第5話 禁忌の森
あれは今から半年ほど前、俺とミストレアは父さんから二人だけで魔物を狩る許可を得るため禁忌の森に来ていた。
狩人の森とは違い強力な魔物も生息する禁忌の森。
しかし、よほど森の奥深くでなければ狩人の森とほとんど変わりはなく、禁忌と言うほどに入ること自体は禁じられてはいない。
実際父さんに連れられて何度か森に入って狩りをしたこともある。
「はぁはぁっ、なんでこんな森の浅い所にオークが三体もいるんだ!」
禁忌の森に入って数十分。
俺達は三体のオークに遭遇し、森の中を奥深くへと走り抜けていた。
運悪くオークが狩りをしている所で見つかり、こちらに狙いを変更してきたためだ。
「クライ、まあ落ち着け。こんな時のために気配を消す技術を学んできたんだろう」
オークは豚のような顔をした二m近くの体格を誇る黄緑色の肌をした魔物だ。
厚い脂肪は矢を通しづらく力も強い、遠距離からは投石もしてくる厄介な相手だ。
オークが禁忌の森でもこんな浅い所に出現するなんて聞いたこともない。
それも三体に追われることになるなんて。
「今の私達に弓矢の効きづらいオークの相手は厳しい。一旦距離を取るしかないな。幸いマジックバックには食料と水も持ってきている。何処かに身を隠してオークとの遭遇を避ける必要があるな」
「……そうだな」
ミストレアの助言通りオークから遠ざかるため森を進む。
季節は秋、禁忌の森も植物が色づきまだ鬱蒼とした木々が残る。
上手く痕跡を隠せばオークの追跡から逃げられるだろう。
魔物を避けながら森をしばらく進み続けた。
オークは未だに近くにいるようだ。
時折野太い叫び声が聞こえる。
追跡しづらいよう足跡をなるべく隠しているが、念のためどこかに身を隠そう。
「ずいぶん森の奥に踏み入れてしまったな……」
「ミストレア。周囲に魔物はいるか? あの岩陰がいいと思うんだが」
苔のついた大岩はちょうど坂の下にあり周りは木々が生い茂ってる。
隠れるにはちょうど良さそうだ。
「……近くにはいないようだな。痕跡隠しは念入りにするんだぞ」
ふかふかとした地面には長年の蓄積によるものか落ち葉が何層にも重なっている。
意外と足が取られるな。
突然、浮遊感を感じて地面が抜けた。
「クライ!!!」
ミストレアの焦った声がどこか遠くに聞こえる。
足が地面に埋まり吸い込まれる。
「痛っ」
どうやら岩の隙間の穴に落ちたようだ。
落ちてきた穴を見上げると薄っすらと太陽の光が透けて見える。
蔦と木の根が絡まって天然の落とし穴のようになっていた。
地上までは五〜六mぐらいか?
「クライ、怪我はないな。穴が浅くて助かった。もっと深いと思って慌ててしまったよ……」
だんだんと小声になっていくミストレアの声は珍しく恥ずかしそうだった。
「落ちたのは偶然だが、ここには魔物はいないようだ。身を隠せそうだな」
周囲は岩と苔が広がりひんやりとした空気が漂う。
長い年月をかけて伸びたであろう木の根がこの広い空間を支えているのか……。
落ちた穴の先は家が一軒ぐらい入ってしまうぐらいの広い空間が拡がっていた。
「あれはなんだ」
自分で声を出した筈なのに誰か他の人が発した声に聞こえる。
木の根で囲まれた空間の真ん中に立て掛けられるようにそれはあった。
苔で所々覆われているはずなのに妙な存在感があり目が離せない。
それは、色褪せた灰色の盾だった。
丸い形は敵の攻撃を受け流すもの、それにしては盾全体に反りがなく湾曲していない。
大きさは一.三mほどあり屈めば体全体がすっぽり隠れてしまいそうだ。
「これは……まさか天成器か? だがなぜこんな所に。っ、どうしたクライ!」
持ち主が亡くなった場合、天成器は消滅する。
光の粒になって消えてしまい何も残ることはない。
天成器は使い手のために生まれ、使い手と共に死ぬ。
気付けば灰色の円盾がすぐ目の前にある。
ミストレアの静止の声を聞きながらも無意識に手を伸ばしていた。
そして、俺の口からはあのスキルの名前が呟かれていた。
ステータスを初めて見た小さかった頃、意識を失い教会に運ばれたあの時のスキルが……。
「【リーディング】」
その瞬間……。
「なぜですか!? なぜ団長が一人で残るんですか!? まだ私たちは戦えます! 確かに敵の数は多い。ですが我々はまだ負けていない! みなも戦えると言っています! どうして……どうしてですか? アレクシア団長!!」
