第10話 魔性の女

もう、三日目だ。

 しかし、ただ添い寝をするだけで身体を重ねたのは一度だけ。

 一度拒絶したら、ゼストはあっさり身を引いて、胸の中に抱かれてごろごろしている日々だった。

 告白は出来ないまま。出来るわけがないが。

 ため息を吐くと、ゼストがそっと口づけてくれる。

「どうした?」

「いえ。こんなことをしていたら、国が滅んでしまわないかと」

「大丈夫だ。優秀な人間が沢山いる。そして、その人間はそろそろ、この塔に現れるだろうな」

「え?」

 トントンと扉をノックする音が聞こえて、アンジュは慌てふためいた。

 上掛けで身体をなんとか隠すと、ゼストがそれを確認して中に入るように命じる。

「失礼します。王。もうよろしいでしょう?」

 長身の銀髪の男が呆れたように言う。

「セイ。もう少し時間をくれないか?」

「もう充分です。いえ、私なら一晩で充分です」

「お前の性癖など聞いていない。ああ、まったく」

 ゼストが頭をかきむしる。

 何がなんだか分からずに、アンジュはぼーっとふたりを見つめた。

 するとセイが気が付いて、ワンピースを前に差し出してくれる。

「後ろを向いていますので、着てくださいませ」

 くるりと後ろを向くので、慌てて着替えを済ます。

 添い寝をしつつ、胸元や首筋にはたっぷりのキスマークを付けられていた。

襟ぐりが開いたデザインで隠し切れないが、この際構っていられない。

「もう平気よ」

 すると、セイの視線が首筋に注いだ。

「襟の長いドレスをしばらく着ましょう。それから、王は目立つところに痕を付けない」

「ああ。こうでもしないと、今後の為にも落ちつかない」

 ゼストが言うと、セイは深いため息を吐く。

「全く余計な痕を付けてくれましたよ。アンジュ様は誰とも関係を持っていなかったのですよ? どう言い訳するおつもりで?」

「う……」

「王の血は本当に厄介ですね」

(王の血……)

 アンジュは心の中考えながらも、問うことはしなかった。

 聞いてはいけないような雰囲気だったし、自分とは関係ないことだろうと思ったからだ。

 しかし、三日間塔で生活してはっきりした。

 ゼストは自分に本気だ。

 政治もアーネストのことも放り投げて、自分とただ添い寝していた。

 しかも、散々甘い言葉を囁いて、言い聞かせるような日々。

 くらくらして、甘い言葉に溺れてしまいそうだった。

「では、部屋に戻ろう」

 ゼストが言うと、セイが眉間に皺を寄せた。

「アンジュ様のお部屋は、アーネスト様が片付けさせました。今日からこの塔が生活の場です。生きていられたら」

 セイの言葉にアンジュは絶句した。

 視界がぐにゃりと曲がり、思わず頽れてしまう。

 ゼストに抱き抱えられると、アンジュはなんとか正気になろうと前を向いた。

「アーネストがどうした?」

「ゼスト様が不貞を働いていると騒ぎ、相手はアンジュ様だと騒いでおります。この塔から出れば、即刻死刑です」

「ま、待て! 話がおかしいぞ。アーネストが男娼を連れ込んでいる件は教会に話が通るはずじゃなかったのか」

「……教会をまるごと買収したのでしょう。私達の動向は筒抜けだったようです。それに――アンジュ様の世話をさせていたメイドも、アーネスト様に買われたようで。不審な絵をばらまかれています。

「絵?」

 そう言って、セイはおもむろにポケットから小さな紙を出した。

 絵というより、何かの紙に丁寧に風景を映したように見える。

 そこにはアンジュの上半身が半分露わになった、恥ずかしそうな顔が映っている。

「きゃっ! こ、これ……」

「写真……というものだそうです」

 セイに言われて、この裸を撮られたと思われる時が蘇る。

 メイドに裸を見られて、慌てて上掛けで隠したのだ。

 しかし、その瞬間に道具なんて出て来たろうか。

「怪しい道具なんて持ってなかったわ」

 震える声でアンジュが言うと、セイが肩を落とした。

「こちらの不手際です。アーネスト様が魔道具を取り寄せ、持たせたのでしょう。正直に話ますと、王妃に魔力はありませんが、魔道具を使われると私達は対抗する手段がありません」

「魔道具……? 魔法の道具ということですか?」

「今のところ、そういう解釈しかできません」

 アンジュが泣きたい思いになっていると、ゼストが写真を取り上げてビリビリに破いた。

 そしてぎりっと空中を睨んでいる。

「アーネストはどこだ?」

「別邸です」

「高みの見物か。それで? 死刑執行はもう決まったのか?」

「ひとつの言い逃れは、側室であると言い切ることですね」

「確かに……。しかし、この塔に連れ込んでいる意味をアーネストが知らないとは思えない」

「その通りです。つまり、アンジュ様を守る術はここに閉じ込めるだけ」

 アンジュは血の気が引いていくのを感じた。

 塔には何もない。

 しかも、部屋はアーネストが片付けたと聞かされた。

 つまり、大切な本も紅茶も捨てられたのだろう。

 また集めるのだって大変だし、この塔に持ってこさせるのは果たして出来るのだろうか。

「いや、ひとつ提案がある。アーネストにアンジュの死刑が執行させたと思い込んでもらおう」

 ゼストの問いに、アンジュは首を捻る。

「アンジュ、悪いが宮廷の地下牢に入ってくれないか」

「え……」

(なんで……なんで……なんでこんなことに! 私はただ静かな生活がしたいだけで!)

