第18話 静けさ

「不自然すぎるほど静かだ」

 ゼストは書斎でセイに言った。

「そうですね」

「アーネストがこのまま引き下がると思えないが」

「ですが、アンジュさまも次第に認められているせいで、ゴシップ記事も書けない状況なのでしょう」

「うーん。気を引き締めていかないとな」

「ところで、王? 子作りのことは……」

 セイの言葉にゼストは顔を逸らす。

 もう随分前から言われていたことを無視し続けていたのだ。

 アンジュをまず第一に考えたいと思うあまり、子供のことなど考えられなかった。

 余裕もないまま、子供が出来ても愛せるか不安でもある。

「そのうちな」

「それはいけまん。子孫を絶やすつもりで?」

「そのつもりはない。ただ、今はアンジュのことだけを――」

 ゼストが言い終えないうちにセイが咳払いをする。

「そのことですが、寝室以外でのお戯れはお控えを。わたくし、片付けが大変で大変で」

「セイッ!」

(あの客間のことか)

 確かに濃密に抱き合っていたせいで、仕事から離れて不自然であった。

 しかも最近側室に手を出さないことは有名で、王がふらりと出るときは王妃の元と決まっていると宮廷でも噂になりつつある。

「う……。片付けとは、なんだ? 俺もそれなりに気を遣ったぞ」

「そこまで知りたいのですか? 汚れ仕事ですよ?」

「いや、いい。セイの老後は保障する」

「ありがとうございます。出来れば、末代まで保障していただければ……」

「ああ」

 そう言われると、すすーっと紙が出された。

「では私お手製の契約書にサインを。末代まで保障すると書いてくださいませ」

「全く、不安はないだろう? セイの家を潰すことなどあるか」

「いいえ。手堅く生きてこそですので」

「そうか。お前のようなものが傍にいて安心だ」

 ゼストはため息を吐いて、山のような書類に目を通す。

 今のところ、戦争はない。

 そして、アンジュの心配しているルドルフは今頃元気にしているのも確認済みだ。

 剣の練習に余念がないと聞いて、与えた課題を黙々とやっているなと安堵する。

 村から一歩も出ずに剣の練習をしているのだから、自身への忠誠もある。

「そろそろ、休憩にするか。セイ、メイドを呼んで何か食事を」

「かしこまりました」

 セイが出て行くと、書斎にひとりきりになった。

 アンジュは今日はナンを連れて買い物に出ていて、静かだ。

 ナンに説得されて渋々送りだしたのだが、護衛がいるとはいえ気が気じゃない。

 あの日買ったアンクレットは、袖の下で輝いて時々ゼストの心を落ち着かせてくれる。

(アンジュのことで頭がいっぱいだ。セイに怒られる)

 そんな時、扉がノックされた。

(だれだ?)

「ご飯をお持ちしました」

 そろそろと入ってくるメイドは見たことがない新顔だった。

 警戒して入り口に立たせると、そのメイドはなぜか勝手に部屋に入ってくる。

「アーネスト様が、私のような初心な少女がゼスト王は好みと聞きました」

 するすると手がゼストの頬に伸びて、胸元に触れる。

 ぞくっとする感覚を覚えて振り払うとゼストは強引に部屋から追い出そうとした。

 しかし、慣れたように女は胸の中に飛び込んでくる。

「好きにしてください。身体が壊れるまで」

「な、なにを……。離れろ!」

 ぐいっと身体を押し返すと、身体には香の匂いが纏わりついた。

 女はふふっと笑い、ゼストに強引に口づける。

 同じ女性だというのに、気味悪い感じしかせずに思わず突き飛ばしていた。

「い、痛いっ! 痛いわっ!」

 女は泣き出して、騒ぎを聞きつけた他のメイドが何事かと部屋に来た。

「王。この者が何か?」

「こっちが訊きたい。その女は誰だ? 見知らぬ女を宮中に入れるなと言ったろう!」

 ゼストの怒号が聞こえた時だった。

 女はにたりと笑い、呪文を唱え始める。

 すると身体はふっと消えてしまい、忽然といなくなってしまった。

「いない……。アーネスト!」

 ゼストは怒りに満ちていると、アンジュとナンがメイドの向こうにいた。

(なんてタイミングだ!)

