しんしんと降り続ける1/2の感情

尾岡れき@猫部

しんしんと降り続ける1/2の感情


 雪がちらつく。ただそれだけで、あの日のことを鮮明クリアに思い出す。

 私のなかの溶けることのない感情は、今もしんしんと降り続いていた。





■■■





 もうダメ、と私は思った。

 雪は容赦なく降り積もる。体の感覚がなくなっていくのが分かった。


 何とか脱いで突き立てたスキー板を見ながら呆然と思う。

 小学校5年生のスキー合宿――私にとって人生初のスキーだった。だから私自身も調子に乗っていたんだと思う。滑り方が分かって。止まり方を知って。こんなに滑るのが楽しいと思わなかったから。


 滑っていて、バランスを崩す。

 そのまま斜面を体が滑っていく。


陽菜ひな!」


 友達の声が響く。

 気付いたらこの場所に倒れていた。


 瞳を開ければ、木々が鬱蒼としげっていた。立ちあがろう思ったら、体中がいた――いなんてレベルじゃなかった。特に足を動かそうとした瞬間に、肺を押しつぶすような激痛が走る。


(これ、もしかして骨が折れてる?)


 妙に冷静にそう思う。喉がヒリヒリ枯れて声が出ない。どうする? でも、どうしようもない。だけど何とかしなきゃ、そんな思考も雪に覆われ消えかけていた。

 と、立ち並ぶ木の間を縫うように、何かが滑走してくるのが見えた。


(へ?)


 先生が私に気付いてくれたんだろうか?


「陽菜ちゃん!」


 でもその声は予想外で。

 スキーストックを彼は地面に突き刺す。


 先週、転校してきた――稲葉柑太いなばかんた君だった。




■■■




 私は柑太君に使い捨てカイロを握らされていた。その暖かさでじょじょに思考がハッキリと――そして痛みを感じる。


 稲葉君は先週、東北から引っ越してきた転校生だった。別にそこまで気にならなかったけれど、訛りのあるイントネーションがクラスメートにはウケたらしい。ついたあだ名が、イナカン――稲葉柑太君と田舎者をかけた、どうこのセンス――と発案者の町田崑夜まちだこんや君は得意そうに私に同意を求めてきた。


「こいつチビだしピッタリだろ、春日部さん?」


 彼もみんなも笑うけれど、私はその笑顔に同調できなかった。

 だから私は稲葉君って呼ぶ。

 でも稲葉君は持ち前の明るさで言ってのけたのだ。


「じゃぁ町田崑夜君だから――町コンね」


 彼の提案に思わず私は女子らしからぬ「ぶほっ」と音をたて噴き出してしまった。クラスのリーダー格、人気者の町田君が、町の婚活に参加しているあり得ない未来を想像してしまった。


「ちょ、そのダサいネーミングやめろ!」

「矢野君だから、ヤカンね」

「矢しか関連性ないじゃん。ヘソでお湯がわくわ!」

「小野田君はオカンね」

「母ちゃんちゃうで!」

「天野君はアカン」

「ネタギレだろ。扱い雑すぎ、そんなのアカン!」


 もうメチャクチャだった。あと天野君、それは面白くない。


「だったら……【雪女】に新しいあだ名つけてみろよ」


 町田君がニヤニヤして指さすのは下河さん。普段は物静かだけど、怒らせると怖い子だ。空手教室に通っているので喧嘩早い男子も逆らうことができない。下河さんは、そんなクラスのお姉さんだった。