「ヘレナ、これが最適なんだ。もう撤退するしかない。魔物の王によって禁忌の森に集まった魔物共は想定より遥かに多い。精鋭揃いの王国騎士団でも三割以上の被害だ。これ以上即席の砦では持たない。フッ、さすがいくつもの都市を滅ぼしただけはあるな」
「だからって……隊長一人を残して撤退するなんて……」
ヘレナと呼ばれた女性の悲痛な声が聞こえる。
押し殺したその声は嗚咽混じりで痛々しい。
「ヘレナ、お前は兵の統率力がある。本隊と負傷兵を連れて都市ブロージアまで後退しろ。それと、王都まで援軍を寄越すよう早馬を出すんだ。敵は賢い。配下の魔物をけしかけて、こちらが弱るのを伺っているんだ」
「団長……」
「何を弱々しく返事している! お前は我が王国騎士団の副団長だろう! 私の知っているお前は部下たちを纏め上げ、人々を襲う魔物をなぎ倒す、凛とした女だ。こんなことで諦める女じゃない。しっかり立て!!」
鷹の意匠を付けた鎧を身に纏った大柄な女性は、青い瞳を爛々と見開き叫ぶ。
その言葉には人を動かす熱があった。
「ヘレナ達は無事撤退出来たようだな。砦から討って出たかいがあった」
二人が話し合っていた場面からいつの間にか場所が移り変わっていた。
おびただしい数の魔物の死骸が草原に散らばっている。
ラージスネークにブルズボア、ブラッディーベア、ロアーエイプなどその他にも多数の種類の魔物が倒れている。
どれも討伐難度が高い、狩人の森ではまず見掛けることのない魔物だ。
これはすべてアレクシア団長と呼ばれた女性が行ったのだろうか?
彼女の右手にはあの木の根の空間にあった円盾がある。
盾は魔物の物であろう血が滴っているが、色褪せた灰色ではなく鮮やかな白銀色をしていた。
おそらくあれがアレクシアさんの天成器、その本来の姿。
「クィル。あいつが親玉じゃないか? 森と草原の境目でこちらを睨んでいる」
「そうだな。黒く巨大な図体と赤い瞳の蛇。報告にあったバジリスクの王で間違いない」
「やっとお出ましか」
アレクシアさんを半円状に取り囲む無数の魔物の中から一際大きな蛇の魔物が現れる。
明らかに纏っている雰囲気が他の魔物と違う。
全身は黒い艶のある鱗で覆われ、大柄な大人も丸呑みに出来るほどの大口はびっしりと白い牙が生え揃っている。
まるで真っ赤な鮮血のような赤い瞳は見るものを不安にさせる怪しい光を宿していた。
……あれが魔物の王。
過去、人類を追い詰めた災厄の化身。
他の魔物まであいつに怯えて萎縮しているようだ。
遠巻きに距離を取って警戒している。
「シャァァァァァァァァァ!!!」
「さぁっ。かかってこい。ヘビ野郎! タコ殴りにしてミンチにしてやる!!」
耳をつんざく甲高い咆哮をあげたバジリスクが頭から一直線にアレクシアさんに飛びかかる。
大きく開けた口には鋭い牙が並ぶ。
噛みつかれればただではすまない。
尋常ではない速度は目で追うのがやっとだ。
「ふんっ!」
白銀の円盾でアレクシアさんはバジリスクの側面を叩く。
弾かれたバジリスクは体勢を即座に立て直し、尻尾を大きく振り盾を躱して肩を狙った。
「おらぁ!」
尻尾は盾の側面から振られたがアレクシアさんは拳を叩きつけ応戦する。
時折迫る牙は盾で受け流しバジリスクの体に拳と盾の打撃を叩き込む。
振り回した盾を豪快に叩き付ける。
「どうしたこの程度か!?」
不意にバジリスクの雰囲気が変わったように感じた。
「シャッ」
先程までと同じ尻尾での攻撃がアレクシアさんを襲う。
盾で受け流し胴体に近づこうとするとバジリスクの影が蠢いた。
影が動く。
受け流され弾かれた尻尾の影が地面から飛び出し、黒い尾となってアレクシアさんにぶつかった。
間髪入れずにバジリスクは口から毒々しい色の液体を吐きつける。
見るからに危険な液体は地面に滴り落ちると紫の煙が噴き出した。
「らぁ!」
弾かれたはずのアレクシアさんはいつの間にか体勢を整え天成器の盾で毒液を受け止める。
盾には傷一つない。
なんて戦いだ。
「影魔法か影を操るエクストラスキルに毒液まで使うか。やはり一筋縄では行かないな。打撃もあの黒い鱗に阻まれて効いていない。……クィル」
「【変形︰爆音大槍斧】」
天成器……正面に構えた円盾が変形していく。
盾の取手を横一直線になるよう構えると、盾の上部と下部が真ん中を残して半月状になるよう別れた。
さらに取手のパーツの一部が横にスライドして槍のような長い柄に変わる。
そして半月状に別れた上下のパーツから刃が生え両刃の大斧になった。
円盾は三mはある柄と半月の両刃を備えた槍斧に変わった。
