一章 2.記者

岡島は、今畠衆議院議員の選挙事務所を覗いた。


列車の発着時間が乱れて、後輩の須賀と約束していた待ち合わせ時間を過ぎてしまった。

遅れたついでに立ち寄っただけだった。

何かあれば、くらいのつもりで立ち寄っただけだった。

駅は、商店街を抜けるとすぐだ。

駅へ歩いて戻った。

駅に着くと、ちょうど、汽車がホームに入って来た。

下りの汽車だ。

慌てて改札口に向かった。

乗降客は多い。

案内板を見ると、やはり、今ホームに到着した汽車だ。

乗り込む前、駅員に尋ねると、この汽車で、すぐ次の駅だと云うことだ。

乗車すると満席だった。

学生の下校時間と重なったためではなく、発着時間が乱れためだ。

車両の出入口の手摺に掴まって外を見た。

雪が降っている。

汽車が動き出して、五分くらいで停車した。

車掌が降りて、ホームの出口付近に立った。

岡島が車両を降りると呼び止められた。

「ここと違うで。次の駅や。ここは、しおいりや」

ホームの駅名標を見るとると、塩入になっている。

慌てて車両に戻った。

車掌が、下車したお客さんの乗車券を確認して車両に乗り込むと、すぐに汽車は発車した。

岡島の方を見ている人は居ない。

ほとんどが学生だ。声を掛けてくれた人が誰かは分からなかった。

汽車は動き出したが、また十分もしないうちに停車する。

駅名標を見ると、今度は百々津になっている。

駅舎から外を見ると粉雪が舞っている。


駅前の広場を隔てた向かいに旅館の看板が見える。

旅館の軒先まで走った。

何人か旅館の軒先で立っている。

軒を伝って角を曲がり、駅前の通りに出ると旅館のすぐ隣にタクシー会社があった。

タクシーに乗り込み、手帳を捲って「みなんばら」と住所を伝えた。

漢字では、南原と書くのだが読み方はミナンバラだ。

運転手は、「はい」と返事をすると、アクセルペダルを強く踏み込み過ぎたのかエンジン音が高く響いた。

タクシーは、駅前広場から路地に入り、川沿いの道へ出た。

川沿いの道を一人の男が歩いている。

「運転手さん。ちょっと止めてください」岡島と同じ車両に乗り合わせた男を見つけた。

川沿いでタクシーを止めると、岡島は車の後ろへ歩いていった。


「こんにちは。私、光耀社で記者をしている岡島といいます」

岡島は名刺を差し出して名乗った。

「ああ。はい。私は米田と言います。それで、何でしょう?」男が応えた。

ああ、この声だ。

「汽車で、駅を間違えて降りようとしていた時に、声を掛けてくださった方ですよね?」岡島は確認した。

「そうです。白亀で、駅員さんに聞いていたのが、聞こえましたから」

米田は標準語で喋ろうとしている。

「ああ。やはりそうでしたか。本当にありがとうございました」車両に居たのは学生ばかりだった。思ったとおりだ。

「いいえ」

米田は会釈をして歩き出した。

「ああ。ちょっと待ってください」岡島は米田を呼び止めた。

「はい」

米田は振り返った。

「どちらまでお帰りですか?」岡島はお礼のつもりだった。

「南原です」

案外、南原は近いのかもしれない。

「それでは、真鍋さんのお宅をご存知ですか」田舎だから

「ああ。知ってます」

「何でしたら、一緒に乗りませんか」岡島は南原と聞いて米田をタクシーに誘った。

「ああ。いや、もう、すぐそこですから」

「そうですか。ありがとうございました」

「いいえ」岡島はタクシーに戻った。

「あの人は、この町ては、ちょっと有名な人なんです」

無口だった筈の運転手が喋り始めた。

「ほう。そうですか」

「私も米田というんですが、あの人は、建築家の米田さんなんです」

タクシーは、桃川から蔦川の土手添いに走っている。

桃川を遡ると庄原の龍吐池から流れている。

「こっちの川が蔦川です」

運転手は、まだ喋っている。

蔦川は、霧嶽山から庄原を流れて南原で桃川と合流する。

「もう直き、着きますよ」

運転手が岡島に声を掛けた。

農家の前でタクシーは停まった。

そこが真鍋邸だ。


辺りは田圃しかない。

岡島はタクシーを待たせて、真鍋邸を訪ねた。

高齢の婦人が出てきた。

婦人は西村と名乗った。

矢竹さんは居なかった。

間に合わなかった。

西村婦人は矢竹という名を知らなかった。

婦人と同年配の老人が、心配したような顔をして出てきた。

婦人のご主人だった。


近くに電話が無い。

一旦、駅に戻ることにした。