「どうかしの?」

 アンジュの言葉に、メイドは口を噤んだ。

 誰も何も言わないので、ゼストは近づいてアンジュの前に出る。

「アンジュ、なにもない」

「ううん。やっぱり……。こういう日が来ると思っていたわ」

(どうした?)

 アンジュの様子がおかしいと思ってたじろいでしまうと、メイドのひとりがおずおず口を開く。

「口元に紅の痕があります」

「……っ!」

 ゼストは自分の身に纏わりついている香の匂いも、すんすんと嗅いだ。

 メイドは顔を逸らし、感づいていないフリをするが、アンジュはその甘い香りにも気が付いたようだった。

「違う!」

「ううん。オーフィリア国の王妃なら、慣れないといけないのに、私が嫉妬するのがいけないの」

 そう言って、アンジュは立ち去った。

 ナンはそれを追ってかけていき、代わりにひょっこりとセイが顔を出す。

「あの~。お楽しみのところ申し訳ないのですが、いきなり私が必要な状況かと存じます」

「ああそうだ! すぐに誤解を解いてほしい」

 ゼストは苛立ちながら、ハンカチーフで口を拭い、着ていた服を脱いだ。

 近くにいたメイドに服を持ってこさせると、ソファにどっかり腰かける。

 セイはにやにやしながら、ゼストの傍に来た。

「不意のキスとは萌ますね」

「アンジュならな! アーネストの手のものだ。しかも魔法使いだ」

「いやあ。国内に魔導士を呼び寄せるとは、これは本格的に怒っていますよ? カンカンです」

「ふざけている場合ではないだろう? この状況が危険だと分かっているだろうが」

 ゼストが怒りをぶつけるとセイが静かに話始めた。

 おどけが顔が一転して、真面目に口を引き結んで自分をじっと見据えてくる。

「国内で戦争を起こすつもりかと。こうしてテロまがいのことをして、王を惑わせ、魔導士を送りこみ、内紛に起こす。アーネストさまならそれくらいやってのけるでしょう」

「……残念だが、アーネストを国内においておくことは、危険なだけだな」

 ゼストは腕を組んで考えた。

 アンジュには怖いから、外交の為と適当に言っているが、本当にアーネストが怖いのは、制御不能の怒りだ。

 こうして宮中に魔導士を送り込むことなど、外交決裂にもなりかねないのに、自身が国内にいることを逆手に、送り込んできた。

 もはや、アーネストがオーフィリア国にいても、百害あって一利なし。

 そんな状況になって、ゼストは肩を落とした。

「結局、アーネストとは顔もほとんど合わさず、喧嘩して終わりだな」

「今更情に流されているのですか? 王ともあろうお方が。さっさと国にお帰り頂くべきかと」 

「それは分かっている。でもな。なんであんなに俺を拒んだのかと、今でも分からない。オーフィリア国に来たからって、不幸になるとは決まっていない。俺のことをどんな風に聞いて育ったのか知らないが、あんなに女性から拒絶されるのだって初めてなんだ」