……あれが天成器の変形。
「奴はバジリスクだ。魔眼にも気をつけろよ」
「ああ。わかってる。報告にあった破壊の魔眼か……」
「シャァァァァァァ!!」
バジリスクが雄叫びをあげ突進してくる。
大口を開けて噛みつく。
アレクシアさんが躱すと時間差で今度は影で出来た口が襲いかかった。
胴体を起点に絶え間ない攻撃は槍斧を警戒しているようだ。
バジリスクの頭と槍斧の柄がぶつかり両者の距離が離れる。
「シャッッ」
バジリスクの口から紫色をした液体が矢のような速度で飛ぶ。
「【神聖盾︰四循】」
槍斧を構えるアレクシアさんの前に菱形の光輝く盾が現れる。
光の盾に当たった液体は瞬く間に蒸発した。
「おぉぉぉぉぉっ!!!」
動揺したバジリスクに向かって槍斧を上から振り下ろす。
すんでの所でバジリスクは身を躱したが胴体をわずかに切り裂いた。
「よしっ! 一気に攻めるぞ! クィルも手を貸せ!」
「ああっ! 【灼炎の剛腕︰破城】!」
バジリスクが後退した分を一足飛びで詰めると、アレクシアさんの背後から炎で出来た巨大な腕が二本現れ殴りかかる。
「ジャァァァッ」
空中から現れた炎の腕は胴体を焼き鱗を焦がした。
だが痛みをこらえたバジリスクは赤い瞳を不気味に輝かせる。
「シャッ!!!」
赤い光線が炎の腕を貫きアレクシアさんを捉えた。
槍斧を地面に刺すことで起点にし、躱そうとしたがわずかに左腕に当たってしまった。
鎧が弾ける。
「アレクシア!」
クィルさんの焦った声が戦場に響く。
「くっ…… あれが破壊の魔眼か。貫通力がある。それに溜めが殆ど無い。まったく厄介な相手だ。…………【セイントエクストラヒーリング】」
「聖属性の回復魔法なのに血が止まらないな……」
バジリスクは弱っていると判断したのか周囲の魔物をけしかける。
「クィル、薙ぎ払え!」
「【灼炎の剛腕︰断界】!!」
炎の腕が周囲一帯を纏めて焼き払う。
紅蓮の炎は草原を焼き、魔物を次々と焼き尽くした。
「はぁはぁッ、それにしても長い戦いだったな。……紛れもなく強敵だった。勝てたのが不思議なぐらいだ」
アレクシアさんは全身が傷だらけだ。
血は止まる様子もなく流れ続けていて、所々毒々しい紫色に染まっている。
草原ではなく洞窟のような場所で岩に力無くもたれ掛かっていた。
「もう喋るな。救援がくるのを待つんだ」
クィルさんの声は震えている。
「フッ、決着がついたと思ったらこんなところで終わりとはな……。」
「諦めてどうする!!」
「ぐっ……。クィル、お前には世話になったな。いつもお前には守られてきた。ここまでこれたのもお前の……おかげだ……」
「アレクシア………」
苦しそうなアレクシアさんの呼吸が徐々に弱まっていく。
鮮やかだった金色の髪は血と毒液で汚れ、見事な作りだった鎧はもはや見る陰もない。
情熱を宿していた青い瞳はすでに閉じられていた。
「アレクシア……お前はすごいやつだ……至ったんだ……だから…目を開けろよ……開けてくれ……」
今にも泣き出しそうな、いや泣いているか細い声が洞窟に響く。
「あああああああっ!!!」
頭が焼き付くように痛い。
「クライ!」
膝をつき倒れ込む。
あまりの痛みに視界がおぼつかない。
思考を熱が支配する。
痛い、ただそれだけしか考えられない、いや考えているのかすらわからない。
地面を這いしばらく壁に寄りかかっていると時間が経つにつれ少しずつ痛みが引いていく。
その間もミストレアは心配そうに声を掛け続けてくれ、ようやく会話できるくらいに落ち着いてきた。
おぼろげな視界の先には灰色の盾が変わらずそこに置かれている。
「クライ、大丈夫か? 怪我はないのか?」
「ああ、なんとかな。……それにしてもさっきの光景は何だったんだろうな」
「……あの凄まじい戦いとその結末か?」
「っ、ミストレアも見たのか!? 」
「……私も見たよ。クライがあのスキル名を唱えた瞬間、急に見えている景色が変わり気づけば……。あの光景は一体何だったんだろうな」
「……過去だ。あれはこの天成器……クィルさんと使い手のアレクシアさんの過去の記憶。この天成器に刻まれた記録なんだろう」
何故か確信がある。
あれは過去に実際に起こった出来事だと。
灰色の天成器を通じてアレクシアさんとクィルさんの人生の一端を垣間見た。
もう一度改めて灰色の天成器を見る。
その姿は何処かもの悲しく感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます