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「でもアレのおかげで喧嘩に勝てたっていうのはわかる気がするな。実際私もやってみたんですけど、結構な運動量ですもん」

「やってみた、ってあんた……」

あんまり彼が熱心に続けているので、あるとき私も参加してみたのだ。しかし、元々人より体力のない私はものの10分でダウンしてしまい、蘭さんに抱き抱えてもらわないと自力で椅子にも座れないほどだった。

「いやいやいや…え?あんたもああいうの好きなの?」

ええ…?と引いた目でこちらを見てくるリツカさん。

「や、私はただその場限りの好奇心でやってみただけですけど」

「……アキはさ、ヤにならないの?蘭のああいう変わった習性が」

「習性って…。まあ、別に他人に迷惑をかけなければ、何したって本人の自由だと思ってるんで」

これは私が常々思っていることだ。

私だって普段は、同調と和が美徳とされるこの国で過ごす以上、悪目立ちしないように世間の価値観というものを自分なりに推察し、人と話を合わせたりなるべくそれに沿った行動を取るようにしている。暗黙のルールや定番、果ては類型というものから大いに外れた人間を目にすれば、周囲と同じように眉を顰めて見せたりもする。

が、正直なところ、私は自分に害がなければ誰が何をしようとどうでもいいのである。「他人に迷惑をかけなければ」なんて言ったが、例え私以外の誰かが迷惑を被っていようと、所詮は他人事に過ぎず、実際はいちいち気にしたりしない。

要するに、自分さえ快適で居られればそれで良し。これが、どうしようもない私の紛れもない本性なのだった。

「それに何より、見てて面白いじゃないですか。おかげで毎朝スッキリ気持ちよく目が覚めますよ」

「……やっぱ変わってるよ、あんたって」

「そうですかね?ありがとうございます」

にっこり。年上受けを狙った、お利口スマイルを浮かべてみる。

それに絆されたわけではないだろうが、リツカさんは最後にしみじみと言ったものだ。

「あんなアホの子で申し訳ないけど、どうか蘭のことよろしくね。アイツ、察しが悪いっていうか、真正面からぶん殴られでもしないと人の悪意に気づかないくらい鈍いから、守ってやって。あ、身体張れって言ってるわけじゃないから。アイツ林檎を片手で握り潰せるくらいには強いから、その辺は安心して。ただ精神面がどうもね。これからもっと情けないところいっぱいお見せすることになるだろうけど、でも、とにかくアイツ、ホントにアキのこと大好きなんだよ」

だからどうか見捨てないでやって。

なんて、まるで私が嫁入りするみたいな言い方がおかしかった。笑って頷くに留めたが、どうか安心して欲しいと思う。

私たちが別れるとすれば、いつか化けの皮が剥がれて私の本性の気付いた彼の方から、私を見捨てる可能性の方が高いのだから。なんだか随分買われているらしいが、私よりできた人間なんて、そこら中に掃いて捨てるほどいるのだから。

「蘭さんただいまって待って待って待って絵面がおかしいどうやってるのソレ」

帰宅したら林檎を咥えた蘭さんに出迎えられた。文字通り使っているのは口だけで、器用に歯で齧り付いているらしい。控えめに言って衝撃映像だ。

「あいあんおあえい」

「垂れてる垂れてる汁が垂れてるってば」

「アキちゃんおかえり」

んべっと林檎をワイルドに口から放った蘭さんは、いつもするようにぎゅう…と玄関先で私を抱きしめた。

靴を脱ぐとそのままひょいと抱き上げられ、靴箱の上に座らされる。こうすると、ちょうど蘭さんと私の顔の高さが同じになるのだ。いつもならそのままキスの嵐なのだが、顔を近づけてきた蘭さんはすん、と鼻を鳴らして動きを止めた。

「アキちゃん…?」

「なあに?」

「今日は仕事の打ち合わせって言ってたよね?」

「うん。午前中はね」

「…そのあとは?」

「リツカさんとお茶してきた」

「やっぱり!あーもーアキちゃんをタバコで汚しやがって!」

服の袖でワシャワシャワシャ!と、痛みこそないもののそこそこ強めな力で身体中を擦るようにされるが、そんなことしたって匂いが取れるものでは無いだろうに。

「蘭さんって林檎を片手で潰せるってホント?」

と聞くと、私を撫で回していた手がピタリと止まる。

「………もしかして姉さんから色々聞いた?」

「蘭さん、昔学校の松の木をクリスマスツリーにしたんだってね」

「んに゛い」

踏まれた猫のような声を出した蘭さんは、私の肩口に顔を埋めて「だから姉さんに会わせるのは嫌だったんだよー‼︎」と吠えた。

「人の黒歴史を嬉々としてバラしやがってぇ…!」

「なんで黒歴史?可愛いじゃん。一生懸命飾り付けしたんでしょ?」

「そうだよー頑張ったんだよー飾りはイチから全部手作りしてギンギラギンにしてやったのに最終的には全部捨てられてさー」

「えっもったいないね。写真とか撮らなかったの?見てみたかったな」

「……じゃあ今年のクリスマスに再現して見せてあげる」

それは楽しみ、なんて言ってから、らしくもなく未来の約束なんてしてしまったことに気が付く。

「じゃあ、クリスマスまでに山の地主さんから、マツの木一本確保しておくね!」

「まさかの現物調達。…小さめにしてね」

しかし、そんな苦い思いも、嬉しそうな彼の顔を見ていたらどうでも良くなってしまった。

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