第19話 アーネストとゼスト
「ありがとう。ルドルフ。夜中なのに無理をさせた」
疲れた顔をした長身細身の男は頭を垂れていた。腰に長剣を指しているが、軽い鎧を身に着けるだけで、重装備ではない。
「で? 魔導士は城の周りにいたか?」
「いえ。気配もありませんでした」
「俺が直接行っても平気だろうか」
「別邸の周りにある魔方陣が気になりましたが、私では何も出来ませんし、魔導士でなければ、活用することも消すことも不可能でしょう」
「そうか。何に使うんだ……」
ゼストは首を傾げる。
城に近づくものの探知なら、ルドルフはすぐに囲まれていたかもしれない。
なにかの力の増強とか。
「なんだろうか」
「わかりません。申し訳ございません」
ルドルフは頭を垂れた。
「いや、いい。疲れているだろう。休んでこい。何が食べたい? 作らせる」
「いえ、何も」
「そう言うな。命がけだったんだ」
「私は、王の力になれただけで、満足です」
(俺よりかっこいい)
ゼストがそう思っているのも束の間、彼は立ち上がりすっと消えるように去って行った。
代わりにセイが入ってくると、クスクス笑われる。
「ルドルフは男前ですねえ。王と違って、漢って感じで」
「ああ。正直、俺が王でなかったら、アンジュは振り向いてくれなかったかもしれない」
がっくりと項垂れると、セイはまた笑う。
「ルドルフの言っていたことを元に魔方陣について調べましたが、どうも、性欲の強くなる魔方陣だそうで」
「は?」
命がけで帰ってきたルドルフが持ち帰ってきた情報が、まさかそれとは、ゼストも気が抜けた。アーネストはそんな魔法などつかわずとも、性欲旺盛だと思うが。
「いえ、それもご本人に訊いてみては。国立図書館で調べれば分かることですし、あまり公けにされたら恥ずかしいですよね」
「確かに……」
ゼストは呆れつつ、馬車を用意させた。
罠もなはく、突然言ったところで何かされるようなこともなさそうだ。
セイ、ルドルフを連れて向かう。
湿原を超えると、古城はおどろおどろしく見えてアーネストの恐ろしさを感じてしまう。
しかし、性欲の強くなる魔方陣とは――とゼストは頭から離れることが出来なかった。
城に到着すると、衛兵が慌てて止めに入る。
「中に入れろ。アーネストに会いに来た」
「で、ですが――」
おどおどする衛兵を強引にどかし、城に入ると中に響き渡る淫靡な喘ぎ声。
「あぁっ! あぁああ! もっと! もっとしてぇ!」
その声は、まさしくアーネストだ。
激しく乱れているようで、ゼストは思わず視線逸らす。
「魔方陣の影響でしょうか。性欲が最大限になるとしたら、相手はひとりやふたりでは済まないでしょう」
セイは取り乱すことなく言うが、ゼストは自分が不甲斐なかった。
そっと触れるだけでも逃げられて、魔方陣を使い、男娼で身体を宥めているのだ。
「どうします? 今踏み込んだら、真面目な話なんて出来ませんが」
セイの話ももっともだが、魔方陣で性欲が増強されているのであれば、いつ終わるか検討もつかない。
「俺が行く。俺が出来ることを最後にする」
「王? まさか最後に関係を?」
「いや、そのつもりはない。ただ――」
ゼストが真剣に話している時もアーネストの喘ぎ声は甲高くなっていき、男三人は頬を染めた。
少なくとも、オーフィリア国に来たときには身体は乙女だった筈だ。
男娼に狂うなど、どうかしている。
「俺が扉を切ります」
ルドルフが言うと、ゼストは頷いた。
しかし、アーネストの声が大きくて部屋が特定できない。
そんなことをしているうちに、城の者が現れてしまいそうだ。
「この城の寝室は二階の奥だが、さっきから声がやたら大きいんだ」
「あっあっ! そこっやぁ!」
アーネストの卑猥な声が、すぐとなりの部屋から聞こえてくる。
食堂だと思うがと首を傾げつつ足を進めると、アーネストはテーブルに寝かせられて金髪の男に身体を揺さぶられていた。
小柄な彼女は裸で、ゼストは初めてみる柔肌に思わずぞくっとした色気を感じた。