「それは、アーネスト様とお話されない限り、溶けない疑問でしょう」

 セイに言われて、ゼストは顎を摩った。

 この際、アーネストと話を付けるのだって悪くないはずだ。

 いや、もう終わりにしようと頭を下げるべきは自分だ。

 これ以上アーネストが怒り狂っても、何も得るものもなく、誰かを傷つけるだけだ。

 アンジュだって、誤解してしまった。

「セイ。アーネストは別邸か? 明日、話を付けに向かう」

「大丈夫でしょうか?」

「もう、後戻りは出来ない。それに、アーネストに頭を下げれば気分を静まるだろう」

「互いに本心を言えるとお思いで?」

 セイの言葉にゼストはどきりとする。

 本心を言うということは、アンジュを好きだと告げることだ。

 アーネストの怒りをさらに買うかもしれないし、話し方によっては外交だって決裂する。 

 でも、ここで恐れるわけにはいかない。

「明日、向かう」

「まあ、その明日にでも、今日のキスシーンのゴシップ記事が躍るでしょうが」

「その新聞を向かう。さて、ではアンジュに謝罪しなければ」

 そうすると、タイミング良くメイドが服を持ってきた。 

 シャツ着ると思わず匂いを嗅いでしまう。

「洗い立ての香りだ」

 ゼストはほっとすると、立ち上がった。

 しかし、セイに呼び止められる。

「お茶をお持ちしますので、ふたりでイチャイチャするのはお止めください」

「分かっている。アーネストに会うことも話すから」

「さようですか。では私は厨房に!」

 セイはすぐに厨房に向かうと、ゼストはアーネストの部屋に向かった。

 最近はいつも一緒だったせいか、久しぶりに彼女を説得するなと、なぜか胸が鳴る。

 廊下の一番奥の部屋にたどり着くと、金のドアノブに手を掛けた。

「入っていいか? アンジュ」

 ドアをノックして訊くと、中からか細い声が聞こえてくる。

「はい」

 入ると、アンジュは泣きはらした目をして自分を見つめてきた。

 そのまま抱きしめたい衝動に駆られるが、セイが紅茶を運ばせると言っていたことを思い出す。

「さっきのことだが、あれは誤解だ」

 ソファに突っ伏して泣くアンジュを抱き起して、自分の膝に座らせると、彼女の涙をそっと指で拭った。

 このくらいのことなら、メイドだって驚かないだろう。

「だって、あんなにはっきりと。側室とお戯れなら、慣れなくては」

「いや、部屋に魔導士が来たんだ。アーネストが呼び寄せた女魔導士がね」

「え……」

 アンジュの目がおろおろしていた。

 恐怖に満ちて、次第に涙目になってくる。

 ぎゅっと抱き寄せて、頭をそっと撫でた。

 アンジュの温もりを感じるとついついその気になりそうだが、ぐっと我慢する。

「アーネストが仕掛けた罠だ。突然のことで振り切れなかった。身軽な女だ」

「そう、なのね」

 まだアンジュは不満そうではあった。

 ぎゅっと抱きしめて、不安や不満を取り除いてやりたい。

「ごめん。俺が迂闊だった」

「でも、そんなことをどうして? もう済んだと思っていたのに」

「アーネストの怒りが収まらないからだろう。俺も、最近静か過ぎると思っていた。アンジュは知らないだろうが、彼女は一度怒ると火が付いたようになってヒステリーを起こす。こういう喧嘩をする前に別れたが、一緒にいたときもしょっちゅう怒っていた。例えば、スープの味付けが少し違えば料理長をクビにしたり、俺も身体に触れると叩かれた。名前を呼べば、気持ちが悪いと罵られる。右と左を間違えるだけでもバカだと言われた」

「そう……」

 アンジュは胸の中で寂し気な声を出す。

 今度はそれを甘えた声に変えたいと思うのだが、セイが来るとなるとそうはいかない。

 頭を撫でて、艶やかな髪の感触を確認した。

「ほんの些細なことでも許さない女が、俺のしたことを許すとは思えない。あのゴシップ記事だけで済むとは到底思えない」

「つまり、これからどうなるの?」

 アンジュが胸から離れて悲し気な顔をした時、ゼストは思わずキスをした。

 口腔を舐るようなキスをして、アンジュが甘い息を漏らす。

(セイが来る前に……)

「はいはいはい。終わりにしてくださーい」

 色を帯びた部屋に、セイの明るい声が響く。

 ころころとワゴンを押して、お茶を持ってきてくれたのだが、せっかくのキスが台無しになった。

 アンジュなど、恥ずかしさに頬を染めて、口を拭っている。

(ううう。アンジュ、無意識に口を拭うが、俺のキス、本当は嫌いだったりしないか?)

