第2話:電脳ROBO研究会
知恵の杜学園文化部室棟、十年ほど前に今のキラキラネームに改名した知恵の杜学園は私立の常、部活に力を注いでいた。特に体育会系の部活は特待生などを違法すれすれのやり口でぶっこ抜くスタイルで各方面からのヘイトは跳ね上がっているが、その分どこも全国区である。
文化系の部活はそこまで力が入っているわけではないのだが、吹奏楽、演劇などの花形はこれまた全国区。朝練とかも普通にやっているし、放課後は夜遅くまで練習を積み重ねる。
必然、文化部室棟も立派な建物と成っていた。
その一角、と呼ぶにはあまりにもみすぼらしい端っこの一室に、
『電脳ROBO研究会』
と、いかつい書体で書かれた札が垂れさがっていた。
名称を見ても何のことかわからないし、そもそも他の部室に比べるとあまりにも異彩を放ち過ぎていた。扉の隙間から伸びる無骨なケーブルはそのまま壁に沿って這い、壁をぶち抜いてどこぞへと旅立っている。
刈谷はそれを見て顔をしかめた。
「これ、どっかから高電圧引っ張ってるんですよね」
「そうなの? 僕、そういうのよくわからなくて」
「……顧問候補がこれじゃ、絶対許可取ってないし、下手すると勝手に分電盤とか弄って電気工事してるぞ。この雑な仕事は、絶対業者じゃないし」
首をかしげる山田を無視して、刈谷は額を押さえる。
この先にいるのは絶対に難物なのだ。かつて、『彼女』によって手に入った多くの経験が告げている。ここから先に常人はいない。常人はこんな隅っこ、好まない。
常人はたぶん、ここまでしない。
「やあ、二人とも元気にしてたかい?」
「「誰?」」
「顧問の山田だよぉ。忘れないでくれよぉ」
「……?」
山田先生を必死に思い出そうとする二人の女子、刈谷はそこに目を向けず部室の中に目を向けていた。あまり広くない空間に、これでもかと詰め込まれた私物。散乱する本はどれもロボットにまつわるものばかり。それも相当ディープな専門書である。
(PC本体も当たり前のように自作でクソでかい。どんだけハードに金かけてんだよ。中身が張りぼてでもない限り、百万は余裕で超えるな)
刈谷の眼には部屋の一角を占拠する巨大な筐体が映っていた。見た目はまさに黒鉄の城、これ自体がロボットなんじゃ、と思うほどの質感と大きさである。起動中のようで、冷却ファンがフル稼働している音も部屋の中に響いていた。
それだけ冷却にリソースが必要、ということ。
「で、何しに来たの、山田っち」
「ほら、部に昇格するために部員を増やさないと」
「必要ない」
「でもプログラマー欲しいって言ってただろ? こいつ、たぶん凄腕だぞ」
「あれ、デジャブ?」
「前も同じ文言で連れてきた、コピペ男を」
「あ、ああー、あの子かぁ。忘れてた」
女子二人、陽キャと陰キャ、見た目対照的な二人だが、この空間に存在している時点で曲者にしか見えない。そもそもPCを自作する女子、しかも通常の一〇〇Vでは足りぬとばかりに二〇〇V、もしくはそれ以上を引っ張っている。
それはつまり、大学の研究室に納入する装置レベルの代物、と言うこと。
「で、貴方はROB言語、書けるの?」
顔立ちは良いがダサい丸ぶちの眼鏡に、適当に切り揃えたボサボサ髪が陰キャにしか見えない女子から声がかけられる。
それでも、それなりに可愛い女子から声をかけられ、男なら多少なりともウキウキしたりするものだが、生憎と刈谷はそういうのが薄かった。
「……書かない」
「書けないじゃなくて?」
挑発的な視線を向ける女子とさらに顔をしかめる刈谷。
「まあまあ、そんなカリカリしない。折角可愛いのに台無しだよ、ロボ子」
「……でも――」
「ロボ子はステイ。私が話すから」
(ロボ子……これだから陽キャは。いじめだろ、こんなあだ名)
刈谷が憐みの目を向けると、何故かロボ子から睨みつけられる。きっと、変なあだ名を聞かれて怒っているのだろう、と刈谷は勝手に解釈した。
そんなどうでもいいことを考えていると陽キャの方がこちらを向く。少し丸みを帯びたボブカット。月二回は美容室でカットしてそうな髪型、きっと毎日セットもしているのだろう。とある事情から女子事情には詳しい刈谷はぽけーっと思う。
背も刈谷より高いし頭身含めスタイルもいい。
そんな女子が何故こんな場所にいるのか、という疑問はあるが。
「え、と、何君だっけ?」
「刈谷」
「おけ。私はリョーコ、あだ名はバス美ね」
(バス美って……何なんだ、こいつら)
「で、刈谷君は私たちが何をしているか知ってる?」
「知らん」
「だと思った。山田っちもよくわかってないしね」
「そんなことはないぞ!」
山田から抗議の声が上がるも、この場の三人とも無視をする。
「私たちさ、ロボコンやってるの。電脳空間のやつ、これは知ってる?」
「……まあ、一応」
リョーコことバス美の言っている電脳のロボコンとは、十五年前に生まれた新たなロボコンの形式である。とある企業が創り出した電脳空間での地球、物理法則から潮の満ち引き、風、重力、何から何まで完全に地球を再現した『世界』を生み出し、一世を風靡した。
この『世界』で何が出来るか。最初は自然災害などのシミュレーターとして期待されていたのだが、ある日突然研究チームが巨大な建造物を建て始めた。同じ地球であっても電脳空間ゆえ、資源は無限。建材も、建てる際の労力も、すっ飛ばして理屈を再現することが出来る。
この遊びが、ウケた。
世界中で色々な技術者がこの『世界』を使って遊び始めたのだ。
医療から工業、ありとあらゆる技術者が頭の中に在った理論を、何のしがらみもない『世界』で表現した。
そこには、ロマン大好きロボットの研究者たちもいたのだ。
ロボットのネックとは、資源であり労力、理想を実現するための現実的な壁が彼らを阻んでいた。頭の中にはあるのに、それを再現しようとすれば何億、何十億とかかってしまう。その壁が『世界』の中であれば存在しないと来た。
彼らは狂ったようにロボットを作った。最初は現実的な一メートルとか、二メートルであったが、徐々にサイズアップしていった。気づけば百メートル越えのロボットも造り出す馬鹿も現れ始める。現在、自重で潰れず稼働できるロボットのギネス記録は三二七メートル、もちろん電脳空間での記録であるが。今ではそれも公式に認められている記録となっている。
そして、ロボットを作った彼らはどうしたか。当然、戦わせる。男の子なら当然の摂理であろう。巨大ロボットが東京やニューヨークで、建物をバッキバキにへし折りながら戦っても誰も文句を言わないのだ。楽し過ぎて仕方がない。
そんな技術者たちの遊びが拡大し、世界中に広まった結果、現在のロボコン、ロボットコンテストの主流はその『世界』で行われている。ロボの研究開発、それを用いて戦わせるまでの流れが一つのパッケージとして、学生から社会人チーム、ワークス、つまりプロチームに至るまで広がる、一つの巨大産業にまで成長していたのだ。
彼女の言っているロボコン、とはそれを指す。刈谷も知っている。
「私ことバス美がパイロット、ロボ子がロボットの設計開発担当ね」
「……他は?」
「「…………」」
刈谷が『当然』浮かべた問いに二人は沈黙で返した。
「おいおい、刈谷。二人しかいないって最初に言っただろ?」
「え、でも、ロボコンやるんですよね? ロボットの設計から……二人、と言うか一人はパイロットだし、技術者が一人ってありえないですよ」
「え、そうなの?」
「普通は、どんなに小さいチームでもディレクターとかプランナーが一、二名、ハードのエンジニアが数名、ソフトエンジニアも数名、小さく見積もっても十人ぐらいはいますよ」
「へー知らなかった」
顧問を自称する山田、なるほどぉ、と頷く。
「電脳空間であっても資材、形成、組み立てとかが無視できるだけで、やることは現実世界と変わらないんです。だから労力がかかる。きちんと動かすだけでも何度も精査して――」
「刈谷は詳しいなぁ」
「っ⁉」
山田の指摘にしまった、と顔を歪める刈谷。
「え、と、そこの子はどっちなの?」
「私、そこの子じゃなくて、ロボ子って名前があるのだけど」
「え?」
「あっはっは、やっぱり刈谷っちもロボ子のことあだ名だと思ってたんだ。この子、多田隈ロボ子って名前なの。戸籍にもきちんと明記されてる本当の名前だよ」
「なん、だと」
刈谷は愕然とする。まさか世の中にこんな重厚極まるキラキラネームが存在するなんて、露とも思わなかったのだ。その反応にロボ子は顔をしかめる。
「あと、ロボ子はロボ子って名前が大好きだから、その反応は好感度下がりまーす」
「…………」
世の中は広い、と刈谷は唖然としながらも状況を飲み込むしかなかった。
「私はハード屋。今は、ソフトも兼任しているけど」
「……兼任は、無理だと思うんだが。たまに……いないこともないけど」
「成せば、成る」
いや、成らないだろ、と刈谷は心の中でツッコんだ。もちろん、ハード屋にもソフトの知識は求められる。そこの歩調が合わせられねば、ロボットは動かない。だが、基本的にその二つには大きな隔たりがあるのだ。求められる知識が違い過ぎる。