「必ず助けるし、幸せにする。ほんの少しだ」

 ゼストの真剣な眼差しを受けているが、信じることが出来ない。

 彼は口ばかり達者で結局何も守ってくれないのだ。

 離婚だってまだだし、死刑にしないと言っておきながら、その日は来てしまった。

「信じられない」

「そうか。分かった。ゼスト。アーネストのいる別邸に早馬を出せ。アンジュは牢に閉じ込め、三日後に処刑すると」

「かしこまりました」

 セイの目が悲し気に自分を見つめていた。

 この人も自分を哀れだと思っているのだろう。

 引きこもり生活から一転して、不倫生活、あげくは死刑。

 しかもアーネスト様からは恨まれている。

 アンジュはなにひとつ、不倫を望んでいないというのに。

(私は引きこもって、本を読んで、余生をゆったり過ごしていたいだけ。不倫してまで好きだという気持ちを押し通す女じゃないのに)

 世間はもはや、本当にアンジュのことを『魔性の女』だと思い込んでいるだろう。

 あの写真はばらまかれているだろうし、アーネストがか弱い女性じゃないと分かった今、敵に回すのは怖くてたまらない。

 ゼストですら、こんなにも手を焼いているのだから。

「アンジュ。悪いな。ほんの少しだ。頬に触れさせてくれ」

 おずおずと顔をあげてそっと撫でられると、はっとした。

(この行動こそ、卑怯な女じゃない!)

「おやめください!」

 手を振り払うと、アンジュは背を向けた。

「牢に入れてください」

「分かった」

 冷静に言われて、どくんと胸を鳴らせた。

 ゼストの真剣な顔は見たことがなく、腕を掴まれた瞬間に逃げだしたくなる。

「助けてほしいと、言わないのか?」

「言いません。アーネスト様がお怒りなら、私は罰を受けます」

「損な性格だ。そういうところも、俺は好きなんだ。でも、俺では不服のようだからな」

 そう言われてしまうとアンジュも悲しくなる。

 不服ではなく、不貞を働くのが嫌だと何度も言っている。

 だが、好意は伝えたことはないから、彼がそう思うのも無理はない。

 腕を引かれて塔を降りると、衛兵がふたりいた。

「王。アンジュ様をこちらに」

「俺が連れていく」

「ですが、アーネスト様のご命令です。こちらに」

「この国の王の命令が聞けないと?」

 ゼストが睨むと衛兵が数歩下がり、道が開けた。

 湖畔を望む塔から離れて、繋いでいた馬に乗り走り出すとゼストはそっと言ったのだ。

「アンジュ。くれぐれも、アーネストの手の者には気を付けろ。さっきの衛兵も、アンジュをどこかへ連れ去るつもりで待ち伏せていたんだろう。見たことのない顔だった」

「……っ」

 ぞっとする言葉を聞いて、思わずゼストの腰に回した手から力が抜けそうになる。

 ぐっと片手を握られて、慌ててしっかりと腰を掴んだ。

「牢では、何も口にするな。アーネストが罠を仕掛けているだろう」

「……はい」

「セイはアーネストのところに向かっていて、今信じられるのは俺だけだと覚悟してくれ」

「ゼスト様、だけ?」

 信じられないと思いつつ、命が掛かっている為に信じるしかない。

 それに、アーネストが謙虚で慈悲深い女性ではないと分かってしまった。

「アーネストのヒステリーが始まった。もう止められない」

「あの、ゼスト様? もうアーネスト様のことはなんとも思っていないのですか?」

 アンジュは思わず訊いていた。

 少なくとも、こんな恐ろしいことを企てる女性が妻だとゼスト自身だって危ういのではないかと思えてくる。

「アーネストとは始めから何もない。好きだと思ったことも、思われたこともない。努力はしたが、彼女から拒絶された。俺達は外交の為の政略結婚だ」

「え……」

「それでも、まだ俺の妻になる気はないと?」

 アンジュは考えあぐねた。

 つまり、アーネストとは仲睦まじい夫婦どころか破綻している。

 そして国益の為に夫婦を続けていて、ゼストは離婚したい。

 そういう意味だろう。

(そうだとしても、私が不倫していたという事実は変わらないのよ……。私にそのつもりがあろうとなかろうと)

「もうその話は止めてください。罪が重くなるのは嫌です」

 アンジュは静かに言った。

 初心な自身の心でも、ゼストの事は可哀そうだと思えた。

 ただ、それに自分を巻き込むなと言いたい。

「私じゃなくても、いいじゃないですか」

「アンジュ、君がいい。振り回されて怒っているだろう? でも、必ず助けて幸せにする」

 そう誓われてしまうと、アンジュも胸が鳴った。

 ゼストが初婚なら――とため息を吐く。

「どうした?」

「いえ」

 馬が止まると、地下牢の入り口があった。

 衛兵が立っているが、ゼストはアンジュの手を離すことなく、そのまま地下まで階段を降りていく。

「あの、誰も信用しないんですね」

「ああ。ちょっと色々あってな」

「そうですか」

 階段を降りると、牢の前にひとり衛兵が立っていた。

 ゼストは鍵を出すように命じると、衛兵がそっと鍵を出してくる。

 そして、アンジュは湿った岩肌がむき出しの牢に入れられた。

 鍵がかかると、真っ暗でほとんど何も見えなくなる。

「アンジュ、さよなら」

 その言葉にぞっとして、思わず牢に縋る。

「ゼスト様⁉」

 言っても、彼の足が止まることなく階段を昇って行ってしまった。

 信じられない思いと惨めな気持ちで牢の奥に引っ込んだ。

 ナンとルドルフはどうしているだろうと急に思い出す。

 岩肌を流れる水の音を聞きながら、アンジュは不安に包まれながら足を抱えて眠った。

 

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