第4話:『今』

 電車を乗り継ぎ、二人は刈谷家にやってきた。

 普通の住宅街、普通の一戸建て、普通ではなかったのは――

「あの、どちら様でしょうか?」

 チャイムを鳴らして出てきたのが、刈谷零一とは似ても似つかない美少女だった、ということ。しかも「まさかショーコじゃないよね⁉」「違うよー」、二人の美少女である。リョーコ、突如目を輝かせる。美少女に眼が無いのだ、この女。

「うっへっへ、初めまして」

 ばたん、と扉が閉められる。

「……あの、すいません。刈谷零一君はいますか?」

 代わりにロボ子が問うと、小さく扉が開けられて――

「眼鏡のお姉さんだけ入ってもいいですよ」

「あ、いや、嘘、冗談だから! お姉ちゃんも入れてよぉ」

 頼み込むこと数分、何とか家に入ることを許可されたリョーコとロボ子は刈谷家にお邪魔する。そして、刈谷零一の今を見る。

「…………」

「うわ、すっごいクマ」

「……ずっと、作業してたの?」

 一心不乱にキーボードを叩き続ける零一を見て、二人は驚愕していた。

「仮眠ぐらいは取ってますけど、たぶん、まともに寝てないです。ああ、でも気にしないでください。お兄ちゃんは集中すると、いつもこうなってしまうので」

「うわぉ。これってさ、マジでスーパーってこと?」

 リョーコは、ロボ子を見る。

「少し、期待してる自分がいる」

 今までの経緯もあり、他者に過度な期待を抱かないロボ子でさえ、少し期待してしまうほど今の刈谷零一には鬼気迫る雰囲気があった。

「どちらさんか知らないけど、零一がスーパーなんて当たり前じゃん。はいはい、作業の邪魔だし、出てった出てった。どーせ、見てもわかんないんだしィ」

 二人を零一の部屋から押し出すミキ。そのまま勝手知ったる様子で、二人をリビングに連れて行く。何度も言うが、ミキはこの家の家人ではない。

「で、どちらさん?」

「刈谷っちと同級生なの。知らないと思うけど、電脳ROBO研究会ってとこに所属していて、今お兄さんに頼んでいる案件の依頼人って感じかな」

「……聞いたことないんだけど。そもそも零一はロボットに触れたくないから知恵の杜とか言うわけわかんない学校に行ったんだし。そういう系の部活があるわけない」

「あ、あー、私たちが自分たちで作ったから、創部二年目、なの」

「……そんなとこが、何で零一に」

 ぶすっとするミキを見て、リョーコは困った顔をする。最初からとにかく彼女は攻撃的なのだ。まるで自分たちを敵だと認識しているかのように。

「お兄さんは、以前何をしていたの?」

 ロボ子がミキに問う。

「え、そんなことも知らないで零一に声かけたの? ありえないんだけど」

「……ミキちゃんのお兄ちゃんじゃないんだけど」

 我が物顔のミキにご立腹のレーカであったが、話は進む。

「何かの間違いでしょ、こんな連中が零一の興味を引くなんて――」

 ありえない、と首を振るミキを無視し、

「あの、お兄ちゃんならたぶん、名前を検索すると多少の情報は出てくると思いますよ。その筋では、ちょっとした有名人ではあるので」

「それはしたくない」

「そそ、なーんか気持ち悪いじゃん。私、嫌いなんだよね」

 二人の反応に、レーカは少し驚いた表情になる。

「考え方旧ーい。超オールドタイプじゃん」

 そう言いつつもミキは二人の反応を見て、少し敵意を緩めた。

 レーカは少し考えこんでから、二人を見つめて口を開く。

「お兄ちゃんは中学時代、『ヌル』というロボコンのチームに所属していました」

「ありゃ、どっかで聞いたことある気が」

「……株式会社ゼロステージのワークスチーム。二部リーグだけど、きちんとした資本形態のいわゆるプロチーム。確かに、以前噂で若い人材を活用していたとは耳にしていたけど」

 ロボ子の言葉に「なーる」と相槌を打つリョーコ。たぶんよくわかっていない。

「ま、有名人なのはそこでディレクションしてた、ショーコだし」

「あ、皇将虎(すめらぎしょうこ)でしょ! 彼女は知ってる」

 ミキが言ったショーコに反応し、リョーコはえへんと胸を張る。

「……あの皇さんと知り合いなの?」

 ロボ子の問いにレーカは頷く。

「兄の幼馴染です。昔はよく家に来ていました」

「今は絶賛絶縁中でーす」

 少し悲しげな様子のレーカとウッキウキのミキ、なかなか対照的な反応である。

「そのショーコがゼロステージに零一たちを売り込んで、『ヌル』のサブラインとして採用されたわけ。天才を集めたチームだし、全員若いけど化け物揃い。企業は話題性しか期待していなかったけど、すぐにそのラインがメインを喰った」