その違い過ぎる知識を合わせるために、間にジェネラリストのディレクションが必要とされているほど、違う二つをやろうとしてもマンパワーが足りない。
ただでさえ、一人で出来ることなどたかが知れているのに。
まあ世界にはごく一握り、そのどちらもスペシャリストという化け物のような人間が存在するのだが――
「どちらにせよ、書かないのか、書けないのか知らないけど、ROB言語に触れない人間はここには不要。リョーコ、追い払って」
「まあまあ、ロボ子」
「いや、俺もやる気ないけど」
「え、そうなの⁉」
驚くリョーコ、ロボ子は既に刈谷への興味を失っていた。
「山田先生に連れてこられただけだし」
「……山田っちー」
「おいおい刈谷、成績のことは良いのか?」
「別にいいですよ」
さっきまで成績の脅しでおたおたしていた刈谷だったが、
「これ系の話なら、学校辞めることになってもやりたくないんで」
その眼には確固たる拒絶の意志が宿っていた。
「ん、ああ、そこまで言われると、先生何にも言えないや」
諦める山田。だが――
「ロボットのこと、嫌い?」
あまりにも強い拒絶にリョーコが興味を示す。リョーコの発言に刈谷は、
「別に、ロボット自体に好きも嫌いもない。ただ、他人に合わせてチームで動くってのが嫌いなだけ。苦手なんだ、他人が」
チームワークが嫌いなのだと正直に答える。
「んー、楽しいのになぁ」
「そもそもチームにもなってないだろ。機材見て少し驚いたけど、この様子じゃまともなロボットなんて作れない。時間の無駄だ」
そう言い切って去ろうとする刈谷。笑顔のリョーコはそれを張り付けたまま、刈谷を拘束する。がっつり首に回された腕の力に、刈谷は驚愕した。
「ちょ⁉」
「時間の無駄とは聞き捨てならねえ。私はそりゃ、ただのパイロットだし普段は遊んでいるだけだけどさ、ロボ子はスーパーだから」
あと、不可抗力なのだが胸も当たっており、苦しみからか触感からか、刈谷の頬はかすかに赤く染まっていた。おそらくは、両方である。健全な青少年ではあるので。
「百聞は一見に如かず、見晒せ!」
「リョーコ、そんな奴に見せても、無、だ――」
画面に表示されているCADの立体図面、それを見た瞬間、刈谷の顔つきが変貌していた。そのあまりの豹変ぶりに、ロボ子はかすかに驚く。普通の学生が見ても、何もわからないはずである。と言うよりも、ロボコンに携わっている学生でさえ、この図面だけでは何もわからない。
何故ならこのロボットは――
「……オールハンドメイド」
「ッ⁉」
刈谷のつぶやきに、今度はロボ子が驚愕する番であった。
「ありえない。これを、高校生が、一人で? ワークスでもここまでするか?」
図面を軽く見ただけで、それを把握できる人間がいたことにロボ子は驚く。驚くロボ子を見て、リョーコもまた驚いていた。彼女が他人を見て、こういう顔をするなんて滅多にないことである。
彼女もまた他人に期待など持たない、持てなくなった者だから。
「ネコ科の動物と人を混ぜたかのようなフォルム。有機的で、斬新なデザイン。それに見合った動きのための機構、機能面も……見せかけじゃない」
刈谷零一の顔には笑みが張り付いていた。
「これを、無賃で、趣味で、作ったのか?」
「……悪い?」
「良い悪いは知らない。ただ、馬鹿だろ、お前」
「成績は学年トップなのだけど。あとお前ってムカつく」
「それはどうでもいい」
刈谷は図面を見ながら、考え込んでいた。
ありえない光景が目の前にあるのだ。高校生だから、ではない年齢関係なく個人レベルでこんなものがあって良いはずがない。
「これ、ROBじゃまともに動かないぞ」
「……何でそう思うの?」
「ROB言語は産業ロボ世界シェアトップ企業KUNUCの技術者が創ったものだ。ロボット製作においてROB言語がスタンダードなのは、そもそもKUNUCのロボット技術が現在のスタンダードだから。その基幹技術を踏襲していない時点で、ROBは最適解じゃない」
ロボ子は刈谷の指摘に俯く。
「厳密にはROBでも動くが、十全の性能を引き出すことは出来ない、か」
そう言いながらも、刈谷は図面をスクロールして細部まで把握しようとする。
「今、仮で設けてあるROBで書いたプログラム、普通にクソだけど素人の手慰みにしては、まあ、マシな部類。巷に溢れているロボットなら、これでも動きはする。でも、まともに動かない」
