第3話:『風邪』

 刈谷零一には小学六年生の妹がいる。歳が多少離れていることもあり、昔から仲の良い兄妹であった。未だに兄としょっちゅう遊んでいるし、兄に影響を受けて同じジャンルの趣味に傾倒していた。ただし、ジャンルは同じでも方向性は別だが。

 そんな彼女は今、同世代の親友と一緒に自室で遊んでいた。

「ねえねえ、ザコいちまだー?」

「他人のお兄ちゃんをザコいち呼ばわりしないでよぉ、ミキちゃん」

「やー。だって最近ずっとザコいちのままだもん」

「でも、ザコの方が、遊んでくれるもん。この前も一緒にゲーム作ってくれたし」

「あれ面白かったー。今度、あたしが絵描くから混ぜてね」

「……べつに、いいけど」

「ふっふーん、別にいいって顔じゃないけどねー。大好きなおにいちゃまとの時間を邪魔されたくないと見た。ブラコンだよねえ、レーカちゃん」

「そ、そんなんじゃないもん」

「そんな様子じゃ、あたしとザコいちが結婚したら大変だよ」

「み、ミキちゃんとは結婚しないし、させないし!」

「それは本人次第ー。あ、丁度帰ってきたみたい」

「だ、駄目だからね!」

「はいはい」

 そう言いながらミキは嬉々として帰ってきた零一を迎えに、階段を下りていく。

 勝手知ったる動きであるが、彼女は週三回以上はこの家にいるので家人は誰も気にしない。そもそも今はレーカしかいないが。

「ザーコーいーちー、あたしが遊んであげ、る」

 普段の零一ならば嫌々だが、妹の親友相手なので無下にはしないが――

「……まずは基幹部分から、どう動かす、どう捌く。早く、早く、立ち上げて、作業、この玩具、俺だけのもんだ。誰にも、邪魔はさせない。俺だけの――」

 今は耳に入ってすらいない。靴を脱ぎ捨て、そのまま自室に突っ込んでいく。

「あれ、お兄ちゃんは?」

 遅れてやってきたレーカは玄関でぽつりと立ち尽くす親友の姿に驚く。

 頬を真っ赤にした彼女は、

「零一だよ、レーカちゃん! 久しぶりだけど、やっぱり最高!」

 獣の眼光に射すくめられ、身もだえていた。

「……うう、お兄ちゃん」

 対する妹レーカちゃんこと刈谷零華はがっくりと肩を下ろす。

 こうなってしまうと――


     ○


 あれから小一時間経過して、レーカとミキは零一の部屋にいた。

 零一のベッドでお菓子をパクパク、零一の作業している姿をぼーっと眺めるだけの時間。獣のような眼光、尋常ならざる速度でタイピングする零一の姿を幸せそうに見つめるミキとため息を重ねるレーカ。二人は親友であり、共に零一のことが好きなのだが、好きの対象が違うのだ。レーカは普段のぶっきらぼうだが妹思いのお兄ちゃんが好き、ミキは今の作業に注力する零一が好き。

 一心不乱な眼が好き、とは彼女の言。

「あ、零一よだれ垂れてるよ。あたしが拭いてあげるね」

 甲斐甲斐しくティッシュでよだれを拭いてあげるミキだが、普段の状態であればザコいちとからかって世話をさせようとする二面性があった。

「どうせ、夜中も一人でPC叩いてるんだから、今やっても意味ないよ」

「いいのいいの」

「むぅ」

 妹レーカとしては複雑な心境である。親友に限らず、兄を好いている人物は警戒に値するから。

 だが、同時にこの状態の兄を好いたところで、意味がないことも重々承知していた。今の兄は頭の中に在るものをアウトプットすること以外、全てを断ち切っている。誰の声も届かないし、この時ばかりは妹の声でさえ意味を成さない。

