第5話:青春
放課後、部活帰りの流れに逆行し、三人は部室棟隅の『電脳ROBO研究会』の部室に突っ込む三人組。早速PCを立ち上げ、零一のデータを反映させる。
ちなみにこの作業、結構かかる。
「ぐぅ」
その間、寝不足極まっていた零一はパイプ椅子に座りながら眠っていた。器用な睡眠方法である。都合四日間作業していたのだが、仮眠合わせて睡眠時間は八時間程度。そこそこ長めの睡眠一回分しか寝ていないのだから仕方がない。
「……データの反映どのくらいかかりそう?」
「この子のスペックならそんなにはかからないと思う」
「にゃるほどねえ。んじゃ、肩あっためとこっと」
そう言って、スマホを取り出したリョーコはシューティングゲームを始めた。ボケーっとした顔つきで、手つきも緩やかだが、画面とそれを見る目だけは激しく動く。
超難度のシューティングゲーム、インディーズにありがちな理不尽な難易度である。本来覚えゲーと言われるそれを、彼女は初見で進める。
ただの一度も、傷つくことなく。
彼女はこういったクソゲーを遊ぶのが好きだった。対人ゲームのようなひりつきこそ味わえないが、初見のクソゲーに込められた製作者の意地、絶対に初見じゃクリアさせないという執念を喰らって、クリアする快感はたまらない。
「ドゥン、ドゥン、ドゥン」
「んあ、何の音だ?」
彼女の口から零れる重低音に、零一の睡魔がかき消される。
「リョーコの鼻歌。集中力が高まると、ベースみたいな音を出し始める」
「……え、ええ?」
「だからバス美。彼女も気に入ってるから、ユーザー名に使ってる」
「鼻じゃなくて、口使ってるじゃん」
「そうね」
それでもバス美で、鼻歌なのだとリョーコは言い切っているらしい。
何とも風変わりなセンスである。見た目は陽キャだが、ある意味で一番ヤバいのは彼女の可能性すらある。
「本当に、全部C言語」
「不服か?」
「不服も何も、そもそも見ただけじゃ読めない。私も多少はかじってるけど、その程度じゃ何一つわからない。動かしてみないと何とも言えない」
「そうか」
そう言って零一は再び眠る。
部室の中では謎の重低音とPCの機動音だけが響いていた。
そして、しばし時が経ち――
「反映完了。仮想領域展開、リョーコ、出番」
ロボ子の言葉にリョーコが「合点だ」と腕まくりする。
ロボ子がPC前の席を譲り、そこにリョーコが座った。
「ワクワクするねえ」
リョーコは座りながら、腕を組む。その貌には高揚感が張り付いていた。
「セッティングする」
この世界におけるロボコンは電脳空間で行われる。ロボットが電脳にあるのだ。操縦席も当然、電脳世界にある。そこに誘う装置が、VR技術の粋を結集して生み出されたフルダイブ型VRシステム、通称『アナザー』、ゴーグル状のそれが意識を電脳に取り込むトリガーである。
ロボ子はメインPCと繋げたサブのノートPCを操作し、
「ロボット、仮想領域に展開完了。パイロット、投影開始」
がくん、リョーコの身体が揺れる。
その様子を、薄目を開けて見つめる零一。
「うわーお、久しぶりだねえ、この操縦席も」
リョーコの眼前に広がるのは仮想空間と自らが鎮座する操縦席。縦横の線が走るだけの空間は起動試験のための場所である。
そしてこの操縦席は、ロボ子のこだわりが詰まっていた。人型ロボットは多岐にわたる動きを要求される。パッドやキーボードなど従来の操作システムでは手数が足りず、されど複雑化するとマンパワーがオーバーしてしまう。ゆえにそのバランスが求められるのだ。人型ゆえの利点を消さない程度に多様な動きを、どれだけシンプルな機構に落とし込むことが出来るか、それがロボコンの醍醐味である。
ロボ子のこだわりはトラックボールのマウスから着想を得た、球体を操縦桿にすること。両手の可動範囲に鎮座する球体を転がしたり、位置を変えることでロボットに指示を出す。足元にはペダルもあり、そこで緊急停止など足りぬ部分も補完している。出来る限り多様性を持たせたまま、その上で体感的に操作できるシステムを目指した。人間が操縦する、と言う条件下における最大値も目指しつつ。
「まずは軽く動かしてみて。リョーコのアバターがどう動き、ロボットがどう反応するか、逐次データは取るつもり。マニュアル通りに動くかは、わからないけれど」
「動けばマニュアル通りに動く。それに沿ってシステム組んだんだからな」
気づけば零一もメインPCの近くに立っていた。
「バス美、歩きまーす!」
サブモニターのリョーコが球体をぐい、と押し出す。その瞬間、メインモニターのロボットが一歩、踏み出した。ロボ子は「ほっ」と一息つく。
とはいえ、歩くぐらいなら半世紀前のロボットでもやっていたのだ。これぐらいで満足など出来ない。そも、歩かせるぐらいならぎこちなくともロボ子でさえ、ROBを用いて出来ていたのだ。これは序の口、ここから少しずつ慣らして――