ルドルフがすぐに前に立つと、相手をしていた男娼が気が付いたようで動きが止まる。
そして、アーネストもゼストたちに気が付いて目を見開いた。
「見られちゃつた……わね」
ガウンを整えつつ、頬を染めながら言う仕草にゼストは不覚にも胸を鳴らせた。
こんな色気を発する女性じゃなかったし、小柄な身体に小ぶりな胸が余計に卑猥なのだ。
サラサラな金髪が汗で濡れていて、男娼の男の逞しさとは対照的に華奢な身体。
本当に見てはいけないもの見たような気分だった。
「アーネスト。服をまず着ろ」
「ガウンで充分よ」
そう言いつつ、目がうっとりと男娼を見つめ、キスをせがんでいた。
気が付いた男はすぐにアーネストにキスを落とす。
「真面目な話をしに来た。男を下げろ」
ゼストはきっぱり言うと、アーネストはフンと鼻を鳴らす。
「だって、ここ、疼かせたまま真面目な話なんて出来ない」
そう言って、いやらしくガウンを捲りあげてくる。
(魔方陣の力か。こんなに積極的なら、アーネストが夜を拒むわけがない)
「くれる? ゼストのおっきいの」
「くっ」
アーネストの見たくない姿を見て、ゼストは奥歯を噛み絞めた。
彼女は蕩けた頭で自分を惑わせている。
ここで抱きしめれば、それこそここから逃げだせなくなる。
そんな時だった、ルドルフが男娼に向かって走りだし、羽交い絞めにしたのは。
首を絞められて苦しそうにしているのを、ゼストはただ見ているしか出来ない。
「あの魔方陣、お前の仕業だろう?」
「そんなわけあるか? アーネスト様が自分で」
「アーネスト様はゼスト様と関係を拒んだ人。その人がこんなはしたないことをするとは思えない」
ルドルフが言うとアーネストクスクスと笑っている。
「アーネスト様が描きたいっていうから」
「なら、今すぐやめさせろ」
ルドルフの言葉に茶色の瞳の男娼は苦し気に頷いた。
そして、ルドルフに手を押さえられながら、アーネストに言ったのだ。
「俺、アーネスト様の国に着いていきます。だから、もう魔方陣で慰めるなんてやめましょう?」
「……」
「アーネスト様」
「あなた、私との身分差、分かってる? 後でお仕置きが必要ね?」
「ええ。いくらでも」
ふたりの間に、良い知れない関係を感じて、ゼストは何も言えなくなった。
アーネストは宮廷の側室を人形と言っていたが、男娼はなんと思っているのだろう。
そもそも、ふたりはどんな関係なのだろうか。
まるで恋人同士のようにも見えるし、主従関係があるようにも見える。
「分かったわ。魔方陣は解いてあげる」
そう言うなり、アーネストは呪文を唱えた。
するとゼストを見るなり頬を染める。
そして着ていたガウンの前をぎゅっと閉じて、完全に防御の姿勢を作ったのだ。
(あ、魔法が切れたな)
これが本来のアーネストだと思い出し、ゼストはほっとする。
しかし、この邸に引きこもっている間、彼女はあの魔方陣を使って性欲を高めて男娼に狂っていたのだ。
それをゼストはバカにしていたが、あまりの激しさにもっと早くくればよかったと項垂れた。
「アーネスト。大丈夫か?」
歩いて近づき、そっと手を出すと顔を逸らされる。
「近寄らないで」
「着替えてこい。メイドもいるし、こんなところで抱き合ったら、皆に丸聞こえだ。俺もアーネストの裸、ちょっと見たし」
「今すぐ忘れなさい! 変態野郎!」
「いいだろ? 元夫だ。本当なら、俺が満足させるべきなんだから。ちょっと悔しい」
するとアーネストが耳朶まで顔を真っ赤にして、逃げようとする。
「待て! 大事な話がある」
「こっちには何もないわ」
「いや、悪いが、今日ここに来たのは最後通告だ」
そう言った途端に、アーネストの目が潤んだ。
彼女の泣き顔は初めて見たかもしれない。
そういえば、喜怒哀楽のうちの怒りの部分しか知らない。
楽し気に笑った顔はどんなだったのだろうと、少し気になってしまう。
(アンジュがいるのに余計なことを!)
