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「なら、やっぱり一旦は様子見ですね。その人が普段、自分に良くしてくれる人で、秘密を抱えて一人で困っていたりするようなら、折を見て力を貸してあげたいですし。まあ、今の時点でその人があんまり切羽詰まっているようなら、周りにも相談して、自分で調べたり無理にでも聞き出してしまうかもしれませんけど」

「…別に、切羽詰まっているような感じではないですね…」

「んー…じゃあ、その人の嘘に乗っかってみる、っていうのはどうです?」

「嘘に、乗っかる?」

安田さんは悪戯っぽく笑って肯いた。

「その人の嘘を、まるっきり信じてみるんです。こっちから話を合わせたり、それを前提にした行動してみる。そのうち、案外ポロッと嘘が剥がれて真実を溢してしまうものですよ」

「相手が油断して口を滑らせるってことですか」

「もしくは、罪悪感で自らってとこですね。とにかく、その人が自分にとって大切な人なら、これで上手くいけば、お互いにあまり傷つかないで済む方法だと思いますよ」

どうです?お力になれました?と微笑む彼女に、私は感謝の言葉を述べた。



結局、原稿の方はなんの手も加えないまま、安田さんに預けられることになった。

「ツテをあたってみます。これは一つの作品として、完成形ゴールが見えていると思うんです。無理にエロシーンを書き足したりせず、なるべくこのままの形で本にする方針でいきましょう」

彼女が新しい担当になってくれて、本当に良かった。前の担当は…色々と、アレだったから(もう顔も思い出せないし、思い出したくもない)。

蘭さんに告げた帰宅予定時間までまだ余裕があったので、私は久々に本屋に寄ってみることにした。

私は基本的に出不精の人間で、今はほとんど通販で買い物をする。本にしろ、その他のものにしろ。

本屋の実店舗に最後に来たのは、おそらく学生時代まで遡る。その頃は今の倍くらい、もしかするとそれ以上の量の本を読んでいた。

だからといって、私が本好きor読書家かと言われると決してそうではない。本を読んでいれば、どんなに成績が振るわなかろうと、素行が多少悪かろうと、先生受けが良かったからだ。

学校の先生が勧める本は、どんなにつまらなくても最後まで読み切ったし、あとで感想を言いに行ったものである。

私は、そういう愛想と要領の良さだけで学校を卒業できたと言っても過言ではない。

あとは顔。

どうも、私の顔立ちというのは、私がかなり真面目で繊細な性格をしているという印象を他人に与えるらしい。十人いたら十人、皆が皆口を揃えてそう言うのを、私は内心せせら笑いながら、それを存分に利用して生きてきた。

そんな自分の顔が窓ガラスに写っているのをしばらく見つめてから、広い店舗の中に入る。平日とはいえ金曜日だからか、びっくりするくらい人がいた。

目的は決まっていたのだが、私の手にはいつの間にか数冊の本が積み重なっていた。惰性で今も続いている読書習慣で、少しでも食指が動かされた本は次々と手に取ってしまうのだ。選んだ本はジャンルもめちゃくちゃ、真面目さからは程遠い本来の私を体現したかのようなラインナップである。

聞くところによると、「本棚の中身(読んできた本)でその人の中身、人間性がわかる」という。

しかし、本当にそんなことができる人間が居たとして、私の本棚を前にすれば、ただただ困惑するに違いない。

同じ人間の形をしていながら、中身は化け物サイコパスであり、それはつまり“人間性”なんて無いに等しいということであり、その人が普通の人間で、私がそう、、である限り、私の中身とやらは永遠に謎のままその全容を解き明かされることは決してないということである。ふっ、と一人悦に浸りながら、私はようやく目的の本を見つけると、それだけ別包装にしてもらって本屋を出た。本のたくさん詰まった紙袋はずっしりと重い。紙袋に重心を持っていかれながら、えっちらおっちら帰宅した私を、


異臭が出迎えた。


「…え?何、なんか、生ぐさ…」

まさか、蘭さんアホの子は本当に料理を?私は単純にそう思った。だとしたら、今日の買い物が早速役に立つかもしれない。

珍しくリビングの方でクラシック音楽なんか流れていて、それがかなり大きめの音だから、蘭さんは私の帰宅に気づかなかったらしい。

廊下は薄暗く、蘭さんの部屋も暗いまま、唯一の光源はどうやら普段は滅多に使うことのないリビングの間接照明だからやっぱり暗めで、そのリビングへ続くガラスの嵌め込まれたドアは何故か半開きだった。

とにかく、それはつまり蘭さんがリビングにいるということで、だとすれば、彼がキッチンに立つ姿を再び見られる日が今日ということか。

というかこの臭い、何かやらかす前に止めないと。

そう思った私は勢いよく半開きのドアを開け放ち、

目にしたのは、

まず、座り込んでいる見覚えのある背中。で、彼が座り込んでいるのは、水溜りの上。で、そもそも何故かリビングに水溜りが生成されていているのかは置いといて、問題はその水の色が何故か赤いということ。

で、

赤い水溜りの中にはその水の根源と思われる肉の塊が横たわっていてその塊が人間の手足らしき形をしていて振り返った彼の口元が赤い液体で汚れていて

そんな彼が振り上げているのは

赤い液体を滴らせた

銀色の「あー、」


見られちゃっ…た?


カクリ、と、どこか人形じみた仕草で首を傾げる蘭さん。

目にした光景を理解するよりも先に、私の本能が「危険」を察知した。

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