師匠との出会い 3

 また噛みついてきそうな様子の子供を手で制し、仕方ないなと片眉を上げる。

「そんなに酒を理由にするのが気に食わないんなら、じゃああれだ、料理とかも教えてやるから色々やれ。その代わりに衣食住やらを提供する。それでいいだろ、面倒臭い。それとも他に生きる道が現状のお前にあるのか? 無いだろ? だからこれでこの話はお仕舞いだ」

 本当に心底から面倒臭いという顔で話を終わらせれば、子供は何とも言えない表情をして、はぁと小さく息を吐いた。そして俯き目を閉じて黙っていたかと思うと、暫くしてから顔を上げ、小さな声でぼそりと呟いた。

「グレイ」

「あん?」

「オレは、あまがや、グレイ。さっきのはきょうや。他にあとまだいる。アレクサンドラと、じん、……ちよう」

「…………あー、取り敢えずお前がまとめ役ってぇことで良いか?」

 こくりと子供が頷いた。言わないまでも、存外面倒臭い感じだな、と蘇芳は思った。最初に見たのと今見ているのと、それ以外にもまだ三人、合計で五人もこの体の中に人格が共存しているらしい。

 それから子供は、まだ警戒が抜けきらないまでも、これから世話になるのならと“天ヶ谷ちよう”という存在について語り出した。各人格の存在理由と、死にかけで道端に転がるまでの経緯。親の虐待は想像していても、まさか母親を殺してきたとまでは思っていなかった蘇芳はそのくだりで流石に驚いたが、大人しく最後まで聞いていた。

「いちおう、表に出てるべきなのはきょうやだから、あとでオレは引っこんできょうやにかわる。アレクサンドラが、オレが聞いたことをいいようにすりこんでるから、さっきみたいにはこわがらないはずだ。まったくこわがらないのはムリだろうけど」

 そう言いつつじとりとした目を向けてきたのは、“きょうや”とかいう最初の子供を蘇芳が脅したのを思い返したからか。とはいえ蘇芳はするべきことをしただけだと思っているので、どんな目を向けられたところで悪びれるつもりは欠片もなかった。

「しかし、そんだけ“きょうや”が精神的に危ないんだったら、これはさっさとお前に言っておいた方が都合が良いか」

 言って、蘇芳は自らの右手を差し向けた。向けられた手の甲を見て訝しそうにする子供の前で、その日に焼けた肌がぞろりと鱗に覆われ、五指の爪が長く伸びる。

「見ての通り、アタシは人間じゃあない。普段の見た目だけならヒトとそう大差ないが、まぁ所謂化け物ってぇ奴だな」

 つい数瞬前とは違って蛇のようになった目を細めて、蘇芳はひらひらと手を振った。

 蘇芳はヒトならざるものの中では割合ヒトに似た感覚を持っているものの、根本的にヒトでない以上どうしても人間とは齟齬が生じるところがある。一緒に暮らしていくことになるからには、前提としてそれを認識していないと不便だろう。どちらにせよ驚くだろうが、後々からヒトではないことを知られて変に怯えられる方が面倒だ。

 そう考えてまとめ役の方へと開示したのだが、子供は人外の手に目を丸くしたものの、そう間もなく落ち着いて頷いた。

「わかってる」

 す、と小さい指が蘇芳の頭を指差した。その指先の指し示す辺りに本来ならば何があるのか、思い至った蘇芳はぱちりと異形の目を瞬かせる。

「ツノ、見える。それに、アンタの周りに見えるの、ふつうの人といろいろちがう」

「……見えてるのか」

「こっちの目だと、他のには見えてないのが見えたりする。アンタだと、ツノがふたつぼんやりしてるし、首のあたりとか、手のとこもざらざらしたのが見えてる。周りのは、ふつうの人にもいろいろあるけど、アンタのはとくにちがうかんじがする。いろとか、カタチ? とか。みんなだいたいもっとふわふわしてるけど、はっきりしてるし、いろもつよいし」

 周りの、というのは、もしかすると魂とか気とかそういう類のものだろうか。まあ根本の存在が違うのだから、自身のそういった諸々が人間のものと違っていてもおかしくはない。

 やはりこの子供は、先祖のどこかに視ることに長けた人外が混ざっているのだろう。最初に子供が過剰に怯えた理由は、気づいたら見知らぬ女がそこにいた、というだけではなかったのかもしれない。

 便利な目だ、と蘇芳は感心した。だが同時に、これはただの人には過ぎたものなのだろうと察しがつく。群れで生きる動物は、群れの中の異物を好まないものだ。見た目がこれで、さらにヒトが持ち合わせない力を持っているとなれば、歓迎はされるまい。

「……そろそろ、きょうやにかわる。あんまりずっとオレが出てるの、よくないから」

「そうか。……ああいや、ちょっと待て。その前に、あー……」

 きょろきょろと辺りを見回して、丁度良いものが酒瓶を包む風呂敷しかない。少し悩んだが致し方なしと、蘇芳は風呂敷を解いて端の方を少し幅広に裂いた。細長い布切れになったそれを子供へ放り、自身の右目を指差す。

「それで隠しておけ。“アレクサンドラ”とやらが記憶の辻褄合わせても、実際に自分で認識するとまた違うかもしれないしな」

「わかった」

 素直に頷いた子供は、濃い緑の布で右目を隠し、頭の後ろで適当に結んで固定した。簡単にずり落ちてこないのを確認して、そのまま子供が目を閉じる。

 次に子供が目を開けた時には、完全に纏う空気が先ほどまでとは別のものになっていた。陰気の強い、隅に追い詰められた小動物のような、世界の全てが自分を脅かすのだと言わんばかりの目の色をした、卑屈そうな子供だ。

 相変わらず怯えた様子ではあるものの、逃げ出そうとはしない。なるほど、確かに『いいように』してあるらしい。

「取り敢えず今日はここで一晩過ごして、明日はアタシの拠点に帰る。お前の布団は今座ってるそれだから、寝たい時に好きに寝るといい。つっても明日は結構歩くことになるからな。ある程度は休んでおけよ」

 子供の首が微かに縦に振られたのを見て、蘇芳はようやっと落ち着いたと息を吐く。当座の面倒ごとは多分過ぎたはずだ。あとはまぁ、どうとでもなるだろう。

 改めて座卓前の座布団を陣取り、上等な酒に舌鼓を打つ。おまけ的に変な拾い物をしてしまったが、この酒が飲めたのだから許容範囲だ。

 そうやって蘇芳が酒に集中していると、いつの間にか子供は布団から離れ、部屋の隅で丸くなって眠っていた。畳の上で膝を抱えるように丸まって寝ている体勢は、大層窮屈そうに見える。そもそも外は雪が降っているような有様なのだから、肉もへったくれもない子供には寒いだろう。

 布団はそれを使えといったにも関わらず、なんだってわざわざ部屋の隅で寝ているのやら。これもあまりまともではなかったらしい生活環境のせいだろうか。

 蘇芳は立ち上がり、子供を抱き上げると布団の中に押し込んだ。その温かさに安心でもしたのか、強張った身体が少しだけ解ける。割と雑に扱った割に目を覚まさなかったあたり、よほど疲れていたのだろう。

 眠りに落ちてもなお他人を窺うような小さな寝息に、蘇芳が目を細める。

「まあ、取り敢えず今は、夢も見ずに寝な」

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