電脳ROBO研究会

富士田けやき

第1話:狂師山田学

 電脳空間には重力がない。

 その一点だけであってもこの世界は現実よりも自由で、快適なのだ。

『刈谷君、私たちは君のスキルを高く評価している。だが、君は高いスキルを見せびらかそうとするばかりで、周囲に対する気遣いが欠けている。それではプロフェッショナルとは言えない。チェッカーに、ディレクターに、私たちにも理解できる仕事をしたまえ』

 それなのに、何でこんなにも不自由に感じるのだろう。

『レーイチ、企業の意向に沿うのも仕事の内だ。受け入れよう。君なら出来る』

 息苦しくて、ガチガチに縛られて、これじゃあ何のためにこの世界で遊んでいるのかがわからない。『彼女』は言った。それが仕事なのだと。

 仕事にはお金が発生する。義務が、責任が発生する。

 リスクを嫌う。冒険を厭う。

『レーイチ! 私たちは仕事をしている。もう遊びじゃないんだ!』

 遊びではないから。それがプロフェッショナルなのだと、『彼女』は重ねて言う。

 正しい。『彼女』はいつだって正しかった。俺を導いてくれた。たくさんの出会いがあったし、経験も積ませてもらった。でも。もう限界なんだ。

『じゃあ、やめます』

『『は?』』

 俺は自由が良い。それが許される間は、そうやって生きていたい。チームじゃなくていい。お金もいらない。遊びでいい。一人でいい。

 そして俺は全てを投げ捨て、一人になった。


     ○


「――刈谷ァ、この問題わかるか?」

「……わかりません」

「だろうね。お前が開いている教科書は現代文だが、残念ながら今は数学の時間なんだなこれが。教科書を壁にする知能はあるみたいだけど、教科が違えば何の意味もないぞー」

 数学の先生が刈谷と呼ばれた少年の教科書を掴み取る。

「で、それはなんだい? 今、机の下に隠した奴」

「……スマホです」

「はい、没収」

「……っす」

 スマホを奪われ、意気消沈する刈谷を尻目に授業は進む。

 いつも通りの風景であった。


     ○


 刈谷零一(かりやれいいち)は私立知恵の杜高等学園に通う二年生である。成績は中の下、体育は下の下、容姿は親の欲目でも中が限度。影が薄く、協調性もない。一年次の文化祭、体育祭、どちらも出席しつつほぼ参加しないという快挙も成し遂げたほどである。

 友人、ほぼゼロ。恋人、当然皆無。

 そして現在、スマホもない。

「刈谷君、学年上がって心機一転、クラス会やろうと思うんだけど、どう?」

「……不参加で」

「りょーかい!」

 クラス会にも参加しない。そもそも誘われたことに、声をかけられたことに少し驚いたほどである。ぼっちここに極まれり。声をかけた彼女は委員長を快く引き受けるほどの好人物であるが、残念ながら刈谷の頭に彼女の名前はない。