タクシーに乗り込む時、真鍋邸の隣の家の庭で男が何か作業をしているのが見えた。

「あっ、運転手さん、ちょっと待ってください。すぐ戻ります」岡島は、隣の農家へ向かった。

隣といっても田圃を二枚挟んでいる。

門を通ると、男が庭に広げた農機具を納屋へ片付けていた。

「ごめんください」声を掛けると男は振り返った。

「あのう。私、光耀社の記者をしている岡島といいます」

「ああ、はい。なんでしょうか?」

男は少し緊張したようだ。

「真鍋さんのお宅に矢竹さんがいらっしゃると思うのですが、ご存知ありませんか?」

老夫婦が嘘を吐いているとは思わなかった。

「いや。知らんのう」男は訝しそうに答えた。

「真鍋さんのお祖母さんに、今、お尋ねしたところ、ちょっと出かけたということでしたのですが、ご主人がお見掛けになられなかったかと思いまして」岡島はちょっと探りを入れた。

「そうかいな。誰か来とるんかいな。それは知らなんだなあ。西村さんしか見えんけどな。今朝も会うたけど誰か来とるとは、言いよらんかったけどのう」

「そうですか。ありがとうございました」岡島がメモ見ながらタクシーに戻ろうと思った時、男が教えてくれた。

「その人は、何かしたんか?」

男が尋ねた。

「いえ。ちょっとお聞きしたいことがあったので」岡島は言葉を濁して云った。

「そうかな。それやったら、お手伝いさんに聞いたらどうやろなあ。今日は米原さんとこのお手伝いさん。居らんかったんかな。米原さんとこから、お手伝いさんが来とるんや。もし何か知りたい事があるんやったら米原さんに聞いたらええわ」

話し相手を引き止めたかっただけなのかもしれない。

「お手伝いしん?米原さんってどなたですか?」岡島はメモを取りながら尋ねた。


南原から庄原へ向かった方が早いという事だった。

予定も聞かず訪問する訳にもいかない。

駅に戻った。


駅前の旅館に宿泊することにした。

旅館の主人に庄原の米原久市さんの住所を尋ねた。

庄原の米原と聞いて、すぐ米原久市という事が分かったようだ。

「ああ、米原さんか。米原さんは、ええひとや。前にもお遍路さんが、親切にしてもろたちゅうて言うてお礼言うとったわ」

旅館の主人は米原氏の人柄を喋り出した。


岡島は旅館から電話で、米原久市に訪問したい旨を申し入れると、内容も聞かずに、すぐ受けてくれた。

タクシーで米原久市宅へ向かった。

運転手に住所を伝えなくても、名前を聞いただけですくに車を走らせた。


午後五時過ぎ、米原氏に挨拶を済ませると、すぐ本題に入った。

「あのう、矢竹さんをご存知ですか?」岡島は尋ねた。

「いや。知らんのぅ」

本当に知らないようだ。

「それでは、南原の真鍋さんのお宅に誰かお住まいされていませんか」

「今は、西村さんが住んどるけどな」

「その、西村さん以外に、離れか、どこかに、誰かお住まいではないでしょうか」

「住んどらんのやけどのう、青木が真鍋ん家の離れが空いとらんかっちゅうて言いよったんやけど、手伝いの者が、時々泊まっとるきん無理やと言うたんや」

青木氏に繋がった。

真鍋邸には西村夫婦が住んでいる。


青木という人が真鍋邸の離れを誰かの住居に充てようとしている。

しかし、離れは、お手伝いさんが寝泊まりする事があるので使用できない。

という事だ。

「青木さんという方は、どういうお方ですか」

見合い写真の届け先だ。

「青木か。青木は友達や。前に町長しよった」

やはり当りだ。

「お名前は。それから、お住まいはどちらでしょうか」

「青木善造や。家は、北堀や」

青木善造、北堀と手帳にメモをとった。

「お会いしたいのですが、ご紹介いただけないでしょうか」

「ああ、良えで。ちょっと待ちなよ。電話してみるわな」

米原さんは、すぐに連絡を取ってくれた。

明日の午前八時に訪問する約束ができた。

「今晩、どちらにお泊まりかな」

駅前の旅館を答えると丁寧に青木邸までの道順を描いてくれた。

「ありがとうございます。それと、ついでに、ちょっと、この写真を見ていただけますか?」

写真を手渡すと、遠くへかざすように見た。

「その少女。ご存知ありませんか」

「さあ。分からんのぅ。どうかしたんか」

とぼけている様子は無い。

「いえ。ちょっと。その女の子の写真が紛れ込んでいたそうで、お返ししたいと頼まれたもねですから」

岡島は米原邸を辞して旅館へ戻った。

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