「走りまーす」
「え、まだその段階は、はや――」
ロボ子の制止に聞く耳持たず、逸るリョーコは勢いよく球体を連続で押し込む。
「あっ――」
メインモニターが映し出す光景に、ロボ子は言葉を失った。
「しっ」
零一も小さくガッツポーズする。
「ひゃっほーう! 良い感じ、すっごくスムーズだよ、ロボ子!」
ロボットが走っていた。何もない空間を気持ちよく走る姿に、パイロットであるリョーコのテンションも上がりっぱなしであった。
しかし、誰よりもその光景を見たかった者は――
「ぐじゃ」
小さく、泣いた。
零一はあえて見ないようにして、画面の動きを注視する。
「うぉ、こうしたら屈むんだ。と、と、自由度高いけど、あっは、制御超ムズイ。あ、こけた。あっはっは、これ面白い。良い意味でクソゲー感ある!」
「……誰の、作品をクソゲーって言ってるのよ」
「あっはっは、良い意味、良い意味」
そんな軽薄な言葉を叩きながら、マシンをぎゅいんぎゅいんと振り回すリョーコ。
そんな姿に零一が驚いている顔を見て、ロボ子は涙をぬぐいながら微笑む。
「これがリョーコのセンス」
「初見でここまで動かせるのか。ロボットが動いたことより、こっちの方が驚きだ。マニュアルを熟読していても、操作体系が他と違い過ぎて完熟まで時間がかかると思っていたんだが」
「もちろん、リョーコにはマニュアルは渡してある。でも、たぶん読んでいない」
「……え?」
「習うより慣れろ、が家訓らしい。リョーコの親からそんなの聞いたことないけど」
「……俺が言うのもなんだけど、プロ向きじゃないな」
「私が一人でロボットを弄っていたのも、リョーコがシングル戦しかしないのも、刈谷零一が今ここにいるのも、全員プロ向きじゃないから」
「……違いない」
ノートPCに続々と起動データが蓄積されていく。最高速、加速力、旋回能力、どれだけ速く動けるか、どれだけ小回りが利くか、あくまで仮想領域における理論値でしかないが、だからこそフラットなデータが取れる。
実戦に使えるかは、また別の話。
「一発目にしてはどの数値も高く出てるな」
「想像以上。驚いてる」
「でも、実戦で使える数字じゃない。ここからどれだけ上げられるか、か」
「……手伝ってくれるの?」
「飽きるまではやるさ。暇だしな」
頬をポリポリとかきながら、あらぬ方を見てぶっきらぼうに応える零一。
「……ありがとう」
そこはまあ、お互い様のようであるが。
「いちゃついてないで指示頂戴よぉ。バス美、のけ者で寂しい!」
「「いちゃついてない!」」
リョーコことバス美の弄りに顔を赤らめる二人。
「私、結構満足してるけど、どんな塩梅なの?」
「初めにしては上々。データも取れたし、とりあえず降りて良い」
「あいあいさー」
メインPCと『アナザー』の接続を切り、ゴーグルを外したリョーコは一息つく。
「いやー、動いたねえ、ロボ子。最高だった!」
「……ありがとう」
「長かったねえ。ぬるいちもセンキュー」
「何だよ、ぬるいちって」
「だって零ってドイツ語でヌルじゃん? だからぬるいち」
「……なら一もドイツ語にしてくれよ」
「アインスじゃ可愛いあだ名にならないじゃん。ぬるいちが良いよ」
「……そもそも、『ヌル』が嫌なんだが」
「なんで?」
本気でわからない様子のリョーコは小首を傾げる。色々知っていたので『ヌル』時代のこともあのおしゃべり二人に聞いたのだと思っていたが――
「刈谷零一、全部聞いた上で、リョーコには理解できないだけだから」
「こいつ、よく今まで角を立てず生きてこれたな」
「角が立ちまくったから、私しか友達がいない」
「そそ、私意外と友達少ないんだよねー。なんでだろ?」
見た目に反し、実は一番浮世離れしていたリョーコ。まあ自分をバス美と名乗る人物にまともな感性を期待するのも間違っている気もする。
「……あー、バス美だっけ」
「そう、バス美」
「出来ればリョーコって呼んで欲しい。バス美を広めたくない」
「シャーラップ、ロボ子。これはバス美とぬるいちの魂を通わせる儀式なの。私はバス美、ぬるいちはぬるいち。これで私たち、ナカーマ」
「……儀式とか仲間とか横に置いといて、お前さっき今の機体で満足って言ってただろ?」
「うん。面白かったし、最高だったけど?」
「本当にそう思っているなら、パイロット失格だぞ」
「にゃんでさ⁉」
驚きに目を見張るリョーコを零一は睨む。
「パイロットの仕事は主に二つ、一つは実戦で結果を出すこと。練習でどれだけ良い数字を出しても、求められるのは結果だ。それはわかってるよな」
「もちのろん。で、もう一個は?」