刈谷の言葉にロボ子は唇をかむ。得手ではない分野を、他人には頼れないと自分で調べ、何とか形にしたがロボットは動いてくれなかった。
自分の夢、理想を詰め込んだ機体が悪いなどと思いたくなくて、何とかソフト面でクリアしようと思ったのだが。
「動くように、そこら中に散らばるロボットの設計図を、どこかの誰かのパクリを継ぎ接ぎしたものを、造ればいいんでしょ。そんなの、私だって――」
「それは一番クソだ」
刈谷はロボ子を、リョーコを、誰も見ずに図面だけを見つめる。
「作りたいモノを作らないなら、そんなもんに時間を割く必要はない。ましてや趣味なんだろ、仕事じゃないんだろ、だったら、クソみたいなこと言うなよ」
刈谷とロボ子は初対面である。しかも刈谷は普段、誰とも絡もうとしない。普通なら適当にやり過ごすだけ。そうか頑張ってくれ、で済む話。
熱くなる理由なんてない。
必要のない軋轢を生む理由もない。
「だったら、どうすればいいの? 出来ることは、全部やった」
「……ロボ子」
「この子が動かないのは、駄目なのは、わかっている。失敗作だって、わかってる」
ただ――
「俺なら、動かせる」
見惚れてしまったのだ。畑違いの天才が生み出した、芸術に。
「「え?」」
ロボ子とリョーコは唖然と刈谷を見つめる。
「俺はROBを使わない。こいつを使うのは、俺にとってベターのためにベストを捨てるに等しいから。気持ち悪いんだよ、理想に届かないモノ作りなんて」
刈谷零一の顔に張り付いているのは、先ほどまで浮かべていた無気力な無表情ではない。戦う相手を見つけた戦士のような、獰猛な笑みを浮かべていた。
「俺はC言語を主に使う。時代遅れだ、効率が悪いだ、何言われようと、俺の頭の中に在る理想を実現するには、こいつで最低ラインだ。他の言語なんざ、クソ以下」
山田もまた驚いていた。自分の生徒にこんな顔を持つ男子がいるとは、思っていなかったから。何に対しても興味を示さなかった生徒の関心が、こんなところに埋まっていたのだ。
「マシン語も使えるけど……これはさすがに、な」
刈谷の眼には誰も映っていない。安っぽい同情など皆無、空気も読まない。ただただ、自分が弄り倒したい素材を見つけただけ。
遊び相手を、滾る相手を、見つけられただけ。
「刈谷っち、ロボ子のロボット、動かせるの?」
「ああ」
「実はさ、ロボ子には言ってなかったけど、在野のプログラマーにも当たってたんだ。これ動かせるようにならないですか、って。全員に無理って言われちゃった」
「ROBをかじっただけのクソ共のことは知らん。俺は出来る。それだけだ」
刈谷はロボ子に視線を移す。
「俺に書かせろ」
「……対価は?」
「要らない。ただし、俺に指図するな。要求はしていい。すべきだ。だが、その要求に対するアプローチは俺だけの領域、お前たちは仕上がりだけで判断すること」
「……それだけ?」
「俺は、自由さえあれば、良い」
「?」
皆が疑問符を浮かべる中、刈谷は山田の内ポケットに手を突っ込み「あん」という喜色悪い喘ぎ声と共にスマホを奪取。そのままPCに接続し、データを拝借する。
返答を聞く気もなく、もう作業をやる気である。
「ね、ねえ、刈谷っちはロボット造ったことあるの?」
「あるからやれるって言ってる。馬鹿なのか?」
「ば、馬鹿ってまた言った!」
憤慨するロボ子を尻目に刈谷はデータを手に入れ、そのままそそくさと部屋を出る。ロボ子のロボットを見てから、怒涛の流れであった。
突如発奮した刈谷と取り残された三人。
「……刈谷ってああいうやつだったのかー。知らなかったなぁ」
のんびりとつぶやく山田を、とりあえずロボ子は部屋からたたき出した。一応顧問のようなものだが、現在のところ限りなく部外者に近い何かである。
「まあ、熱くなれるものがあるってのは良いことだ」
叩き出されてもへこたれない山田はとりあえず時間を潰すため、人気のなさそうなところを目指す。あまりにも教師にも就業時間はあり、強豪の部活を多数擁するこの学校では部活を持っていない先生はやっかみを受けやすいのだ。
だから、同好会の面倒を見ている体で、時間を潰すのもまた、処世術。
まあ、山田学の評価は彼の無自覚な非常識っぷりで、すでに地の底に在ることを彼だけは知らないのだが。圧倒的ポジティブ、それはある意味彼最大の強みでもあるのかもしれない。
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