第11話:上坊良子
リョーコこと、上坊良子(じょうぼうりょうこ)は家に帰るとまずPCを立ち上げ、NUCを起動する。KUNUC社が提携し、EV社が運営するフルダイブ型のロボットを操作するFPSである。操作できるロボットは細かな差異を含めると百種類以上、今後も適宜追加予定。かつては全てKUNUCのロボットだけであったが、市場規模の拡大と共に多くの企業の型落ちロボットが使えるようになっていったことで、ゲーム業界の覇権を握る。
プレイ人口は世界全体で一億を超え、ゲーム業界のみならずエレクトロニック・『スポーツ』と見た場合、テニスと並ぶ競技人口を誇る。
それなりのPCと今では廉価版も多くなっているフルダイブ用のVR機材さえあれば家でも出来るのが最大の強みであろう。
「……ほい、配信開始。ぶんぶんはろーおはこんばんにちは」
プレイヤーネーム『バス美』、それが上坊良子のもう一つの姿。配信中は何とも珍妙なゆるキャラの絵が動き、彼女の代わりに話してくれる。
バス美配信来た。相変わらずのパクりっぷり。もはや一周してオリジナル。通報しました。様々な書き込みはあるが基本的に反応はしない。
バス美、ランク二桁応援五百円。名無しのごんぎつね。
「名無しのごん、スパチャあざます。マンモスうれぴー」
事務的な返事、にしては何ともよくわからない言葉のチョイスだが、スーパーチャットに関してはさすがに反応するも、よほど目に留まらない限りはぐだぐだ言いながらプレイするだけ。そして、今見ている皆はそんなこと織り込み済みの者だけが残っている。何しろこのバス美――
初です。
「うげ、こいつチーターじゃん。マジクソ、壁越しに頭出した瞬間蜂の巣かよ」
初見さんにも反応しないのだ。大体この時点でバス美初心者は離脱する。大した同接でもないのにこの塩対応では見る人が増えるわけがない。
増やそうという気もない。
「あー、クソ、ランク回すモチベ湧かねー」
チーター多過ぎだよな。EV何とかしろ。EVに何とか出来るわけねーだろ。
配信している側も、見ている側も、適当にぶちまけるだけの掃き溜め。
それがバス美のNUC配信である。
基本的には一対一のシングルス戦のみをプレイし、たまにソロでカジュアルモードのバトロワに突っ込み、対人の強さでゴリ押す脳みそ筋肉プレイをしたりする。
塩対応、ボイチェン、謎のゆるキャラ、人気になる要素はないし、素でねじが外れたような発言もあるが、基本的に視聴者を楽しませるような発言はない。
それでも彼らがバス美を見ているのは――
「――ドゥン、ドゥン」
うぉ、今の振り向き撃ちエグイ。ゾーン入った。これは勝つる。対面哀れ。猛者はカジュアルに来るな、ランク回せ。チーターさえいなければ。この前はチーターぶっ潰してたけどな。さすバス、素でエグイ。そのチート安物だったな。
「ドゥン、ドゥン」
重低音が心地いい。作業が捗る。ソロで轢き殺しすぎ。対ありでした、バケモンすね。これ三人モードなんすけど、バス美さんソロっすか。イキリやん。バス美初心者か? とりあえずバス美のベース音聞いて落ち着け。俺にはわかる、バス美の中身は美少女だ。馬鹿言え、俺らと同じ三十代ニートに決まってんだろ。アラフォーの美魔女。ありえん、汗臭いおっさんだ。自己紹介ですか? そうだよ馬鹿野郎、わき汗ぶつけんぞ。すいませんでした。
そんな彼らを惹きつけているのは――
単純なプレイヤースキルの高さ。各サーバーのランカーになるだけでも怪物なのに、その中でもそれなりのレベルの日本サーバーで二桁、三桁の境界線を行ったり来たり、NUCをプレイしている者ならば嫌でもわかってしまう、異次元の対人能力。
NUCの対人戦には三つのモードと二つのランクマッチがある。三つのモードは先ほどバス美がプレイしチーターと遭遇してやめたシングルス、今プレイしている六十人が一つのマップで生き残りをかけて戦うバトルロイヤル、そして最も人口が多い五対五のチームバトルがある。