 唯一、この状態の兄と会話できる者もいたが、今は絶縁状態である。

「それにしてもさ、こんなにも想像上のプログラマーって感じの人も珍しいよね。あたしのパパもエンジニアだけど、タイピングするより考えている時間の方が長いって言ってたもん」

「普通、みんなそうだよ。今時パソコンカタカタなんて非効率だもん」

「でも、零一はカタカタするよね。ザコいちの時でも」

「お兄ちゃんは普通じゃないから」

「そこがほんっと、大好き」

「……普通の方が良いもん」

「いっしっし、レーカちゃんはかわゆいのぉ」

「ううー、わたしで遊ばないでよ!」

「よいではないかーよいではないかー」

 作業中の兄の部屋で遊ぶ彼女たちであったが、零一が注意を促す様子はない。そもそも、耳に入っていない。ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、一心不乱にキーボードを叩くだけ。これでフードでも被っていれば皆の想像するスーパーハッカーの出来上がりである。

 そんなこんなでさらに時間が進み――

「ただいまー。あら、ミキちゃん来てたの」

 刈谷家の母、帰還。

「お邪魔してますー、おばさま」

「お母さん、お兄ちゃんが久しぶりに」

「……あらー、しばらくなかったから油断してたわー。どんな感じ?」

「たぶん、ロボット関係」

「ショーコちゃん?」

「たぶん、違うと思うけど。ショーコさんなら、家に来てると思うし」

「そう……ハァ、憂鬱ねえ」

「作業内容見るに、たぶん何日もかかると思いますよ、おばさま」

「今から胃が痛いわぁ」

 そう言いながら、肩を落としリビングへ去っていく刈谷家の母。どうやら刈谷家にとっては零一のこの側面はあまり歓迎されていないようである。

「零一、またよだれー」

「もう、ミキちゃん! お兄ちゃんの邪魔しないで!」

「邪魔じゃなくてお世話だもーん」

「今のお兄ちゃんにはどっちも一緒!」

 かしましい景色が広がる中、零一の眼は画面だけを見つめていた。

「はは、あいつ、マジで天才だな」

 そんな中、自然と零れた、賛辞。

「「ッ⁉」」

 それに、二人はぎょろりと視線を零一に向ける。

「どういうこと?」

「わかんない。でも、お兄ちゃんが他人を褒めるなんて、滅多にない」

 刈谷零一は普通ではないのだ。そして、世の中には普通ではない人間などほとんどいない。普段、彼が心にもない誉め言葉を言うことはある。だが、この状態の彼は絶対にそんなことを言わない。思ったことしか口にしない。

