異変⑥
「レナ、待て!」と、カルナの抑揚の無い、しかしそれでいて大きな声が、レナの足を止める。
「ど、どうしたの?」驚いて、レナはすぐ様、足を止めカルナに問い掛ける。
「人の泣き声がする」
「え!?」
レナには信じられなかった。あれだけの全力疾走の中で。しかも、相変わらずのカラスの鳴き声の中で、そんな音が聞こえるなんて!そして、何より噴水の所にいた女性の他に生存者がいるなんて!
「何かの聞き違いじゃないの?」レナはどうしても信じられない。
「こっちだ」
レナの質問には答えず、カルナはレナが通り過ぎようとした、小さな路地へと、入っていく。レナも仕方なく黙ってカルナに付いて行く。
その小さな路地には、赤髪の男に追われ大勢の人間が逃げ込んだのだろうか?足の踏み場も無いくらいバラバラになった人の肉と、血が撒き散らされている。流石に、この光景にレナは又、吐きそうになる。
しかし、そんなレナを尻目に、カルナはどんどん先に進んでいく。レナは必死に口を抑え、小走りになりカルナの後を追う。しばらく進むと、路地の先に少し開けた場所が見える。そして、そこにたどり着いた瞬間、カルナが足を止める。レナは何があったのか確認しようと、カルナの横まで足を進める。
そこを見て、レナは我が目を疑った。そこは、周りを建物に囲まれた、袋小路になっていた。陽の光が殆ど遮られ薄暗いが、はっきりとそこには、一体の死体も無く、一滴の血にも染まっていないのが分かる。そして、一番信じられないのは、そのほぼ中心に、うっすらと光るドーム状の結界の中で女の子が泣いている事だ。
「し・・・信じられない!本当に生存者が・・・。しかも、この場所だけ何も無かったようだわ」レナは思わず頭の中に浮かんだ事をそのまま口にしてしまった。
「行かないのか?」そう言って、カルナは立ち尽くすレナをおいて生存者の下へ歩き出す。
「そ、そうね。まずは生存者の保護よね・・・」
レナは独り言のようにそう零し、カルナを追い抜き生存者の下へ歩み寄る。
すると、それに気付いた女の子は驚き、後ろに飛び退き、結界に背中をぶつけてしまった。そして、涙と鼻水を垂れ流しながら、覗き込む様にレナに視線を送ってくる。
それを見たレナが、女の子に話し掛けようとすると、今度はレナに向かって泣きじゃくりながら走り寄って来る。結界に手を付き、訴える様な目を浮かべ、必死にレナに向かって何か言おうとしている。しかし、嗚咽がひどくて何を言っているのか分からない。
レナは取り敢えず、呪文を唱えて結界を外す。すると、結界に手を付いていた女の子が倒れ込むようにレナに寄り掛かる。少し驚いた仕草を見せるが、すぐにレナの目を真直ぐ見つめ、相変わらず嗚咽交じりに何かを訴えてくる。
その姿を見て、レナは女の子をグッと胸に抱きしめ、耳元で優しく話し掛ける。
「もう大丈夫だから・・・もう怖いものは何も無いから・・・大丈夫よ」
そして、女の子を抱きしめながら、ゆっくりと何度も何度も、頭を撫でる。すると、女の子は徐々に落ち着きを取り戻していく。
女の子が落ち着きを取り戻したのを見計らって、レナはそっと女の子を引き離し、両肩に手を添えて、今度は目を見つめながら、もう一度「もう、大丈夫だからね」と言って微笑んだ。
そのレナの顔を見て、女の子は今度は安堵の涙を流す。そして、それを自分の袖を使って何度も拭い去る。女の子の顔は赤髪の男に目潰しの為にかけられた血で、真っ赤に染まっている。ただ、涙の通り道となった所だけは、綺麗な肌色をしている。それを見たレナはカルナに話し掛ける。
「カルナ、いいかしら?」
「ああ」
レナの声にそれだけ返し、カルナは来た道へと去っていく。それを確認して、レナはまた、女の子に話し掛ける。
「私はレナ=クリスティン、さっき横にいたのはカルナ=エイモンド。あなたの名前は?」
「ア、 アリス」
「そう、アリスって言うの。いい名前ね」
そう言いながら、レナはさっき噴水の所にいた女性の事を思い出してしまう。あの女性にも動揺せずに話す事が出来ていれば、あるいは心を開いて一緒に付いて来てくれていたかもしれない。そう思い、胸が締め付けられてしまう。その気持ちを押し殺し、一呼吸付いてから、再びアリスに話し掛ける。
「あのね、アリス、私たちは赤い髪の男を追っているの・・・」
そのレナのセリフを聞いてアリスが再び取り乱す。
「おっ・・・お姉ちゃんが、お姉ちゃんを・・・た、助けて!殺されちゃう」
そう言ってレナにしがみ付き、また泣き出した。