その内ランクマッチがあるのは二つ、シングルスとチームバトル。シングルスは遮蔽物のあるステージで一騎打ち、シンプルかつ戦術よりも対人能力、フィジカルが求められるモードであり、チームバトルは対人能力も必須だがそれ以上にマクロの動きを要求される。
バス美は完全に対人能力特化のため、ランクはシングルス専門。その中でもトップクラスと言って差し支えない。ただ、トップではないのだ。
「カジュアル飽きたンゴねえ。ランク回そっと」
言ったそばからランク戻った。来るぞ、バス美劇場。対戦相手、うわ、バッチ無しじゃん。チーター確定。始まる前から終わった件。多過ぎだよチーター。バス美チーター倒せ。
「勝ってしまってもええんやろ」
出た、名台詞。関西弁にすな。寒いわボケ。こっからバス美は熱いんだよ、黙って見とけ。
「……ぬう」
あれ、相手チーターか、これ。いや、チートってエイムが吸い付くとか弾が勝手に散らばって当たるとかだろ、これ動き自体ヤバいっしょ。誰だよ、神武皇帝って。名前が中二。対人能力エグイて。バス美負けそう? 負けるかも。
「勝つ、勝つ、勝つ、勝つ」
いや、勝てないだろ。強いわ、相手。あのロボットってあんな風に動くのか。クソ巧い。これプロのサブ垢だろ。バス美マイク切ってる? 確かに声聞こえないな。
「勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ勝つ!」
こんだけ被弾しても食い下がるね。さすバス。強杉謙信。
『何頑張ってんですかァ、雑ァ魚』
え、今オールチャット使った? 戦闘中だろ、打ち込む余裕あるか? マクロとかじゃね。どちらにしろここで手数使うほどじゃねえだろ。バス美雑魚扱いかよ。
「ふざ、けんな! 私はァ!」
『本気見せてやりますよ』
KO宣言。バス美勝て。お前なら勝てる。
「こい、つッ!」
何でこんな動かし方でバランス取れるんだよ。バランスよすぎ、整い過ぎ。こんだけ機体をぶん回せたら楽しいだろうな。俺だったら絶対にこけてる。こりゃ強いわ。
でも粘ってる。気合で逆転だ。いや、バス美素人かよ。こうなったらたぶん――
「くそっ――」
あ、膝に銃弾は入ったくさい。立てないでしょ、これ。相手強い。百パープロ。バス美どんまい、相手が強かった。諦めたらそこで試合――
「……くそ」
リョーコは負けた瞬間、配信を切ってPCの電源を落とす。システムのシャットダウンではなく、電源ボタンを長押しして、全てを断ち切った。
「相手が強過ぎた。それだけ。リョーコちゃんは悪くない。絶対プロのサブ垢。トッププロとか、そういうレベル。高校生相手なら、負けない」
じくり、と胸に広がる敗北感。今日、その高校生に負けたのだ。ロボットの差、そういう言い訳は出来る。零一も、ロボ子も、未完成だと言っていた。
完成したら――本当に勝てるのだろうか。
「……メッセージ?」
EV社からのメッセージ。おそらくゲーム内で届いたものの通知だろう。配信を急に切ったことで視聴者がメッセージを送ってきたのだろうか。とはいえ今の視聴者はバス美好きの物好きであり、彼らは負けて配信切り程度慣れているはずなのだが――
『勝負所で弱過ぎ。才能ないですよ』
対戦相手からのメッセージであった。こんな煽り、するんじゃねえよ、とリョーコは思う。今日、二度も負けた。負ける日は珍しくない。一対一の戦いなのだ。どれだけ強いプロでも勝率は精々七割、高くて八割が限度であろう。
しかし彼らは、勝つべき試合は絶対に落とさない。逆に自分は、そういう試合でこそ落とす。今日のように、相手に見透かされて、敗れ去る。
胸にどす黒い感情が満ちる。
「ちくしょう」