 基本的にワークスチームはメインラインやセカンドラインなど複数のラインを用意しておく。各ラインを束ねるディレクターがいて、その下にエンジニアやパイロットが控える構図。

 複数用意する理由は自社内で競わせることもあるが、最大の理由はサブラインの成果をメインに吸い上げチーム力を高めることにある。

 基本的にメインラインこそチームの看板。そこを生かすためのサブラインなのだが、それがメインを喰ってしまったのだ。

 ありえない展開である。

 相当周到に動かねば、成果を吸われて終わりなところを社内的にも上手く立ち回り、完膚なきまでにメインラインの面子を潰し、入れ替わった。

 皇将虎という女傑が業界内で有名なのは、若くしてその豪腕をさく裂させたから。一介の中学生が社会の荒波にもまれたはずの大人を一蹴したから、有名なのだ。

「しかも、『ヌル』の念願だった一部チームも交えたトーナメント、五対五のルールじゃ国内最大級のチーム戦に参加、見事優勝しちゃったわけ。その頃には『ヌル』のメインラインって扱いだったし、中学生ってことはぼかされてたけどね。面子があるでしょ、企業にも」

 売名行為も行き過ぎれば意味を成さない。あくまで企業の看板を立てるのがプロスポーツの世界だが、彼女たちは若過ぎ、異端過ぎた。

 企業よりも彼女たちのチームが注目されてしまう。『ヌル』というチームではなく、彼女が引っ張ってきた人材が強かっただけ。

 それでは企業も投資する意味がない。

 ゆえにぼかした。その上で念願のタイトルも奪取した。

「そんなチームに所属していた人が、何故知恵の杜に?」

 ロボ子の問いに、ミキは「ふん」と鼻を鳴らす。

「ワークスチームにも色々あるの。世界レベルの規模からプライベーターに毛が生えた程度のチームも。『ヌル』はどちらかと言うと後者で、そこまで資金力がある方じゃない。そうなるとね、取捨選択しないとチームが回らないの。わかる?」

 ロボ子もリョーコもあまりピンとこない。それを見てミキはため息をつく。

「ロボコンの花形は、パイロット、ハードエンジニア、ソフトエンジニアの順番でしょ? お金をかけるのもその順番、手間をかけるのもね。零一は凄いよ。こういう世界で、個人で違いを出せる人なんて、ほんの一握り。零一はそれ。でも、ソフト屋でしかない。零一はこだわりが強過ぎたの。スピード感重視でROBを使うことを良しとしなかった」

 資金、時間、労力、企業スポーツはあらゆるバランス感覚が求められる。

「企業が絡んでいます。どれだけ突き抜けた個であっても、それだけに頼るわけにはいかないんです。お兄ちゃん自身がROBを使ったプログラミングと同等のスピードで書き上げても、それをチェックする人たちまで同じとは限らない」

「でも、そんなことショーコも、企業も織り込み済み。念願のタイトルを取るまでだんまりだったくせに、取ってすぐ零一には条件が提示されたの。企業の言う通り、ROBを使って誰にでもわかりやすいシステム構築するか、チームをやめるか」

 そして刈谷零一はやめる道を取った。

 ただ一つ、口出し無用と彼が設けた条件の意味が二人にもようやく理解できた。

「で、でもさ、アマチュアなら好きにやってもいいでしょ?」

「アマチュアにも色々いますが、お兄ちゃんの熱量についてこれる人なんてほとんどいないんです。皆、妥協しています」

 リョーコの問いにレーカは苦笑する。

「そこそこのアマチュアチームやプライベーター程度じゃ、ワークスチームのコピペみたいなロボットばっかりじゃん。NUCのせいでさ。そんなもの、改めて零一が書く必要なんてないんだって。アマには零一はオーバースペック、妥協できない以上プロにも居場所はない」

