第6話 春、泡沫の夢

ピピピピ ピピピピ


意識の遥か遠くのほうで鳴る目覚ましの音で、深い眠りから意識が少しずつ掬い上げられる。


朝、か。


なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。

泣きたくなるような、夢だった。

だけど、どんな内容だったか、まったく思い出すことができない。

まぁ夢なんてそんなものだろうと、記憶を漁ることをすぐに諦め、俺は漸く重い体を起こした。


階段を下り、リビングに入ると、朝食の匂いが鼻についた。

「おはよう、拓磨。」

「おはよう、父さん。」

ソファーに座り、新聞を読んでいた父さんが俺に気がついたのか、新聞に落としていた顔を上げ、目元を柔らげ俺に挨拶をしてきたので、俺もそれに返事を返してから洗面所で顔を洗い、まだ半分寝惚け眼な目を覚醒させた。

リビングに戻ると、テーブルに朝食が並んでいた。

「あら、おはよう、拓磨君。」

「おはよう、義母さん。」

そう義母さんに返し、席に着いた俺は朝食を食べ始めた。

「いただきます。」



俺の実の母は、俺が中学に入って間もない頃に、交通事故にあい死んだ。

居眠り運転のトラックが、信号待ちをしていた母のところへ突っ込み、母はそれに巻き込まれて亡くなった。

母は逃げることも出来なかったのだそうだ。

この話がどこか他人事のように聞こえるのは、俺がその時期から記憶がどこか曖昧なせいである。

確かに実の母の記憶はある。この人が母だと頭でもわかっている。中学に上がるまでは一緒に生活していたのだから。

だが、なぜか所々でしか母の記憶はないのだ。まるで虫にでも喰われたかのような記憶しか。それも、記憶が曖昧になった時期の前後はまったくと言っていいほどない。

だから実際、母がどのように亡くなったのかは、父からの話でしか知らないために実感がないのだ。


父は俺が中三の秋に再婚した。

母がいなくなってからまだ日も浅いのにと思いもしたが、母がいなくなってから塞ぎこみ、憔悴していく父を、俺が一番近くで見ていたのも事実で、義母さんを紹介された時、俺は久しぶりに父の幸せそうな顔を見て、あぁ、父さんが幸せなら、まぁいいかと、そう思ったのだ。


義母さんとの生活は、まぁ当たり前だが、初めの頃はなかなか上手くいかなかった。

俺はもうすぐ高校生になるという時期だったので、余計に気を遣わせたりしてぎこちない感じになったり、逆に俺が慣れなくて避けたりなんてこともあったが、今はだいぶお互いに慣れてきた。

「拓磨君、これお弁当。今日は拓磨君の好きな春巻き、入れたの。」

「お、やった。義母さんの春巻きめっちゃ上手いんだよな!おかげで今日は一日頑張れるな。」

「うふふ、ありがとう。もう時間かしら、気をつけていってらっしゃい。」

「いってらっしゃい、拓磨。」

「おー、じゃあ行ってきます!」



家を出て、よく晴れた青空の下、いつもの通学路を歩く。

公園を横切り、保育園の横を通る際に、いつも手を振ってくる子供たちに手を振り返し、武田さん家の犬と少しじゃれあう。

工場を右に曲がると、いつものように大通りの交差点付近にある花壇の横のベンチに腰かける篠田と合流した。

「おーす、瀬名!今日は五分遅かったなー!」

「おー、はよ、篠田。別に五分位いいだろうが。」

「いやいや、五分は結構じゃない?」

なんていつもの下らない会話をしながら、青に変わった信号を渡るために足を動かした。




記憶の隅で『キミ』が誰かを呼んでいる_。

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