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「いいじゃないですか。これはこれで」

「……え?」

「主人公の彼氏さんのキャラが想像以上にぶっ飛んでていいですね。いや、企画書でも天然キャラってことになってましたけど。なんかもう、突き抜けてる感じで」

「……はあ」

「特に中盤の、彼がお米を炊こうとするくだりなんて、声を立てて笑っちゃいましたよ」

「……はあ」

安田さんは本当に声を立てて笑っていたのだろうか。私の目の前で?…まるで、気がつかなかった。

「もしかして、このキャラクターってモデルがいたりします?」

「……まあ」

「やっぱり!え、じゃあお米のエピソードって、もしかして実話だったり?」

「……まあ」

その出来事はまさに私がコレを書いている時の話だ。

私はその日“怒涛の集中力”が生み出す言葉の奔流にキーを打つ手が止まらず、夕飯を食べる間も惜しかった。私にとっては、執筆にかまけて食事を抜く、ということは珍しいことではなかったのだが、そんな私を見て心配した蘭さんが「おにぎりくらいなら作ったげる!」と言いだしたのだ。それなら片手で食べられるでしょ?と。

炊飯器は使えるのか。いや、そもそもお米の洗い方はわかるのか。思わずそう聞いた私に「やだなー流石にできるよそれくらい」と蘭さんはオバチャンのように顔の前でヒラヒラ手を振った。若干の不安はあったものの、私は彼の申し出をありがたく受けることにした。

それから少し時間が経って、キリのいいところまで書きあげた私はちょっと様子を確かめるだけのつもりでリビングを覗いた。そこで見たのは、蘭さんが炊飯器をお腹に抱えこみ、撫で回している光景だった。

しかもなんか怖いくらい真剣な顔でブツブツと何やら呪文のようなものを唱えながら。

「あ、アキちゃん、キリがついたの?」

「………色々言いたいことはあるんだけど、とりあえずコレだけは聞いていい?」

なんで炊飯器にに話しかけてるの?

「炊飯器じゃなくて、お米に話しかけてるんだよ。ほら、植物って話しかけるといいっていうから」

アホの子は大真面目に言い切った。

「…そりゃ、そうした方が植物が綺麗な花を咲かせるとかいう通説があるのは知ってるけど、」でも米は今あなたが抱えている炊飯器の中で死にゆく過程にあるわけで。

という言葉を続けようとして飲み込んだ。

「でも米だって植物でしょ?……え、植物だよね?なんか自信無くなってきた」

そんなことで自信を無くさないでほしい。

精米された米粒を植物として捉える、という発想は私には無いが、少なくとも稲=植物なわけだから………まあ、間違っては無いだろう。

多分。

「ね、いつもよりご飯がふっくらしてると思わない?」

お喋りの効果だよ、と微笑むアホの子を前に、あの時の私はもうなんだっていい気がしていた。蘭さんの作ってくれたおにぎりは形を崩さない為にだろう、海苔を何重にも巻きつけた不恰好な黒い塊で、でも程よい塩味がついて美味しかった。

今にして思えば、あのおにぎりをキッカケに徐々に彼は料理を始めたのだろうか。しかし、私はアレ以来、蘭さんがキッチンに立つ姿を見ていない。いや、キッチンどころか家の中で私と一緒にいる時間が減り、仕事部屋に籠る機会が増えたように思う。

ただ料理をしているだけなら、わざわざ私から隠れる理由がわからない。かと言って、何かやましいことをしているようにも思えない。

彼曰く、「完璧になるまで見せたく無い」とのことだが、料理の腕が未熟なのが恥ずかしいからと言って(それが建前であるにしろ)、キッチンに立たないのでは本末転倒である。

普段はのほほんとしているアホの子だが、そんな彼とてプライドくらいあるだろうし、言い分として納得できなくは無いのだが、とにかく、彼が“完璧”を目指しているものが料理でないのは確かだろう。だって、まな板と包丁を使っている形跡すらない。

そして仕事では無いのも確かだ。そもそも仕事なら仕事だと一言えば済むはず。


一体中で何をしているのやら。


蘭さんは、いつも自分のことを私に聞いてもらいたがり、なんでも思ったこと感じたことはすぐに言う。でも、蘭さんが口に出したこと以外のことを、私が自分から知ろうとしたことはあっただろうか。

いつだって彼は自分をオープンにしていて、その必要がなかったからか。

いや、そもそも私は他人のことを、ここまで気にすることはなかったはずだ。

「安田さん」

「はい」

「もしも、安田さんの身近にいる方で、普段めったに隠し事をしないような人が、ある日突然秘密を抱えている素振りを見せたらどうします?」

彼女はパチパチと目を瞬かせた。

「ん、…とー、そうですねえ…まずはストレートに聞いてみます」

「それで嘘をつかれたら?」

「嘘、ですか」

「はい。明らかに、そうだとわかる嘘をつかれたら?」

安田さんは、なんの脈絡もない私の話を、真剣に考えてくれているようだった。

「…そう、ですねえ…まず、その人なりの理由があって嘘をついたのだろうから、とりあえず待ってみる、とか」

「待ってみる」

「そうです。その人自身が話しても良いと思えるタイミングまで…あ、ちなみに、その人が自分にとって嫌な人ではないこと前提で話してますけど、それで良いんですよね?」

「はい」

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