「あぁ、下河さんね。雪女って言われてるの? ちょっとイメージと違うかな。どちらかと言うと【雪ん子】ちゃんじゃない?」


 あ、普段表情の変化をあまり見せない下河さんが、照れている? これは新鮮でなかなか良き。


「じゃあ、春日部さんは?」


 と町田君は私を指差して言う。彼はなんて言うんだろう。ついドキドキしてしまった。


「ごめん、ネタ切れ」


 そう言う彼にガッカリする。いや、むしろ私は何を期待して――。


「だから陽菜ちゃんって呼んでもいい?」


 ニッと笑ってそう言う。


「な、馴れ馴れしいわ!」

「なに? 町コンって陽菜ちゃんのことが好きなの?」

「う、う、うるさ、うるさい、うっせーわ!」


 プルプル震えながら町田君が怒鳴るけれど、その声は私に届かない。

 初めて、名前で呼ばれた。

 あまりの嬉しさに、自然と唇が綻んでしまう。


 身長が男子よりも高い私は、誰にも彼にも遠慮をされ、いつも「春日部さん」と呼ばれていた。こんなにラフに接してくれたのは、稲葉君が初めてだったのだ。





 その稲葉君がリュックから取り出したのは、折りたたみ式のスコップだった。私が目を点にしているのを尻目に、雪を掘り起こしては山を作る。山を固めて。それから、中を繰り抜いて。何がと聞くまでもなく【かまくら】が完成した。


「稲葉君?」


 私の疑問の声を聞いて、なお楽しそうに笑んでいた。次に取り出すしたのは、小型の七輪――?

 ちょっと、稲葉君? スキー合宿に何を持ってきているわけ?


「本当は、町コンと企んでいたんだけどね。ま、結果オーライかな?」


 今度はリュックから、お肉を取り出し――って、お肉?


「さっきホテルの売店で買ったやつだから新鮮だからね。そこは心配ご無用で」


 稲葉君はニッと笑む。

 いや、そういうことを言いたいんじゃなくて!

 でもお構いなしに、彼はお肉を焼き始めた。

 と、稲葉君が私を見た。


「こっち来れる?」





■■■





 結論から言うと、痛くて立ち上がれない私は稲葉君にお姫様抱っこをされカマクラの中へ移動したのだ。半分パニックになりながら、でもやっぱり稲葉君は男の子なんだな、って思った。


 誰がこんな絵を想像できただろうか。だって春日部陽菜だ。陽菜なんて名前が似合わないほど、男子顔負けの運動神経を持ち合わせていた。みんな、私のことを「春日部さん」と呼び、敬意を評してくれていた。でも、その距離が遠い。いつもそう思っていた。


「陽菜ちゃん、食べ頃だよ」


 と稲葉君は箸を差し出す。いわゆる「あ〜ん」というヤツだ。これも仕方がない。右手も動かそうとしたら、激痛が走るのだ。


「美味しい……暖かい」


 思わず、声が漏れた。


「カマクラって暖かいよね」


 ニッコリ稲葉君は笑うけど、そういうことじゃない。稲葉君の距離の近さ、それが暖かいんだ。


「どうして来てくれたの……?」


 本当に言いたい言葉は「ありがとうの」なのに。

 案の定、稲葉君が首を捻る。


「さすがに初心者が上級者コースに行くのは、ちょっと心配で。いらないお世話だったのかもしれないけど――」


 雪国出身の彼はスキーもお手のものだったらしい。


「そういうことじゃなくて! 稲葉君まで危険な目にあう必要なんかなくて――」


 私の言葉に稲葉君は目を細める。でも唇からは笑みが溢れる。


「陽菜ちゃんはさ、俺のことを『イナカン』って呼ばなかったんだよね。それが地味に嬉しかったの」


 彼の微笑が目に焼き付いて離れない。

 その30分後、私たちは問題なく見つけてもらうことができた。稲葉君が、登山用スマートウォッチから、先生のスマートフォンに位置情報を送信してくれたのだ。




 スキー合宿で勝手な行動を起こした私たちよりも、七輪で焼き肉をした稲葉君を先生が怒るのが、私は納得できなかった。





■■■





 時間は過ぎ去る。

 私たちは成長していく。


 雪が降って。溶けて。

 色々なことが変わっていく、


 誰も稲葉君のことを「イナカン」と呼ばなくなった。

 でも――。

 未だに、私は君に「ありがとう」が言えない。


 変化はあった。男の子たちが私の身長を越えていく。あのチビだった柑太君も。

 みんな男子と女子を意識するようになった。私の運動神経もみんなが成長していくなかで、取り立てて珍しくなくなった。


 だって好きで一生懸命取り組んで、努力を重ねた人が、当然強くなる。

 一方の私は、あの時のカマクラの中に、大切なモノを忘れてきてしまったらしい。


 中学三年生になった。

 12月31日――。

 もう一年が終わると言うのに。受験も間近だと言うのに。


 私は公園で、スコップを持っていた。

 近年まれにみる、大雪警報が発令。とは言え、あのスキー教室の時のような雪はなく。私は周囲の雪を無理やりかき集めて、カマクラを作った。

 不恰好で、少し泥にまみれたカマクラ。やっぱり柑太君のようにはいかな――い?


