二章 5.家紋
「努。聞こえとるんな?」母親の声「ツトム!」
母親が階段下から努を呼んでいる。
努は庄原日記を開いて睨んでいた。
「青木さんが見えとるで」
母親が、階段を昇ってくると部屋の前で声を掛ける。
「ああ、はい。今、行きます」
青木さん?元町長か。
青木元町長だとすると、庄原日記の事だな。
玄関に行くと、青木元町長だった。
「ああ、すまんなあ。突然で」
青木元町長が、恐縮したように挨拶をした。
「いいえ。それより、先日はありがとうございました」お礼を云った。
「おお、それや。そのことやけど、あの庄原日記。すまんけど、返してもらいたいんや」
元町長は、更に、恐縮したように云った。
「はあ」何があったのか。
「実はなあ、米原が、なんでも郷土史料館に展示したいので、内容をもう一辺見たいと言うってな、以前、あれを借りに来とったんや。儂は出かけとってな。家内から聞いとったんやけど、忘れとったんや」
元町長は、言い訳をしている。
「そうですか」早く返していればよかった。
「それで先日、米原が来てのう。庄原日記の事。忘れて、誰やらに貸したやろが、ちゅうて文句、言いよるんや」
言い訳は、更に続く。
「何のことやろと考えても分からん。そしたら家内が横から、前に言いました。って言うんや」
元町長は、奥さんの呆れ顔を真似たのだろうか、顎をしゃくって云った。
「儂も、あっ!と思うた。そう言うたら、そんな事を聞いたなあと思い出した」
一旦、説明は終わったようだ。
「しかし、米原も、あれから何べんも会うとるのに、そん時言うてくれたらええのにのお」
青木元町長は、同意を求めるように云った。
米原さんなのか奥さんなのか、それとも自分なのか、誰に腹を立てているのか分からなかった。
「それとなぁ」
元町長は、気不味ずそうに云った。
「その庄原日記には揚羽蝶の事は書かれとらんそうや。指輪の事は、米原が持っとる庄原日記やそうや」
努は、残念だった。
「実は、無断で申し訳なかったんですが、全部、写真に撮らせもらったんです」無駄骨だった。
「ほう、そうか。それは、かまへんけど、ちゃんと見えとるんか?」
青木元町長は、さほど気にしている様子もなくそう云った。
「はい。何枚かは、光の加減やと思うんですけど白く反射して、写ってなかったんで、撮り直しました。それで全部撮りました」
努は、無駄になった写真を青木元町長に見せた。
「米原には、言うとくきん、また見せてもろたらええわ」
青木元町長は、努の渡した庄原日記の写真を手にとって話した。
「けど、写真に撮るとは、思い付かなんだ。写真に撮っとくっちゅう手があるんやのう」
元町長は、感心したようだった。
「また、何時でも言うてくれよ。米原に言うとくきん」
青木元町長は、撮り直した写真と元の写真の二枚を持って見比べていた。
「はい。ありがとうございます。宜しくお願いします」礼を云う以外に無かった。
「最近、よく揚羽蝶の家紋が話題になるんや」
他にも誰か揚羽蝶の何かを探っている人が居るのか。
「坂口が、知っとるか?前に会わんかったかな。坂口建設の社長や」記憶違いだろうと思った。
「いいえ」否定してから、青木邸で、努の前に元町長と面会していた、五十年配の男だろうか。
「どういう事でしょうか」誰か、揚羽蝶の指輪を探しているのだろうか。
「それがのう」
青木元町長が話してくれた。
坂口社長が話しのついでに云ったそうだ。
東京の記者の遺体を発見したのが坂口社長だ。
寺井海運のモーターボートを借りて釣りからの帰りに遺体を発見した。
その後、モーターボートを借りていたのが古沢という町会議員だった。
「町議の古沢、しっとるやろ」
吉井と一緒に帰る途中で会った人だ。
古沢町議がモーターボートを借りて釣りからの帰りに座席のボックスを覗くと写真があったそうだ。
写真には、揚羽蝶の指輪が写っていたそうだ。
坂口社長は揚羽蝶の指輪を持った少女の写真が、モーターボートの座席ボックスに入っていなかったかと古沢町議から聞かれたそうだ。
元町長は考えるように云うと、また二枚の写真を見比べている。
揚羽蝶の指輪を調べるには米原さんを訪ねるしか無いようだ。
「寺井海運か。そう言うたら、寺井海運の所は、昔の看板に揚羽蝶の紋を使うとったなあ」
青木元町長が、何かを思い出したようだった。
「確か、満春さんの時は、揚羽蝶やった。写真で思い出したんやけど、寺井海運に古い看板の写真が飾ってあった」
寺井海運の看板には揚羽蝶の紋が描かれていたのか。
今は社名だけの看板になっている。
揚羽蝶の指輪を持った少女は、弥生さんかもしれない。
努は、こっちも苦手やなぁと思った。
授業参観に綺麗な和服姿で来ていた寺井海運の社長を思い出した。
娘の弥生さんとは、小学校の同級生だった。
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