本当はわかっている。確かにあの二人にとっては今日のロボットなど完成には程遠いのだろう。それでも、ここからのこだわりが勝ち負けを大きく左右するほどとは思えない。最初に比べてかなり操作性も向上した。
数字以上の強みがあの機体にはある。
絶対的に有利だったのは自分なのだ。今日の試合は常に、相手にとって自分たちは初見のロボットであり、自分たちにとって相手はどこかで見たことのあるロボットでしかなかった。どこかの誰かが創ったロボットをベースに弄っただけの機体相手。
自分が強ければ優勝できていた。言い訳に使えるほど、あのロボットは悪くない。それがまた、痛いのだ。お前のせいだと、リョーコの心が叫ぶ。
こんな姿、誰にも見せられない。
○
「神堂、もう就寝時間は過ぎているぞ」
「うっせえでーす、何様だ眼鏡」
「先輩で寮長様だ」
星王の学生寮、遠方から入学した彼らの多くは学園敷地内のここで寝食を共にする。充実の設備、美味しい食事、近場の生徒でも入りたいと願うほどの施設であった。そのレクリエーションルームに星電研の二人がいた。
一人は一年の神堂司。もう一人は二年の石黒陽二(いしぐろようじ)である。
「NUCで腕を磨くのも、パイロットの務めじゃないですかァ?」
「規則通り、就寝時間を守っていればな」
「規則規則って、そういうとこまで眼鏡かよ」
「規則を守れない者にプロフェッショナルは務まらん。とりあえず休め」
「へーい」
どうあがいても正論はあちらなので、神堂はとりあえず退く。反省はしていない。
「あ、眼鏡」
「せめて先輩を付けろ。なんだ?」
「今日の相手は結構イイ感じでした、って、ただの感想でーす」
「……そうか。名前は?」
「バス美とか言うよくわからん名前だったような。ま、上手いけど勝ち切れないタイプですね。僕の敵じゃないですけど、一応ご報告までに」
「何故?」
「だって、動きがフレッシュでしたもん。あれ、たぶん若いですよ」
「……全国で当たる可能性がある、か。わかった、ショーコに伝えておこう」
「この地区にいたりして」
「どんな確率だ。良いから寝ろ、上質な睡眠こそ生活の水準を向上させる秘訣だぞ」
「言うこと全部眼鏡っぽいんですよねえ。はいはい、寝ますって」
しぶしぶ自室へ去っていく神堂を見送り、石黒陽二はバス美を検索する。出てきた情報から個人情報を特定できるようなものは何一つなかった。
少し、綺麗すぎるほどに。
「……一応、伝えておくべきだろうな」
よほど警戒心が強いのか。はたまた一度、炎上でもして生まれ変わったのか。勘繰ってしまうほどクリーン、されど発言や行動はそこそこエキセントリック。
「しかし、あの神堂がイイ感じ、か」
神堂司が相手に多少なりともプラスの感情を抱くと言うことは、おそらくそれなりの才能を持っているのだろう。そうでなければ彼女があんなこと言うはずがない。
優先事項ではないが、世代が近ければ覇道を阻む石になりかねない。そう思ったから神堂はわざわざ自分に言ったのだろう。イイ感じ、危険な相手だ、と。
星王として、いや、皇将虎の経歴にこれ以上の傷は許されない。去年はまだ一年であること、準備期間が短すぎたことから言い訳は出来たが、今年その手は使えない。
最低全国出場、そこからどこまで上げられるか。それが試される年である。
高いハードル、それでも石黒は思う。神堂を得た今、覇道は盤石である、と。唯一、隙があるとすればソフト回りが少し弱いが、それはどこの高校も変わらない。この国はそういう土壌なのだ。
そこで違いを出せる者は少ないのではなく、いないが正しい。
まあ、一人だけいたのだが――
「大丈夫だ、ショーコ。刈谷を切り捨てたのは正解だったと、俺が証明しよう」
そいつは、プロフェッショナル足り得なかった。
ゆえにもう、いない。
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