 彼女だけではなく、クラスメイト全員の名前を憶えていないのだ。

「……ぐぅ」

 スマホがないので、暇だなぁと思いつつ刈谷、五時間目を就寝する。

 昼食を終えた後の授業、ここは正直仕方がない。


     ○


 知恵の杜学園の数学担当教師である山田学は「んー」と腕を組んでいた。

「どうしたんですか、山田先生?」

「うわっ⁉」

 同僚の女性教諭に声をかけられ、山田は慌ててあるものを落としてしまう。

「あれ、スマホですか?」

「え、ええ。まあ。ほら、先生が去年担任されていたクラスの刈谷のなんですけど」

「あ、ああー、授業中に、ですね」

「その通り、です。あいつ一年の時からやってたのかぁ」

「スマホか、寝るか、二択ですね。それでもテストの時は赤点取らないので、たぶん地頭は良いんですよ。学校の勉強に興味がないだけで」

「いや、まさにそれなんですよ」

「え?」

 山田がスマホを操作し、ロックを解除する。女性教諭、目を剥く。

「な、なにしてるんですか⁉」

「あいつの誕生日入れたら開きまして」

「ぷ、プライバシーの侵害ですよ! 没収はともかく――」

「まあまあ。それで中身見ていたらですね、ゲームがいくつか入っていたんですよ」

「ええ、私の授業の時もやっていましたよ」

「で、実は僕もゲーム好きなんですよ。そこそこのゲーマーだと自称してるんですけど――」

「は、はぁ」

 心底興味なさそうな眼を浮かべる女性教諭。だが、御年三十歳、未だ童貞であり彼女いない歴=年齢である山田にそんな意図を解すなど不可能である。

「ないんですよね」

「あ、少し所用を思い出しました」

 興味のない話を延々とされる、その空気を察した女性教諭はそそくさと頭を下げて走り去っていく。彼女を尻目に、山田は考え込んでいた。

「こんなゲームのアプリ、どこにもないんだよなぁ。まさか、自作? いや、ありえない。既存のツクール系ソフトのUIじゃないんだ。一から全部構築した? それもありえない。個人レベルじゃ難しい。でも、ボイスとかは入ってないんだよなぁ」

 どこかちぐはぐな印象のゲームアプリ。一部は明らかにプロの仕事なのだが、イラスト、BGMやボイスなどフリー素材を使っている部分も多々見受けられる。

「まいっか。本人に聞いてみよう」

 自分がプライバシーを侵害し、コンプライアンスの欠片もない行動を取っているなど微塵も考えていない男、山田学。

 彼は放課後聞けばいいや、と刈谷のスマホで遊び始めた。

「マジかよ、あいつ」

「ぶっ飛んでるよな、山田先生」

 職員室のど真ん中、五時間目中のことである。


     ○


「これ、刈谷が作ったのか?」

「……え?」

 放課後、職員室にやってきた刈谷を待ち受けていたのは、ロックがかかっているはずのスマホをかざし、操作画面を指し示す狂人山田先生であった。

「あの、ロックは?」

「誕生日はあれだぞ、わかりやすいからやめた方が良いぞ」

「え、そういう話ですか?」

「いや、そういう話じゃない。大事なのは僕の知らないゲームが、この世界に存在していることだ。粗削りだけど、アイデアが光る、秀作揃いだからな。この落ちゲーとか操作感が凄い滑らかで、動かしていて気持ちよかった」

 ピクリ、と刈谷の耳が動く。

「あと、こっちのアドベンチャーゲームはフリー素材まみれだけど、これまた操作感が良い。僕じゃないとこれだけ動く素材がフリーとは誰も思うまい」

 ピクピク、とさらに耳が動く。

「総じてレベルが高い。UIのクオリティは素人のそれじゃないし、既存のゲーム制作エンジンを使っているとも思えない。全体的なデザインも洒落て――」

「あ、そこは自分じゃないです。妹と妹の友達がそういうデザインとか得意で、彼女たちのイメージ図通りに作ったんで」

「イメージ通りに作った、ね。凄いじゃないか、刈谷。これとんでもない特技だろ? こんなんあれだぞ、一発で一目置かれる奴じゃないか」

 山田の言葉に刈谷は顔をしかめる。

「別に、そういうの要らないです。そのゲームも妹がせがむんで、暇つぶしに作っただけですし。誰ともかかわりたくないんで」

「そーかそーか。刈谷、おまえ部活入ってたっけ?」

「あの、いや、入ってないですけど、その、何で部活?」

「いや、先生な。実はどこの顧問しても生徒側からNG出されていて、最近までフリーだったんだ。それがちょっといたたまれなくて、丁度顧問を探していた二人しかいなくて同好会でしかないけど、おまえが入ってくれると部活に昇格できるところがあるんだよ」

「ちょっと長いし、文が途切れてなくて意図が――」

「まああれだ、先生と一緒に部活見学行こう、な」

「嫌です」

「知ってるか、先生って生徒の成績付けられるんだぞ?」

「……こんな正面から脅してくる先生は初めて見ました」

「先生回りくどいの苦手なんだ」

「……みたいですね」

 刈谷零一はとんでもない怪物を目の当たりにしている気分であった。常識が通じない。善意とか悪意ではなく、単純に自分のやりたいことをやりたいようにする怪物。

 こんな自由な教師がいて良いのか、と刈谷は戦慄していた。

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