「大丈夫よ!きっとお姉ちゃんは大丈夫だから・・・ねっ!落ち着いて、アリス」
そう口にしながらも、レナの頭の中では“この町に居たのでは恐らく殺されてしまっているだろう”と思ってしまっている。実際、今までの町では生存者は一人しかいなかった。唯、今回だけが特別だったのだ。生存者が二人もいたという事、それ事態ありえない奇跡だったのだ。それでもレナは“大丈夫”という言葉しか出てこなかった。
「お姉ちゃんは、きっと何処かに無事でいるはず。きっと大丈夫よ・・・」
そのレナの言葉に、アリスが予想外の返事を返してきた。
「違うの、お姉ちゃんはグランドマインにいるの!」
「え!?」レナは驚いて聞き返す。
「お姉ちゃんは、結婚してグランドマインに居るの。だから、生きてるの。・・でもあの男の人、次はグランドマインだって・・・」
レナは、アリスの言葉に一瞬動揺して言葉が出ない。そんなレナにしがみ付き、泣きながらアリスは喋りだす。
「お・・・お父さんも、お母さんも殺されて、友達も皆殺されて・・・お、お姉ちゃんまで殺されたら、わ、私本当に一人になっちゃうよ」
その言葉を聞いて、レナはアリスを強く抱きしめる。そして心の中で“この子も私と一緒だ。両親や友達の死を目の当たりにしている。この子にとって、唯一の希望が、姉が生きているという事なのだ。何としても、この子だけには、あの全てを失う絶望を与えたくない。絶対にグランドマインに着くまでに追いついてみせる!”そう、意を決する。
「大丈夫よアリス。お姉ちゃんは絶対に殺させない!私たちが必ずあの男を止めて見せるわ!」
「ほ、本当に?」アリスは眼球が零れそうなくらい、目を見開きレナを見つめる。
それに対し、レナも真直ぐアリスの目を見つめ返し、微笑みながら答える。
「ええ、大丈夫、約束よ」そう言って、レナは片目を閉じた。
この言葉を聞いて、アリスは少し笑みを零す。そして、レナに何か言おうとした時、 「レナ」と突然、男性の声がする。
それに驚き、アリスがレナにしがみ付く。
「大丈夫よアリス。彼は味方よ。私と一緒に赤髪の男を追ってくれているの」
レナにそう言われて、アリスはレナの体に身を隠しながらゆっくりとカルナの顔を覗き見る。そんなアリスの様子に、お構いなしにカルナはゆっくりと二人に近づく。あわてて、アリスはレナに更に強くしがみ付く。
「フフッ!大丈夫だってば、良く見てごらん。怖い顔なんてしてないでしょ?」
「う・・・うん。綺麗な顔・・・」
「フフフッ。でしょ?だからもう怖がらなくて良いのよ」レナはそう言って、アリスの頭を優しく撫でる。
「うん」アリスは少しびくびくしながらも、レナからゆっくりと手を離す。
それを確認して、レナはカルナに話し掛ける。
「ありがとうカルナ」
「ああ」
カルナの手には、何処かの家で手に入れてきたのであろう、水の張った桶とタオルが二枚握られていた。カルナは桶をゆっくりと地面に置き、二枚のタオルをレナに手渡す。
「な、何をするの?」
アリスが不思議そうに聞いてきた。
レナはタオルの一枚を水に浸けながら答える。
「アリスの顔が汚れちゃってるから、キレイにして上げようかと思って」
「えっ?」アリスは少し驚いて、自分の手で確認するように顔を撫でる。
「さぁ、じっと、しててね」そう言ってレナは、ゆっくりと丁寧にアリスの顔を拭き上げる。「ほら、キレイになったわ。汚れていたら可愛い顔が台無しだからね」
そしてレナは、もう一つの乾いたタオルで、アリスの顔についた水滴を拭き取る。
「あ、ありがとう」アリスが少し恥ずかしそうにお礼を言う。
「ううん。いいのよ。・・・あっ」レナが、少しわざとらしく驚く。
「え?何?まだ、顔に何か付いてるの?」アリスがレナの一言に不安を感じ聞き返す。
「ごめんなさい、驚かしちゃったわね。ちょっと、目が腫れてるから気になって」
「ほ、本当?多分すっと泣いてたから・・・」
「うん、でも一応冷やしておこっか」
「え?でも・・・多分大丈夫だよ」
「うん。でも、一応なんかあったら困るし、ね!」
「う、うん。わかった」
レナが余りに心配するので、アリスも少し不安になり、レナの言う事を聞く事にした。その、答えを聞いてレナはカルナに話し掛ける。
「カルナ、お願いしていい?」
「ああ」そう言ってカルナはアリスに背中を向け、片膝を付く。
「え?何?どうしたの?」アリスには二人のやり取りの意味が分からなかった。
「ああっ、ごめんなさい。アリスの目を冷やしてる間、アリスは目が使えないでしょ?だから、その間カルナに背負ってもらおうと思ったの。だから、ね?」