「乗った後に、意見を言うこと。思ったことは全部言え。俺やロボ子がどれだけ良いと思っても、乗っているお前が良いと思わなければ、それはクソロボットだ。お前の意見が全てに置いて上に来る。それがメインパイロットって立場なんだよ」
零一の言葉に、ロボ子はもちろん茶化しそうなリョーコも押し黙る。
「お前が、この程度の数字しか出せないロボットを最高なんて言ったら何も進まない。不満をひねり出せ、些細な違和感が実戦で悪さすることもあるんだ。ここからはお前の意見をベースに俺たちは動く。だから、軽々しく最高なんて言うな」
茶化して良い時と、そうでない時の区別ぐらいはつく。ここは、後者。
「おけまる。ただ、私もロボコン用のロボットに乗るの初めてなんだよね。正直、どこに目線を持っていけばいいのか、わかんないんだけど」
了承するも「むぅ」と唸るリョーコ。
「NUCのランカーなんだろ? なら、KUNUC社のラインナップは一通り触っているはずだ。とりあえず、そこが基準で良いと思う」
NUC、電脳ロボット開発で覇権を握る世界最大手企業KUNUC社のロボットを用いたゲームである。『アナザー』環境さえあれば、世界中誰もが巨大ロボットを用いて戦うことが出来る。しかもKUNUC社製のプロが使っていたようなロボットを一般人が使えるのだ。
すでに世界中でプレイ人口は一億を超え、世界各国のサーバーで上位五百名にしか与えられぬ『ランカー』になればプロへの入り口が拓けるとも言われている。まあNUCでもリョーコがやっているシングル戦やチーム戦、集団でのバトルロイヤルなどカテゴリーが分かれていることや、カテゴリーでプレイ人口が偏っていることもあり、あくまで目安でしかないが。
「NUCで使えるロボットは、一般人にも使えるようにかなりデチューンされている。操作性を簡易にしたり、動きをシンプルにしたり、だ。そこが最低ラインだな。あとは、こだわりの世界。お前がどこまで完璧を目指せるか、それだけだ」
「……うは、世界最大手のロボットが最低ラインとか、ヤバみある」
「表には出てこないが、プロリーグからNUCに降りてきた時点でハードの設計データは確実に流出している。流出してもいいマシンしか、降ろさないとも言えるがな」
「そうね。高校レベルのロボコンでもレベルが跳ね上がっているのは、そういう元プロ仕様のコピペが蔓延ったせい、とも言われている」
ロボ子も零一の発言に賛同する。そこに勝てないようならば、そもそもどこかしらでデータを手に入れて丸写しした方が早いし、強い。
そこを超えるのが今のロボコンの最低ラインなのだ。
ゆえに参入にはそれなりの人材が必要とされる。これだけ部活が盛んな高校でも、人材、ノウハウがなければ部を作ることさえ難しい世界なのだ。
「なるほどね。りょーかい。それ、頭に入れてもっかい動かしてみます」
「よろしく、リョーコ」
「じゃ、俺はしばらく寝るわ。フィードバックよろしく」
「寝させない! ぬるいちは私の華麗なるプレイングを余すところなく見るのだ!」
「いや、フィードバックさえくれたらそれ通りやるから」
「ええい、寝させん、寝させんぞ!」
リョーコのウザ絡みに辟易しながら、寝ると言いつつ動き始めると画面を注視してしまう零一。そんな姿を見て、ロボ子は人知れず微笑む。
ずっと叶わなかった夢が、たった一つの出会いから急速に動き出した。刈谷零一がいなければこうしてロボットが動くことは難しかっただろう。
現在ロボ界隈では汎用言語と成っているROBでは難しい、と言うことにすら彼女たちは辿り着けなかったのだ。ロボットならばROB、その固定観念を彼が破壊してくれた。圧倒的なスキルと、完璧な仕事で。
そんな幸せを一人、彼女は静かに噛み締めていた。
○
「あれ、珍しいですね、山田先生まだ残っているんですか?」
「いやぁ、まあ、たまには良いかなぁと思いまして。あ、僕が戸締りしておくんで、お先にどうぞ。まだまだ、時間がかかりそうなので」
「そうですか。では、お先に失礼します」
強豪の部活を見ている先生が去っていき、公式にはまだ顧問ですらない山田は机の下からゲーム機を取り出して、職員室のど真ん中で堂々遊び始めた。
「僕にはなかったなぁ、青春」
山田はしみじみとつぶやき――
「羨ましいような、暑苦しいような。ま、今日ぐらいは大目に見てやりますかね。大人の余裕って奴ですわ。あ、クソ、何で三冠逃すかなぁ、この馬は」
珍しく気を利かせた山田であったが、何時になっても帰る気配がない彼女たちにしびれを切らし、強制退去させたのち各人の家に車で送り届けたのは内緒の話。
終電考えろよ、と悲痛な叫びをしたとかしていないとか――
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