 悲しい想いになりながらも、セイの淹れてくれるお茶を待っていると、アンジュが困った顔した。

「お、おろして? セイの視線が痛い」

「あ! ああ、ああ」

 そっとソファにアンジュを座らせると、セイがにたにたと笑いだす。

「どうぞどうぞ。私など空気ですから」

「空気が茶々を入れるか。さっさと下がれ」

 ゼストが面倒くさそうに言うと、セイが深いため息を吐いた。

「アーネスト様のお話の続きをしにきました。私、一足早く、あちらの動向を探ってまいります。今から別邸に向かいますので」

「大丈夫か? 魔導士がいるのだぞ?」

「そこが問題ですね。残念ながら、私のスキルに魔道も剣術もありません」

 セイがお手上げのポーズをする。

 無理に調査しなくても、明日自身が別邸に向かうだけで充分だ。

「ルドルフに向かわせようかと」

「ルドルフ⁉」

 アンジュが驚いた声を出すので、ゼストは困った。

 軍に入れたと嘘を吐いて追いやったから、いきなり舞い戻ってきたようで、ちぐはぐだろう。

「ルドルフは戦地じゃないの?」

「はい、実家で剣術を磨かせておりました。見事大会で一位になり、メダルを取り、今は待機させております」

 セイがすらすら説明するが、ゼストは気が気じゃない。

 アンジュの友人を適当に葬り去ったと誤解させたのだ。

 しかも、ルドルフは信頼も厚い。おまけに大会まで優勝し、腕に磨きをかけてしまった。

 自分が追いやったとはいえ、アンジュの大切な人だからこそ、きちんと面倒を見たいと悪い癖が働いた。

 しかし、結果的に自分へのプレッシャーが半端ない。

「ルドルフなら魔術にも対抗できるのか?」

「対抗はしませんが、なんとか出来るほどの剣技はあるかと。そこまで深く偵察はさせません。それこそ命掛けですので。アンジュ様の大切な人ですからね」

 セイが意味深に言うので、ゼストはフンと鼻を鳴らした。

 アンジュは戸惑うように、自分を見つめてくる。

 どう言い繕うべきか迷っていると、アンジュがそっと袖を引いた。

「ルドルフを、ありがとう。もう会えないかと思ったの」

「いや……」

「でも、危険なことはさせないで? だって魔法に剣は敵わないと聞いたもの」

 潤んだ瞳が自分を見ているが、ルドルフのことばかりだ。

 気に食わない思いにさせられるが、ルドルフを一生会わせないわけにもいかなかった。

 タイミングとしては丁度良いのだが、彼にかっこいいところを持っていかれる。

「俺も行こうかな」

「い、行かないで! ダメよ。王になにかあったら!」

 アンジュの縋るような目に胸を鳴らしながら、ゼストは照れて頭を搔いた。

「そうだな。俺は明日の為にしっかりと準備する」

「そうして……? 直接アーネスト様と話すことだって大変なんだから」

 アンジュが心配してくれて、ゼストはきゅんとなってしまった。

 泣きそうな顔が可愛く、自分を想って憂いてくれていると思うとときめいてしまう。

「アンジュ、これが済んだら何をしたい?」

「え? まだわからないわ、終わる気がしないんだもの」

「終わらせる。俺の力で」

 ゼストは言い切ると、アンジュをそっと抱きしめた。

 か細い肩が震えて、泣き出してしまった。

「本当に、誰も怪我しないで」

「ああ」

「ルドルフが心配よ」

(俺じゃなくて、ルドルフか!)

 引きつりつつ、アンジュをさらにぎゅっと抱きしめた。

 ルドルフは剣を磨き、強くなったことは確かだ。

「大丈夫だ」

 ゼストはそう言うと、アンジュの額にキスを落とした。

 セイに視線をやると、すぐにルドルフに偵察に向かうように指令が出た。

 彼の実家から別邸は近く、その夜のうちに仕事が済めば、昼にはゼストが身動きが取れるはずだ。

 アンジュをそっと抱き抱えて、寝室へと向かう。

 めそめそする彼女を少し休ませる為に、そっとベッドに降ろすと、知らせが来るまで待機しようと、ゼストも書斎に舞い戻った。

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