 だから刈谷零一は誰かとの共同作業を諦めたのだ。

 だが――

「でも、そんな零一が、なんで――」

 その男は今、ただ一人の情熱が生み出したロボットに熱を上げている。それがミキには解せないし、そんな人物が知恵の杜にいることも信じられない気持ちであった。

 いるはずがないのだ。この学区に存在するとすれば、あの女が人材を引っ張ってきたであろう県下最強のあの学校しかない。

 知恵の杜などという学校に、いるはずが――

「んあ、なんで家に二人がいるんだ?」

 そんな話をしていると、突如よろよろの零一がリビングにやってきた。

 何故か、制服で。

「お兄ちゃん⁉ 何で制服なの?」

「作業が終わったから、データ渡しておこうと思って」

「今から学校行くつもりだったの⁉」

「え、と、今何時?」

「一七時!」

「ちょっと遅いか。でもまあ、家に来てくれてるなら丁度いいや」

 零一はロボ子の前に立つ。

「叩き台のデータだ。仮想空間で起動試験、稼働データを取ったらフィードバックをくれ。それに応じて対応する」

 零一はデータの入ったUSBを渡す。今時、アナログな方法ではあるが、これが最も安全なデータの授受方法である。

 机のメモ書きが強力なセキュリティであることと同じ理屈。

「……これで、動くの?」

「それを試すための試験だろうが、俺の環境では動いた」

 今にも入眠しそうな零一を見て、ロボ子が口を開く。

「刈谷零一」

「ん?」

「私たちの研究会に入らない?」

 零一は眉をひそめる。他の者たちも三者三様の表情を見せていた。

「俺は、もうチームとか――」

「話は聞いた。私は仕事として作業をしたことなんてない。貴方の気持ちはわからない。でも、一つだけわかる。やり場のない情熱、誰も信じられない気持ち」

 立場や環境は違えど、桁外れの熱量を持つ者が辿ってきた道は同じ。

「ソフト回りは貴方に一任する。もちろん、ハードは私の領域。お互いそこは侵さない。その上で道が重なるのなら、そういうチームがいてもいい」

 多田隈ロボ子の提案。チームと呼ぶにはあまりにも個に偏り、再現性も確実性もない体制。あの女であれば絶対に認めない個と個が並び立つだけの歪な集まり。

「……そういう提案は、成果物を確認してからにしろよ。ポンコツの可能性もあるんだぜ、俺が。時間だけかけて、身じろぎもしない可能性もある」

「なら、今から確認させて」

「俺の家にあるのは簡易的な環境だ。ここで確認しても意味ねえよ」

「違う。今から学校に行く」

「ッ⁉」

 刈谷家から学校まで電車を乗り継ぎ一時間近くかかる。そこからPCを立ち上げ、起動試験などをするとすれば、退校時間など一瞬で過ぎてしまうだろう。

 それでも彼女は迷いなく、『今』と言った。

 それは、刈谷零一の感性に合致する。

「はっは、最高じゃん! 今すぐ動かさせてよ。今日やろ! リョーコちゃんことバス美様のスーパーな腕前を披露していないし、蚊帳の外感強過ぎてちょびっと嫉妬しちゃった」

 そして、もう一人もまた合致する。

 刈谷零一の知るチームではない。彼女たちの眼には自分しかなかった。自分のロボットを動かすためにソフト屋が欲しい女と、自分がロボットを動かしたいだけの女。

 良し悪しなどない。ただ、己の欲望のままに。

「思い立ったが吉日ってね。そう思わない?」

「……いいね」

 ぼそりと零一がつぶやいた言葉は、近くにいた実の妹だけが聞き取ることが出来た。こんな兄の顔など久しぶりに見た。相手へのリスペクトと同類を見る眼。

 あの人以外に、兄がこの眼を他人に向けていることは初めてで――

『今の私ではね、レーイチは使えないんだ』

 あの人ですらさじを投げた今の兄と釣り合うかもしれない人たち。

 情熱の前には、時間など大した壁ではない。

「じゃあ、母さんによろしく」

「わかった。あんまり遅くならないでね、お兄ちゃん」

 約束は出来ない。顔を見ればわかる。ここ一年、ついぞ見せることがなかった兄の本性。クリエイトすること以外を全て、削ぎ落とした顔。そこには妹なんていない。

 並び立てるのは――

「そう言えばバス美って操縦巧いのか?」

「あったぼうよ。こちとらNUCの日本ランカーじゃい!」

「……え、マジで?」

「マジもマジよ。まあ、一対一の方だしプレイ人口自体少な目だけどね」

「いや、普通に凄いんだけど」

「配信もやってるから今度スパチャよろ」

「リョーコの配信はうるさいから見ない方が良い」

「ちょっと、ロボ子ぉ」

「何で知恵の杜なんだよ。もっといい学校あっただろ」

「チミに言われてもねぇ。まあ、そこに関してはこのバス美、一生の不覚。ロボコン超名門狙ったら、普通に受験で落ちちゃったのさ。私が! ごめん、ロボ子ォ!」

「……別に。刈谷零一の話を聞いたら、知恵の杜でよかった。名門だとどうせ、好きに作らせてくれなかっただろうし。私のロボットが創れないなら、意味がない」

「ありがと、ロボ子! 大好き!」

 成り立っているようで成り立っていない会話をしながら、こんな時間から学校に行く三人。うち一人は今週のほとんどを風邪という体で休んでいる。

 そんなこと意にも介していないのが、エゴイストと言う生き物。

「……零一が取られたァ!」

 突如、泣き出すミキ。レーカがよしよしと頭を撫でる。零一が去った後で泣き出したのは、彼の邪魔をしないためであろう。分かっているのだ。今の零一に必要な存在が誰なのか、今の零一を夢中にさせたモノを用意できたのが誰なのか、わかっているから何も言わなかった。久しぶりに零一が本気で取り組めるのなら、邪魔はしない。

 レーカとは違い、ミキはあの零一が好きなのだから。

「しばらくは、あんまり遊べないね」

 寂しいけれど、少しだけ嬉しく思う。そして願う。彼らが刈谷零一と言うオーバースペックを満たす存在であって欲しいと。

 死んだように生きる兄を見るのは、辛かったから。

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