少し動揺しながら、レナはそう言って、カルナの背に乗るようにアリスを促す。
「う、うん」訝しげな表情を浮かべながらも、アリスはレナに促されるがままカルナの背に負ぶさる。
それを確認してレナが、「それじゃあ、タオルを巻くわね」そう言ってレナがタオルを巻いてやると、アリスの体が一瞬“ビクッ”と小さくなる。
「ごめんなさい、ちょっと冷たかった?」
「ううん、大丈夫」
アリスの返事にレナは少しほっとして、胸を撫で下ろした。
「それじゃあ、このまま町を出るから、少しの間我慢してね」
「うん」
レナがさっき動揺したのには理由があった。実は、今まで訪れた町でも、これと同じ様なやり取りがあったのだ。アリスの目が腫れていたのは事実だが、アリスの言った通り、泣いて腫れただけで、冷やす必要など無い程度のものだった。しかし、レナがそうしたのは、町を出るまでの間、町の人間の死体を見させない為にそうしたのだ。今までは、ちゃんと説明してからカルナに背負っていてもらったのだが、この行動がいつしか、当たり前に成り過ぎてか、アリスに説明する前に行動してしまっていたのだ。
レナは、アリスが素直な子でよかった。そう思うと同時に、また、自分の間抜けさに少し自己嫌悪になり、思わず溜息を吐いてしまった。
「レナ・・・」
「ご・・・ごめんなさい。行きましょう」カルナの声で、慌てて上を向く。
「行き先は分かったのか?」
そう聞かれて、まだカルナに行き先を言ってない事に気付く。そして「ええ!グランドマインよ!」と即座にカルナの予想が当たっていたから、凄いわね!という目線を送りながら答えた。
しかし、その目線には無反応で、「そうか・・・」とだけカルナは返してきた。
「どうして、分かったの?」
さっき聞いた時は、理由をあえて聞かないようにしたが、実際に予想が当たっていたのが分かると、レナはどうしても聞きたくなった。
するとカルナは、「勘だ」そう言って歩き出してしまった。
「えっ?」予想外の答えにレナは、驚いてしまった。
カルナの事だから、ある程度、的を絞った上での勘なのだろうが・・・。驚いて呆然としている間にカルナがどんどん歩いて行っている事に気付く。慌ててレナはカルナを追い掛ける。
町の外まで、出来るだけ速足で歩く。レナは、本当は走りたかった。しかし、走ってしまえば、目隠しの状態のアリスに要らぬ不安を与えてしまう。それは避けたかった。そして、三人は無言のまま町を後にした。
町を出て暫くして、カルナが口を開いた。
「レナ、これを・・・」
アリスを片手で支え、もう一方の手でレナに何かを差し出した。
「え?これって、マジックストーンじゃない!どうしたの?」レナは驚いて、カルナの目を覗き込むようにしながら、疑問をぶつけた。
「さっき、この子が居た所に落ちていた」
「えっ!じゃあ、これって結界石だったもの?」
「恐らくな」
「凄い!ホーリーシェルを入れて砕けなかったなんて・・・よっぽど良い石だったのね」
マジックストーンとは、唱えた魔法を吸収し、持ち主の意思で好きな時に吸収させた魔法を発動できる、特殊な石の事である。そして石の質が良ければ良い程、高等な魔法を吸収できるし、使用できる回数も多いのである。ただホーリーシェルの魔法は神の住む村の僧侶達が使う魔法の中でも、最上級魔法に位置付けられる一つであり、並のマジックストーンでは吸収させる段階で砕けてしまう。たとえ良質のマジックストーンでも、殆どの場合、一度発動させるだけで砕けてしまうのだ。
その為、ホーリーシェルの入ったマジックストーンは重宝され、そのマジックストーンだけが、結界石と呼ばれる様になった。また、神の住む村の収益の殆どは、この結界石の売上に支えられていた。
「この石は、カルナが持っておいて!結界石には出来ないけど、回復魔法を入れておいたわ。何かあった時にとっておいて!」
そう言って、カルナの腰にぶら下がっている道具袋に石を突っ込んだ。石を入れながら、ふと、どうしてカルナは石を見つけた時に言わなかったのかしら?レナはそう思ったが、それよりも別の事が気になった。
「アリス、寝ちゃったの?」レナは、アリスの顔を覗き込んだ。
「ああ、寝息を立てている。」
「そう。じゃあ、なるべく起こさない様に先を急ぎましょう」
そして二人は無言のまま、北へ向かって更に歩き出した。
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