真剣な顔を作ってゼストはきっちりと言い放った。
「もう、この国から出ていって欲しい。母国に帰り、別の男と結婚しろ」
「え……」
「俺はもう、新しい生活を手に入れた。アーネストの怒りだって甘んじて受けた。怖かったから逃げていた時もあるが、そのうちに収まると思っていた。けれど、アンジュを傷つけたり、俺を愚弄したり、そんなことをしてどうなる?」
ゼストは目を見開いたまま動かないアーネストを見て、少し心配だった。
彼女は今まで敗北を知らないのだ。
ショックは大きいだろう。
「俺にはアンジュがいる。そして、アーネストには母国がある」
「おだまりなさい!」
アーネストから腕を払われると、ゼストは少しほっとした。
いつもの強きな彼女が目を覚ましたのだ。
「不倫をしておいて、態度がでかいわ。それに、私にもっということがあるでしょう?」
「ああ。すまん。不倫をして、申し訳ございません」
ゼストは頭を深く下げた。
このまま地べたに這いつくばってしまおうかと思ったが、それは出来そうにない。
「ごめん。アーネスト」
「……っ」
「本当に申し訳ございません」
「……っ! オーフィリア国の王が、不倫ごときでそこまで謝る必要ないじゃない! 余程入れ込んでいるのねっ。アンジュに!」
「つまり、そういうことになる。アーネストにきちんと許してほしい」
「……っ」
「俺はアンジュの為ならなんだって出来る。アンジュに信じて欲しい!」
「では、お願いがあるわ。ここに、アンジュを連れてきて? そうしたら出て行く。ひとりで着てと伝えて?」
「そんな無茶な。アンジュは丸腰じゃないか」
「あなたの新しい新妻を殺すとでも? そんなバカじゃないわ。ただ、見たいだけ」
アーネストはにたりと笑うが、同時にため息を吐いた。
なんでだろうとゼストは首を傾げるが、声をかけずらい。
「ねえ。ゼスト。あなた、私に言った言葉は嘘だったの? 俺を好きにしてみせるとか、大事だとか」
「そう言うと、アーネストは気持ち悪いって怒ったろ?」
ゼストは意味が分からないと、首を傾げる。
「そうよね。宮中のことは、何もかも、嫌だった」
寂し気に言うアーネストを見て、またゼストの胸が鳴る。
こんな色気を漂わせる女だったかと問いたくなる。
すると、セイが思わぬことを口にした。
「失礼ながらアーネスト様。外の魔方陣は即座に消した方が良いかと。オーランド国では魔法の知識だけは国立図書館で調べることが出来ます。男娼にたぶらかされたのであれば、あの者は処刑すべきかと」
「セイ。あなた、そうやって先回りして王に仕えているけれど、割り切れないこともあるのよ?」
「はい?」
セイも、ゼストも首を傾げた。
アーネストの口からこんな艶めいた言葉を聞くと、さすがに心臓に悪い。
「あの魔方陣は私が自分で描いたのよ。誰にも命令されることなく。でも、出て行くなら消さないといけないわね」
「さようです」
セイが突き放すように言う。
アーネストがどんな想いで性欲をアップさせる魔方陣を描いたのかはわからない。
ここに男娼と籠っているから、性欲が強いと勘違いしたが、本当は初心なのかもしれないと悲しくなる。
「じゃあ、アンジュをひとりで連れてきて? いいわね。そうしたら帰るから」
「分かった。悪いが、その時は宮廷の魔導士にこの別邸を空から包囲させてもらう」
「いいわ。好きにして?」
そう言うと、アーネストは男娼を連れて部屋に戻って行った。
寂し気な背中を見て、ゼストは思わず声を掛けていた。
「アーネスト! 本当にごめん!」
「本当に気持ちわるいから、やめて? もう帰って」
アーネストに言われると仕方なく、ゼストはふたりを連れて邸を後にした。
城に戻ると、ゼストは頭を抱えた。
アンジュをアーネストに会わせないといけないのだから。
思わずソファに腰かけため息を吐いていると、セイはお茶を運んで差し出してくれる。
「ありのままをアンジュ様に言って、ご相談を」
「分かった。でも、拒んだら?」
「あの方は、アーネスト様に会いたいと思っていたと思います」
その言葉を信じて、ゼストはアンジュを呼んだ。
ナンに連れられてアンジュが来ると、泣き顔を見せられた。
「どうした?」
「不安で、思わず泣いてしまって」
「アンジュでも涙を流す時があるのだな? 意外と泣かないと思ったぞ?」
「ゼストの意地悪!」
アンジュから睨まれると、ついつい本題に入りにくくなってしまう。
ゼストは咳払いをして、アンジュをじっと見つめた。
「アーネストの住む別邸にひとりで向かってほしい」
アーネストの顔が涙目から一転して厳しさを増した。
彼女はこの時を待っていたような気がした。
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