「カマクラじゃん!」


 興奮する声に思わず、私は振り返った。背が伸びた。変声期で声がより男らしくなった柑太君がソコにいた。


「あ、あ、あ――」


 言葉にならない。


「久しぶり」


 ニッと柑太君が笑う。中学生になって、クラスは別々になった。スキー合宿当時のクラスメートも、それぞれみんなバラバラで。クラスも違えば、別の学校に進学した子もいる。いつの頃からか、柑太君を遠くから眺めるだけで満足している自分がいた。


「陽菜ちゃん」


 柑太君が私の名前を呼ぶ。

 なぜか、今になってあの頃のクラスメートの喧騒が再生された。


 【雪女】改め、柑太君から【雪ん子】と柑太君に命名された下河さん達の声がやけに耳に残る。


 ――親しみをこめてあだ名で呼ばれるのもいいけど、名前だともっと近くに感じるよね。

 ――確かに、友達と仲良くることに理由なんかいらないもんね。


 それ以外の言葉はまた喧騒に飲み込まれていく。そして雪の冷たさが私を現実に引き戻した。


「あ、俺、またあの時のように七輪持ってこようか? ちょっと待ってて――」


 思いつくや否や、駆けていきそうな柑太君の手を私は引っ張った。

 小さくて狭いカマクラの中に強引に引き込んで。


「陽菜ちゃん?」

「……稲葉君」


 大きく作ったはずなのに、二人で入るとこんなにも窮屈で。

 スキー合宿の時のカマクラをイメージし過ぎたのかもしれない。それだけ二人はもう成長していた。


 あの時のように、手も足も痛くない。

 骨折もしていない。だから言い訳もできない。


 胸が痛いほど、鼓動を打つ。


 どうして、こんなに柑太君のことを考えてしまうんだろう。

 思い出を美化しているだけじゃないか、そう思った時もあった。


 でも――美しい思い出に背中を押してもらった方が良い。

 友達と仲良くなることに理由なんかいらないもんね。そう言ったのは黄島さんだった気がする。


 それなら。だったら――。


 私の胸裏に雪のように降り積り続ける感情。このキモチにだって、もう理由付けはいらないのかもしれない。


 カマクラのなか、こんなにも距離が近い。

 この手は冷たくて、悴んでいるのに。柑太君の手を強引に握って、引き寄せた途端に。血が巡って。カマクラを溶かしてしまいそうなほどに熱い。


君」


 私は彼の名前を読んだ。

 一瞬、彼は呆けた顔をして。それから笑顔を咲かせる。


「うん」


 そうニッコリ頷いて。なんだ、と脱力をする。どうしたら柑太君との距離を近付けることができるんだろう。そんなことばかり考えていた。拒否されたらどうしよう、拒絶されたらどうしようって。浮かんでくる思いはそんなことばかりで。


 それが今、こんなにも距離が近い。受け入れてもらったのはその笑顔を見れば分かる。


 カマクラの外では粉雪がちらつく。

 同じように、しんしんと感情が降り続ける。だから、私は勇気を振り絞る。もう理由なんか考えている余裕もなかった。

 あのね、柑太君――そう私が彼の名前を呼ぶより早く


「あのね陽菜ちゃん――」


 彼の言葉が私に届く。粉雪はしんしんと降り続ける。

 しんしんと私の感情は降り続ける。


 でも、しんしんと感情が降り続けていたのは、私だけじゃなかった。

 近い距離も、近い言葉も。近すぎる感情も。


 知らなかった。カマクラのなかが、こんなに暖かかっただなんて。

 知っていた。カマクラのなか――柑太君の隣なら、何よりどんな時より暖かい、ってことを。

 知らなかった。しんしんと降りしきるこの感情。この感情は私だけじゃなかったことを。降り積もる感情は決して溶けない。溶けてくれない。


 知ってしまった。

 1/2ハンブンコ感情キモチが、重なってしまったから。





■■■





 だから私――理由なら、もう探さない。

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