第21話 千客万来

「これでサインは全部かな」

 新たにできたダンジョン庁の大臣が、我が家へ契約書にサインしに来ていた。ダンジョンの扱いについて、権利や義務に関するいろいろな事を明文化する必要があったのは仕方がない。

 我が家の前に見るからに高そうな車が停まるのも、そこからSP付きで偉そうな人が降りて来るのも、何となくご近所さんまで緊張するようなのでこちらから出向いても良かったのだが、ダンジョンを見たいという大臣の意見で、向こうから来たのだ。

 控えの書類をまとめ、お茶を啜って少し雑談する。

「この辺も変わるんだろうねえ」

 大臣が言う。

「左隣りはすぐに引っ越しを決めましたし、向かい側も何件かは出て行くみたいですしね。右隣のマンションも半分以上が出て行くらしくて、大家さん、探索者向けのマンションに改築するらしいですよ」

 俺はお茶菓子を勧めながら言う。

「ああ。武器を自宅に置くために鍵付きのロッカーがいるからね」

 大臣は頷いて言い、和菓子を口に入れた。

 ミルク風味の白あんをほろりとした饅頭で包んだ、洋菓子風和菓子だ。

「一般家庭では、ちょっとロッカーの据え付け場所に困りますからねえ。それに返り血とかもあるから、色々とねえ」

 その言い方に、大臣はわずかに身を乗り出した。

「そう言えば、少し探索に入ったんでしたっけ」

「そうなんですよ。まあ、少しですけど」

「それでも、経験者だなあ。

 じゃあ魔石とかもあったりするんだよね」

 俺はやや警戒しながらも、答えた。

「ええ、まあ」

 大臣は目を光らせた。

「今、買おう。考えている買取価格より高くしよう。早く研究用に欲しいと言われていてね」

 こうして上手く、考えていたより高値で売ることができた。

 日本がダンジョン関連の研究で後れを取っているのは明らかだ。ダンジョンに探索者が潜れるようになるまで2か月はかかる。それまでは調査で入る自衛隊員が取って来る事になるが、今あるなら、すぐにでも研究に入れる。

 大学や研究機関は「早く寄こせ」とせっついている事だろうし、数だって必要になる。

 お互いにこれは、メリットのある売買である。


 そうして魔石を震えるような金額で売り、俺は帰って行く大臣一行を門のところで見送った。

「よし!」

 そしてすぐ皆に「売れた」とメールすると、一斉に、「今から行く」と返事があり、俺は一応売却を任されていたのでほっとした。

 そして家に入ろうとしたところで、呼び止められ、振り返った。

「え。係長」

 見慣れた人物ではあった。かつての上司だ。

「やあ、その、久しぶりだな、桃城君」

 係長は、どこか中途半端な引き攣ったような笑顔を浮べていた。

「何ですか。退職の書類に何か不備でもありましたか」

 係長は汗を拭きながら、愛想笑いを浮べて言った。

「いやあ、どうしてるかと思って」

 嘘つけ。

「お気遣いなく。もう何の関係もありませんしね」

「その、君の家で出る素材だけど、わが社に提供してもらいたいんだけどね。ほら、例のポーションとか、入手するのが大変で」

 俺の不機嫌を察したのか、係長は早口で続けた。

「産出物は全て国に売る事になっているのはご存知ですよね。ゲートから勝手に持ち出せないのも」

「でも食肉は別だし、上手くこそっとできるだろう?それに君の家にできたんだから、何とか交渉できるだろう」

 声を潜めて言う係長に、俺は呆れて黙ったが、係長は何か誤解したらしかった。

「提供してくれるよね」

 俺はフッと笑った。

「嫌です。お断りしますよ。何でそう思うのか理解できませんね」

「その、あれだ、退職を撤回するように会長に掛け合うから」

 俺は即答する。

「いえ、会社に未練はありませんから」

 係長は必死の形相になり、食い下がった。

「何でだね!?君が研究中だったテーマについてはいいのかね!?」

「少なくともあの会社では続ける気はありませんし、撤回を信用もできませんよ。会長の孫の失敗を会社ぐるみで他人になすりつけて平気な会社なんてね。いつ関係の無い失敗の責任を押し付けられるかわかったもんじゃないし」

 係長は目に見えて狼狽え、上ずった声で食い下がる。

「あれは、君には悪い事をしたと思ってるよ。皆だって、ミスをしたのは重白君だってわかってる。だから……まあ、いい。せめて、素材を頼む!」

「嫌です」

「恨んでいるのはよくわかる。わかるけど、仕方がないだろう?いずれは重白君は社長になるんだから!」

「恨みで嫌だって言ってるんじゃないですよ」

 俺は嘆息した。

 係長の立場もわかる。何が何でも素材提供の話をまとめて来いとでも言われているんだろう。それでも、嫌なものは嫌だ。

「会長の孫だからと会社ぐるみで庇い、隠蔽するような会社、信用できないでしょう。

 第一、そんな交渉をする気も、法を犯す気もありません。

 お引き取り下さい」

 俺はドアに手をかけたが、係長がすがりつく。

「待て!待ってくれ!重白君に謝らせるから!」

 俺は係長の手を腕から外した。

「どうでもいいです。今更」

「お、俺はどうなるんだ!?俺がクビになったら、妻と、子供が!」

 激昂する係長は、知らない人に見えた。

「俺ならクビにしていいと思ったんですか。それも、よその会社にわざわざ触れ回って日本の研究室では就職できないようにしてましたよね。真相がばれないように」

「お、俺じゃない!会長だ!会長と社長と重白君が!」

「お引き取り下さい」

 言うと、係長は

「これで終わりだと思わない事だな!」

と指を突きつけ、裏返った声で叫んで歩いて行った。

 その後ろ姿には、嫌な予感しかしなかった。


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