、挫折。

「俺は諦めた。だから、我慢する理由も、なくなった。俺は俺だけのためにスキルを使う。仕事にはしない。俺だけの趣味で完結させれば、誰も文句言わないだろ」

「……気持ちは、わかる」

 刈谷零一がここにいる理由。自由の遠さに打ちのめされ、諦めたから。

「私も昔、一度だけ妥協したことがある。元プロの刈谷零一からすると、全然大したことないけど、ちょっとしたコンクールで金賞を取った。ロボコンの、設計部門で」

「へえ。俺もそういうのやってたなぁ。俺の場合は連名で、ショーコとだけど」

「既存のロボットを改良しただけのロボット。ソフトも、外側に少し手をくわえただけだから、ソースコードからほとんど弄る必要がなかった。何の愛着も湧かなくて、申し訳ないとさえ思えたものが、評価された。私である必要が無いものが」

「……そうか」

「その翌年、私の創りたかったものを、出した。今思えば拙かったけど、私の中では理想に近いもの。選外、論外、動かせなければロボットじゃない、って」

「そりゃあまあ、そうだな」

「私の理想を実現するには刈谷零一が必要。それじゃあ仕事にならない。大学もいけない。でも、妥協したものを作り続けるぐらいなら、私である必要がない」

「……だな」

「私も趣味でいい。部活ぐらいが丁度いい。だから、今は幸せ」

「そりゃあどうも」

「あとはリョーコ次第。私はそう。刈谷零一は、どうするの?」

「んー、つまらなくなったらやめる。バス美に関してはあいつの問題だし、主張するようになれば、合わせるようになるのはロボ子の方だろ」

「結構冷たい」

「つまらなくなったら、な。別にバス美が何言おうと、あいつが求めているモノを作るのはロボ子だろ? 意見は聞く。こだわりは出す。何も全部捨てなくていい。所詮部活だし」

「……確かに」

「気楽にやろうぜ。俺たちはアマチュアなんだろ?」

「うん」

「お、電車来たな。じゃ、俺こっちだから」

「うん。また明日」

「没頭してなければ行くわ」

「テスト前、サボりは駄目絶対」

「……山田先生より先生してるな。はいはい、わかりました」

「じゃ」

「ああ」

 そのまま零一が乗り込んだ電車は発車していった。

 残されたロボ子は「あ」とつぶやく。

「男の子と話した時間、自己最多を更新。我ながらビッチ」

 などとズレた感性でうんうん頷きながら、零一とは逆方向の電車に乗り込む。

 双方向の電車が発車したことで、ホームから人影は消えていた。

 ただ一人を、除いて。

「……多田隈、ロボ子。覚えました」

 零一のクラスメイトである少女は静かに、笑みを湛えていた。

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