恋の再出発は、珈琲の後で

雪月華月

恋の再出発は珈琲の後で

 自分でも、あ、こうなるんだ……とおもわなかったなぁと、お客の爺さんからの言葉に、一瞬ぼんやりした。


「おい、慎ちゃん、ボーとしてどうしたんだ」


「あ、すいません……いや、結婚かーとおもっちゃって」


「いい加減、しないと……って言われないんかい?」


「親も諦めてますよ、だいたい店を構えちゃってるし、生活の基盤とかできちゃってるしなぁ」


 私は自分の小さな喫茶店を見回した。

カウンター席とソファー席が数席で、一人か二人で十分に回せるだけの店。

木目調にしてるので、夜でも昼でも雰囲気があると言われるのが自慢の店だ。

五年前にオープンしたがなんだかんだとやっていけてる。


 お客の爺さん……いや常連の矢月さんはそれでも粘るように。


「いや、四捨五入したら四十も近いんだろ、寂しくないんか」


「お客さんがいるじゃないですか、毎日忙しいし、落ち着けるときは喋れるから、寂しいと思う暇ありませんよ」


 まあ、すべてが楽しいわけではない。面倒な話を聞かされることもある。

アラフォーになって、独り身は寂しすぎると言い始めた人を見たときは、は、はーんとなってしまったし

友達作りがわからない、寂しい時間を埋めたいと祈るように言い出した人には、ココは喫茶店なんですけどね……となった。

 もちろん私だって、寂しい気持ちがないわけじゃない……むしろ寂しがりやだから店をしている節はある。


 だけど、この孤独はきっと埋まらないから、いいかもと思っている……前にすすめる力になると言うか。

孤独を感じるきっかけとなった、実らなかった初恋は、随分私を先に進ませてくれた。ただし次の恋には進ませなかったが。


 矢月さんが咳払いした。


「そういえばこの近所に、ケーキ屋ができるらしい」


「へー、駅前ですけど、そんな賑わってないのに、よく出しますねぇ」


「そうだな……あー、だいぶ温まった。コーヒーありがとよ、今度大根持ってくるわ」


「冬時分にありがたいですけど、持ってきすぎて腰痛めないでくださいね」


 まだまだ、腰は丈夫だよと苦笑いしながら、矢月さんは支払って店を出ていった。

矢月さんと入れ替わるように、男性が入ってきた。

 あ、良いマフラーだ、服もシンプルだけどしゃれている。

 最初にそう思って、顔を見ると、幼馴染の大貴だった。


 びっくりした、彼は調理師をめざして上京して以来ろくにこっちに帰ってこなかったし

結婚して以来顔を合わすこともなかった。


「わぁ、ホントにいた」


 目を丸くして大貴が言う。私より年上で四十寸前の年のはずだ。

しかし、その素っ頓狂な態度がなんだか昔と変わらず、愛おしかった。

 私は思いと裏腹に、唇をへの字にする。


「いきなり出会い頭に、そのセリフは何ー? 大貴さん」


「大貴さんって、また他人行儀な……」


「そりゃ幼馴染だけど昔っぽい呼び方は恥ずかしいでしょ……」


「まあ、そうだ……だいにぃってすごい呼んでたようなぁ、慎さんは」


「そういう黒っぽい歴史を蒸し返さないでよ……というか何飲むの? コーヒー?」


「そうだな、ここ喫茶店なの忘れてたわ……ブレンドで」


「はいはい」


 お店には人がそれなりにやってくる。矢月さんから引き続いて、珍しく、お客さんは一人。

しかも大貴だ、私の初恋の人、でも結婚のときにすっぱりと諦めた。諦めたと思った。諦めたつもりだった。

だけど、久しぶりに再会したら、ぞくりとするほどに、心臓がどきどきして、うれしくてにやけそうで

 久しぶりに恋の感触を思い出した。まったく自分は相当諦めが悪かったらしい。

 

 ……いつも一緒で、ずっと大好きだった。

 彼が調理師になると聞いて、私は喫茶店の店主になると宣言した。

 私は、大貴の作るクッキがー好きだった。


 いつも手慣れてるはずのコーヒーが急に淹れるのが難しく感じた。

おいしいものを飲んでもらわなきゃってちょっと緊張していた。

 こんなことで動揺してどうするのと思いつつ、コーヒーを彼に差し出した。


「おー、いい香り……」


 大貴は深く息をついた。

 なんだろ、ただのコーヒーなのに、どこか、嬉しそうな愛おしそうな、優しい瞳で見つめていた。


「昔っから、コーヒー淹れるのうまかったよな」


「そうかな……昔からはと言われるとよくわかんないけど、ありがとう」


「めっちゃ美味しかったよー、うまくて、俺、クッキーとか作るようになったもん」


「そ、そうなんだ……たしかにご飯ばっかり作ってたのに、急に甘いもの作るようになったよね」


「うん……慎さんに合わせるためだった。槇さんの作る飲み物には甘味があうよ」


「そ、そう」


 動揺が声に出てしまった。既婚者にときめきを覚えちゃいけないと、口をつぐむ。

しかしなんで彼はココにいるのだろう……地元に帰ってこなかったはずなのに。

 私はその疑問をぶつけてみた。


「ここの近くにケーキ屋出すからだよ」


 彼は即答した。


「こっち帰ってきたってこと? ケーキを出すために?」


「うんー、前から帰りたかったんだけど、嫁さん、俺の両親と仲が悪くてさ、帰ってこれなかった」


「そうなんだ……奥様は、納得されたの? こっち帰るの」


 一瞬ためらうような空気を感じた。

戸惑いを覚えたその瞬間、あっけらかんと大貴は言った。


「別れちゃった、三年前かな」


「え」


「まあ、いろいろあってさ」


 彼の表情は穏やかで、微動だにしない穏やかさで、それがきっと過去にあった離婚の嵐を感じさせるようなものだった。

きっときっと大変だったのだ。いや仮にも生活をともにしようと決断した相手との別れで、大変じゃないことなんてない。

でも、彼の顔は私に不安を感じさせないような、穏やかさだった。


「……なるほど」


 ソレ以上は深くは聞かなかった。何か聞くのは、筋じゃない。

私達は、この穏やかなコーヒータイムを維持したいと、どっちも願っている。


 彼はなにか思い立ったようにかばんから、袋を出した。

クッキーだった。店の商品用に試作したんだと彼が言った。


「懐かしいね……大貴さんのクッキーと私のコーヒーって」


「そうだな、すごい一生懸命作ったなぁ……好きな女の子に喜んでもらいたくて、頑張ったわ」


 大貴のクッキーを一つまみした手が止まった。


「え……」


「その子が、大きくなって大人になって、夢を叶えてるってすごいな」


 彼はくすっと笑った。

 私は照れくさくて、目を見開いた。顔が熱い。

幼い頃から引き続く恋が、深い眠りから覚めて、あわあわと大貴を見ている。


「そう言われれるとすっごいハズカシイ……」


「わかるー、俺も言っててもハズカシイ」


「じゃあ、なんで言うのよ」


「うーん」


 彼はコーヒーを飲んだ。


「アノ頃の片思いの続き、したくなったからかな」


 くそーと思った。

めちゃくちゃ、心が舞い上がっている。

だけど、大貴の言葉にすぐに乗るのも、何だかシャクで。


「バカ、待たせすぎよ」


 私は声を震わせてそっぽを向いた。

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恋の再出発は、珈琲の後で 雪月華月 @hujiiroame

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