 そして、その彼が褒めたと言うことは、今作業をしているハード面の設計者が彼を充足させるに足る存在であると言うこと。

 そんな人間が、そこらにいるとは思えない。

 しかも――

「零一の学校、それ系で強い部活なんてなかったよね?」

 零一は今、そういう人物がいないはずの学校に通っている。

「うん、だから受験したんだもん」

「……誰よ、あたしの零一に色目使ったやつ」

「ミキちゃんのお兄ちゃんじゃないよ?」

「将来の話だしぃ」

「将来的にもないと思うなー」

 がしっと掴み合いの喧嘩を始めるレーカとミキ。普段仲良し二人組も、零一が絡むとそこそこの頻度で喧嘩をしてしまう。

 まあ、二人とも引き摺らないので遺恨はないのだが。

「やるなァ、ロボ子」

「「ロボ子⁉」」

 そんな喧嘩に水を差す、謎の言語ロボ子。まさか人物名とは二人も思わない。

 二人の疑問がこの日、解決されることはなかった。


     ○


 次の日、山田の下に電話が入った。

「すいません、うちの零一が少し、その、風邪をひいてしまいまして」

「あ、そうなんですね。お気になさらず、お母様。お大事にとお伝えください」

「は、はい」

 その日、特に気にすることなく山田は刈谷零一に欠席、と付けた。

 さらに次の日、山田の下に電話が入る。

「申し訳ありません、風邪が長引いてしまって」

「あ、そうなんですね。わかりました」

 その日も山田は何も気にせず欠席とした。

 翌日も、

「すいません」

「あ、わかりました」

 そして週末、ここで初めて敏腕教師(自称)山田学は「あれ?」と疑問を浮かべた。これ、風邪じゃないのでは、と。

 まさかこの週、月曜以外全休などはありえない――

「す、すいませんー」

「……あ、あの、お母様。本当に、その、風邪なんですか? もしかしたら別の病気では? 病院で診察を受けた方が――」

「風邪です。質の悪い、風邪なんです。本当にすいません。今度零一に謝らせますので。申し訳ございません。では」

 通話が切れる。クラスで刈谷が風邪の旨を伝えると――

「いや、サボりだろ」

「不登校じゃん」

「何連休だよ。超羨ましいんだけど」

 などと同じクラスの生徒たちが口々に言う。

「先生、私お見舞い行ってきましょうか?」

「よ、さすが委員長!」

「風邪ひけば家に委員長来てくれんのか、有りだな」

「うわ、点数稼ぎウザ」

 男女ともに様々な意見が飛び交うも、当の委員長は小動もしない。

「え? あ、ああー、どうしたものかな。とりあえずプリントは先生が持っていくよ。うん、担任だからね、一応」

「わかりました」

 だが、それはまずいと山田の中の何かが告げる。実は思い当たる節があったのだ。と言うよりも、あれしかない。まさか、学校を休んでまで作業をするとは思わなかったし、そこに母親まで加担するなど考え難かったが、ここまで行くと――

(あの件しか、ないよなぁ)

 一応顧問のつもりの山田としては、あまり大事にしたくなかったのだ。

 連れて行ったのは自分であったから。


     ○


「じゃあみんなで行こう。ロボ研出動」

「「は?」」

 突如部室に現れた山田が開口一番言い放った。

 当然何のことかわからない二人。

「いや、刈谷が火曜からずっと学校に来てないんだよね」

「……それって」

 ロボ子とリョーコが目を合わせる。

「理由が風邪なんだけど、さすがに長引き過ぎだからなぁ。ほら、前にこの部屋出て行った時も変なテンションだったし、あの件なのかなぁ、と思って」

 プリント溜まっちゃってさ、と笑う山田であったが二人は笑えない。

「あの時も勢いにびっくりしたけど、それで学校休む? 普通じゃなくない?」

「……今の時代にC言語使ってロボットのシステム構築する人は、そもそも普通じゃない。最適化されたROBでも時間のかかる作業だから」

「うわー、なんか、罪悪感が、モリモリと」

 正直、ここ数日一度も彼が顔を出さなかったので、彼女たちの中では見る見る期待はしぼみ、終わった話になっていた。学生レベルになるとよくいるのだ、口だけはそれっぽいことを言って、いざ作業を任せると何も出来ずにいなくなるような人が。

「あの、私たちで、行きます」

「ロボ子?」

「どんな結果であれ、少し、話してみたい」

「……ありゃりゃ、ロボ子が男の子に興味を持ってたなんて、おっどろきー」

「そういうのじゃない」

「あれ、先生要らない流れ?」

「と言うか山田っちは知らない方が良いんじゃない? だって、風邪じゃなかった場合、どう転んでも山田っちのせいになるし。ほら、一応顧問じゃん」

「あ、そっか。じゃあ、よろしく! 報告は要らないぞ! 先生は知ーらない」

 とりあえずこれ渡しておいて、とプリントの束を置いて教師山田、見ざる言わざる聞かざるを決め込む。まあ、そちらの方が気楽だとリョーコが誘導したのだが。

「あと、これ住所。よろしく!」

 二人は山田が置いて行った住所を見て、

「じゃ、行こっか」

「うん」

 ちょっと遠いし面倒くさいな、と思ったのは内緒である。

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